冷静と情熱の効果
夢小説設定
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徐州侵攻を終えた曹操軍ではあるが、一息つく暇も無く今度は消息不明であった皇帝を庇護する為に奔走する事になった。
暴君・董卓が洛陽から長安へ連れ出し、混乱のさなかに消息不明になっていた皇帝の消息が判明した事により、天下を狙う諸侯の動きは慌ただしい。
皇帝を庇護したという実績があれば、早速天下に王手をかける事が出来るとあって、諸将も意欲的に皇帝の身柄を保護しようと動き始めている。
かつては董卓の配下であり、新たな都である長安を実行支配している李カクと郭汜は互いにいがみ合っており、連携して皇帝の身柄を確保するとは考えにくい。
幼馴染という間柄である両者だが、近年は関係が悪化して事あるごとに小競り合いを起こしているので、おそらくは皇帝の身柄を確保するにあたっても連携はとらないだろう。
涼州の騎馬の持つ機動力と突破力は脅威ではあるが、両者が連携さえとらなければ、幾らでも対応する事は可能である。
兵力だけでいえば、徐州の陶謙も未だ残存兵力はかなりのものだが、こちらも先頃の曹操軍の侵攻で士気が低く、被った被害の補填をしなければならないので、皇帝の身柄確保には能動的な動きを見せる事は無いと判断して良いだろう。
肥沃な土地と戦火を逃れるならば、巴蜀の地など悪くは無い。
益州の州牧である劉焉は、皇帝である劉一族の血縁である。
問題は益州が五斗米道と睨み合いを続けており、実質的には漢室にとって独立勢力色が強いので、血縁だけを頼って庇護を求めるのは危険に過ぎる。
劉焉も五斗米道と睨み合いを維持しながら、険しい道のりを行軍して皇帝を迎えに来る可能性は皆無に等しい。
独立勢力として益州を得ている劉焉は、天下など今更手に入れる必要が無いのだ。
皇帝の血縁を頼るというのであれば、荊州刺史の劉表を先に頼る方がよほどに賢明といえるだろう。
荊州は肥沃で劉表が文化人の育成に力を入れているので、優秀な人材も多く、生活の文化水準も高い。
僅かな側近と逃亡生活を余儀なくされている皇帝が権勢の巻き返しを考えた場合、荊州ならば早い段階で百官を揃える事が出来るだろうが・・・・これもまた、現実的ではないと荀攸は分析している。
劉表という人物は極めて権力の拡大に対して消極的な性格をしているせいだ。
安定して平穏で文化水準の高い箱庭のような荊州にしか興味の無い劉表にとって、皇帝という火種を抱え込む度量があるとは到底思えない。
精々が袁術あたりに支援をする程度でしか関わろうとしないだろう。
江東の孫家も近年は勢力を伸ばしているが、生憎と孫家は代替わりをしたばかりであり、豪族の連合勢力色の強い江東を平定し己の身代を拡大する事に手一杯の状態だ。
今は亡き孫堅であれば、漢室の臣としての立場を弁え皇帝の擁立に何らかの貢献をする可能性があったが、その息子である小覇王と二つ名される孫策は生憎と実利を取る性格である。
天下の覇権争いはひとまず静観を決め込み、勢力の確固たる地盤を作る事に注力している。
そうなってくると、皇帝の身柄の保護に名乗り出るのは、袁紹と袁術が最有力候補となるだろう。
袁紹は河北で公孫讃と長らく睨み合っているが、公孫讃が固く籠城戦に持ち込んでいるので、兵力を割いて渡河をした場合、無視する事は難しい。
四世三公の名門・袁家の当主という地位に相応しく、袁紹という男は優秀なのだ。
一見すると何処か愛嬌すら感じさせる男ではあるが、その実は優秀であり戦も出来れば政治にも明るい。
実際に一時期は荀攸の年下の叔父である荀彧も袁紹の元に身を寄せていたし、今でも荀家の多くは袁紹の下についている。
欠点らしい欠点といえば、判断に時間がかかるというところくらいだろう。
そしてもう一人の袁家の人間である袁術。
お世辞にも優秀とは言い難いが、四世三公の名門家の威光という力で持っている土地と兵力は桁違いだ。
練度や精強さについては期待できないにせよ、数もまた力である。
戦術家として考えた場合、袁術の人を人とも思わない愚かな冷酷さは恐ろしい。
兵が幾ら死んでも心を痛めない指揮官を相手にするというのは、実に骨の折れる事なのだ。
実質的に皇帝の身柄を庇護するのに行動を起こすとすれば、袁紹と袁術と李カクと郭汜という事になってくる。
そこにどう、曹操を食い込ませるか。
本来ならば軍を休める時期に軍を動かすのだ。
厳しい統率で精強さを誇る曹操軍だが、やはり戦が続くとなると、統率も乱れ質も落とさざるを得ない。
この冬が終われば、徐州に再び侵攻するための軍を出さねばならない事を踏まえれば、皇帝の消息が判明したのは実に時節が悪い話だった。
袁紹にしろ袁術にしろ皇帝を庇護した場合、曹操の徐州侵攻に横やりを入れる可能性が高い。
両者共に曹操がこれ以上に勢力を拡大するのを望んではいないからだ。
徐州を支配下に置かねば、曹操が天下に覇を唱えるのは極めて困難になるだろう。
それが故に、今は軍を無理してでも動かさねばならないのだ。
徐州侵攻戦の事後処理と、いかにして皇帝を曹操が保護できるようにするかを考えなければならない荀攸は多忙を極めていた。
皇帝の保護だけは独力で行わねばならない。
他勢力と連携をした場合、遠くない将来に確実に両者が権力争いを始める事は、李カクと郭汜を見れば明らかである。
皇帝を保護するために動く諸侯に対して、現在の曹操は沈黙を守っている。
おおよその敵対者を見つける為だろう。
無駄に軍を動かして全てと敵対する必要はない。
確実に抑える所に最少の戦力を投入して抑えるというのは、未だ天下に覇を唱えるに一歩の遅れのある曹操としては苦肉の策といったところか。
徐州侵攻戦の事後報告が記された書簡を眺めつつ、荀攸はそこまで考えを纏めると顎をざらりと撫でた。
次の徐州侵攻を考えれば、軍の兵糧も資金も聊か不安が残る状態を覆す鍵は戦術だ。
そここそ荀攸の専門である。
幾つもの書簡を淡々と片付けながら、荀攸の思考は既に戦の陣図を描いていた。
執務机の上の書簡は増える一方で、片付く気配が感じられない。
傍に新たに置かれた卓では千代がげんなりした様子で墨を擦っている。
いちいち墨を取りに行く時間すら惜しむ程に消費量が高いせいだ。
文字の読める付き人である千代はこういう時に非常に使い勝手が良い。
重要度の低い目を通すだけで終わる書簡への署名は千代に任せる事が出来るのは、荀攸にとってありがたい話ではあるが、千代にとっては苦行であるらしい。
多忙を極める中、相変わらずイタズラだけは一日一度きっちりとやってくるあたりが千代らしいといえばらしいのかもしれない。
荀攸の執務机に動物を模した可愛らしい人形が占拠していたのを見た時は眩暈がした。
千代お手製の動物を模した可愛らしい人形達は、今は仮眠用の寝台の上を占拠している。
最初に比べて数が増えている気がするが、詳細を知ろうとする気力は生憎と今は湧かない。
「うぅ・・・・甘い物が食べたい・・・。」
ショリショリと墨を擦りながら、千代がぼそっと泣き事を漏らす。
この数日、多忙過ぎて屋敷に帰宅すらできていない。
仮眠用の寝台を千代に譲り、荀攸は荀彧の執務室を借りて寝起きしている状態だ。
当然ながら、千代が菓子を調達に出かける暇も無い。
何せ、食事ですら時間になると文官見習いに運ばせていて、基本は荀攸の執務室に籠る状態である。
そういえば、忙殺されていてこの数日は千代の淹れた茶を飲んでいない事に荀攸は気がついた。
所望すれば千代は淹れてくれるだろう。
だが、間違い無く壊滅的な味の何かを出してくる。
疲労回復の効果はあっても、飲み込む事に本能が危険信号を出すような飲み物は遠慮したい。
「・・・・大福食べたい・・・。」
うわ言のように千代が言う。
徐州侵攻に従軍してもケロッとしていた千代ではあるが、こういった作業は案外苦手なのかもしれない、と荀攸は思考の隙間で考える。
忙しさが落ち着いたら、何か甘い物でも食べさせてやるか、と思う程度には、付き人としての千代を荀攸は気に入っているのだ。
女として抱きたいと思っている事は、荀攸の心の中に厳重に仕舞いこんでいる。
「月餅・・・月餅が私を呼んでいる。」
琥珀色の瞳を澱ませて、妙な事を口走り始めた千代ではあるが、その手は速度を落とす事無く墨を擦り続けているので、荀攸はあえて咎めるような事はせずに黙殺した。
千代のこんな口調を珍しい気分で聞いている。
疲労が滲んだ、密やかな声。
この娘を抱いた後は、こんな声で喋るのだろうか?
気だるげに褥の中で喋る千代を想像した荀攸は、自身がその想像で困る事になる前に遮断する作業に専念する。
目の前の書簡は急ぎでやってしまわなければならないものだ。
墨を含ませた筆を竹簡に滑らせ、破廉恥な想像を塗り潰す。
「もぅ・・・泣きたい・・・。」
「啼かせて差し上げましょうか?」
ふいに漏らされた呟きに反射的に出た言葉は、荀攸の欲求が塗り潰されなかった結果である。
口から零れて、荀攸は遠慮無く眉を顰めた。
ぐしゃっと筆が竹簡に墨を濃く広げる。
書き損じた事に小さく荀攸は舌打ちした。
きっと、千代は良い声で啼くのだろうと愚かにも想像してしまったのだ。
この浅ましい獣じみた欲求が千代に悟られていないか、荀攸は慎重に千代に視線を向ける。
千代は相変わらず手は寸分の狂いなく動かしながら、キョトンとした顔をして荀攸を見た後に、少しだけ眉を寄せて小首を傾げた。
こんな顔で口付けを強請られたら、きっと貪るように奪うのだろう。
「もう、泣かされてますよ。
何ですか?この膨大な仕事量!殺す気ですか?私と荀攸様を?」
幸いな事に荀攸の浅ましい欲望は千代には伝わっていないらしい。
ショリショリと一定の音を立てつつも、千代が盛大に愚痴りはじめる。
その声が普段のイタズラ好きな付き人のものであったから、荀攸は少しだけ安堵した。
「だいたい!あれだけ人が居るのに、何でこんなに仕事があるんです?
人間、仕事ばっかりしてると感情が死にますよ?
アレですか?曹操様という方は、配下とそれに纏わる人間の感情を殺しにきてるんですか?」
「不敬な事を言うものではありません。」
「意味分かりませんよ!だって、そうでしょう?何で、城の備品申請の書簡とかまで回ってきてるんですか?
女官の控室の日当たりとか、用意するお菓子の質とか、本気で関係の無いどうでも良い話じゃないですか!
装いについての苦情とか、やっぱり無関係な書簡じゃないですか!」
ぎゃんぎゃんと喚く千代に、荀攸は軽く溜息をついた。
荀攸も色々と溜まっているものがあるが、千代も同じく色々と溜め込んでいたらしい。
「知りませんよ!女官の装いに対する苦情なんて!
自分で言えよ!この野郎!!
お前、派手な格好が目障りなんだよって言えば良いじゃない!
お前の香水の匂いがきつくて頭痛いからやめてくれって言えば良いじゃない!
いちいち意見書に纏める理由が分からない!
言えないなら我慢しろよ!知るか馬鹿!馬鹿!バーカ!!」
ついに墨を置いて、小さな卓を叩きながら千代が爆発する。
手違いから届いた書簡についての悪態の語彙力が低下している所を鑑みるに、相当に疲労が蓄積しているらしい。
「後ね、郭嘉様にきゃーきゃー言ってる女官が煩いって苦情も受け付けてませんよね、ここ!
郭嘉様にきゃーきゃー言ってる女官が激しくウザく感じるのは分かりますよ、えぇ、理解できますとも!
でも、嫌なら嫌で、ちゃんと『色目使ってねぇで、仕事しろブス!』とか暴言を投げつければ良いじゃないですか!!
それで『持てない男の僻みが酷い』とか陰口叩かれたら良いんですよ!阿呆ですか、馬鹿なんですね、滅びてしまえ!!」
「あ、荒ぶってんな・・・じ、邪魔して良いか?」
小さな卓を容赦無く叩きながら、盛大な主張を行いはじめた千代の動きを止めたのは荀攸ではなかった。
荀攸としては爆発する千代が珍しく観察するつもりであったのだが。
予想外の来訪者に、千代が小さな卓に突っ伏したままピタリと動きを止める。
荀攸は来訪者を迎えるために静かに立ち上がった。
「珍しいですね、貴方がこちらに来られるとは。
どうかしましたか?典イ殿。」
悪来と二つ名されるいかつい大柄な男は、幾分か困ったような顔をして綺麗に丸まっている頭を無造作に撫でながら、小さな卓に突っ伏している千代をちらりと見た。
曹操の身辺警護を務める典イが曹操の傍を離れるなど珍しい。
「取り込み中だったんじゃねぇのか?」
「単に泣き事を言っていただけです。
いつまで、そうしているんですか?仕事を再開して下さい。」
気遣わしげに千代を見る典イに荀攸は素っ気なく返答をすると、千代を促す。
小さな卓に突っ伏していた千代がむくりと身を起こし、放り出していた墨を拾い上げた。
「お見苦しい所をお見せして申し訳ありませんでした。
只今、お茶の用意をいたしますので。」
礼儀正しく拱手して首を垂れる千代に、典イが幾分かたじろいだように「お、おぅ」と返す。
「どうぞ、こちらに。
で?どういった御用件ですか?殿の身辺警備はよろしいのですか?」
来客用の席を薦めながら荀攸は尋ねる。
曹操の信頼厚く、寝室への立ち入りまで許されているような人間といえば、人材の多い曹操軍であっても、夏侯惇か典イくらいなものだろう。
典イは椅子にどかりと腰を下ろす。
元はゴロツキだった所を、夏侯惇が見出し曹操に仕える事になった経緯の持ち主らしく礼儀作法に対しては明るくないが、不思議とそれが不愉快に感じない魅力がある。
「殿の警護は許褚に任せてきた。」
にかっと白い歯を見せて笑う典イに、荀攸は小さく頷いて自分も静かに椅子に腰を下ろした。
「で、わしは殿のお使いってわけだ。」
ごそごそと懐を漁って典イがとりだしたのは一通の書簡である。
竹簡ではなく、布に紙を張り付けてある事から一見して重要な内容が記されていると荀攸は察した。
「拝見しま・・・。」
「荀攸様、荀攸様。」
典イから書簡を受け取った所で、荀攸の傍に千代が来て声をかける。
書簡を開く前に、荀攸は何事かと、一応は声を落としている千代に視線をやった。
荀攸の視線を受けて、千代が少しだけ眉を寄せた。
「お茶菓子がありません。」
ここ最近は、執務室に籠りがちで茶も碌に飲む時間がなかったせいで、茶菓子が切れているなど荀攸も気がつきもしなかった。
千代も付き人の最低限の仕事に加えて荀攸の仕事の手伝いをしているせいで、分かっていても補充が出来なかったのだろう。
甘い物を好まない荀攸にとっては問題でも無いが。
来客者に茶菓子を出す事も無かったというのも礼儀に反する話である。
もっとも、典イがそんな事を気にするかと問われれば、気にしないとは思うのだが・・・。
「郭嘉様の所に貰いに行っても良いですか?」
手っ取り早く茶菓子を調達するには、おそらくはそれが一番効率的な方法だろう。
確かに、郭嘉ならば女を口説くのに使えるという理由だけで、常に甘い物を所持していそうだ。
「あー、気ぃ使われるのは性に合わねぇから、そうバタバタしねぇでくれ。」
「申し訳ありません。」
「良いって、丁度、大福もあるしよ。
これで茶菓子って事でどうだ?」
典イがその大きな手に包みを持っていたのは気が付いていたが、どうやら中身は大福のようだ。
包みを差し出しながら気さくに申し出る典イに荀攸はちらりと千代を見る。
先ほど、大福が食べたいとうわ言のように言っていた娘の目が輝いていた。
「よろしいのですか?」
「おう、許褚に頼まれたんだけどよ、ちっと多く買いすぎちまってたから丁度良い。」
「では、お言葉に甘えて。」
軽く荀攸が会釈をすると、典イが「いいってことよ」と快活に返答を寄越した。
視線でお言葉に甘えるように、と指示を受けた千代が典イの手から包みを受け取って再び茶の用意を始める。
やや離れた所から、かちゃかちゃという音を聞きながら、荀攸は書簡を改めて確認した。
既に封は破られているが、紙が張り付けられている布は絹・・・それも相当な上物だ。
音も無く軽やかに手の中で広がる書簡。
そこに使われている文字を目で追う荀攸は、思わず目を見開いた。
上質な紙に記された姿の良い文字は、紛れも無く荀攸を興奮させた。
「・・・・典イ殿、これは真実なのですか?」
「あ?わしは、中身についちゃぁ知らねぇんだ。
生憎と、読み書きってのは苦手でよ。
ただ、殿が荀攸に持って行けってんだから、まぁ、大事な事が書いてあるんだろうとは思うぜ。」
中身が読めない上に、忠誠心について疑う所が無いという点では、確かに典イは重要な書簡を任せるのに最適な人物だろう。
荀攸は自分以外の誰にも書簡の内容を見られない内に、手早く書簡を元通りに巻き直して典イに渡す。
良いのか?と言いたげな典イに、事情を話すわけにはいかないので、無言を貫く。
「殿には荀公達が仔細承りました、とだけお伝えください。」
「それだけで良いのか?」
「はい、おそらくはそれで十分かと。」
「そうか?まぁ、なら、良いけどよ。」
細かい事は気にしないという調子で納得する典イと、静かに思考を巡らせはじめる荀攸。
本来ならば、ここで世間話の一つや二つするのが礼儀だ。
荀攸も礼儀は重んじる性質である。
しかし、書簡の内容は荀攸の礼儀正しさを脇に置かせるだけの出来事が記されていた。
無言で思考を巡らせ始める荀攸を前に、典イが幾分か居心地が悪そうな顔をした時だった。
二人の間にある卓に茶が出される。
「もぅ!荀攸様ったら、何を考え込んでいるんですか?
お客様にお茶を早く勧めて下さいよ。」
呆れたように千代が言う。
盆の上には二つの茶器と二つの大福が乗せられている。
「あ、あぁ・・・気が効かなくてすいません。
どうぞ、典イ殿。」
「おう。」
促されて荀攸は典イに詫びてから、茶器に手を伸ばした。
程の良い温度の香りの良い茶を一口含む。
流石に疲労が滲んでいようとも、客の前であの壊滅的な味の飲み物は出さなかった事に、荀攸は少しだけ安堵した。
典イも茶に手を伸ばして、豪快に煽る。
やはり礼儀作法には反しているが、見ていて不快感でも無い。
「おっ、美味ぇな。
わしゃぁ、茶の味ってのはよく分からねぇが、こりゃ美味いな。」
軽々と茶器を指で弄ぶ典イに千代がにこっと笑う。
「ありがとうございます。」
「で?お前ぇの分はどうした?」
典イに二杯目の茶を淹れてやる千代に典イが問う。
少しだけ千代が困ったような顔をした。
通常は、付き人が主と客人と同じ席に着く事は許されない事だ。
屋敷でも千代はあくまで荀攸から雇われている立場というのを崩す事無く、食事時も何も使用人の範囲を守っている。
「私は付き人ですので。」
「何だよ、そんな事気にする必要ねぇだろ。
千代だって疲れてるんだろ?なら、ちっとくれぇ休んでも良いじゃねぇか、なぁ?荀攸。」
疲れているからといって主と同じ席で休むように勧める客人というのも曹操の元に仕えているからこそ遭遇するものだろう。
荀彧であれば、きっと眉を顰めて上下のけじめと礼儀作法について語るのであろうが。
ここ最近の激務を思えば、確かに少しばかり千代も休ませた方が良いだろう。
何よりも目の前には先ほど、千代が食べたがっていた大福があるのだ。
「そうですね、典イ殿が構わないのであれば・・・・。
茶器を出して一緒に茶をしましょう。」
荀攸が許可を出せば、千代がぱっと嬉しそうな顔をする。
明るい素直そうな娘という印象は、未だあどけない。
子供とは言わないが女とも言わない。
いそいそと茶器を用意した千代が卓につく。
すっと荀攸が皿の上の大福を目の前に滑らせてやれば、まるで子供の顔できらきらと荀攸を見る。
「貰っちゃって良いんですか?」
「・・・構いませんよ。」
甘い物は好みませんし、とは流石に典イに悪いので言わずに、心の底で呟いておく。
「いただきます!んっ、甘い・・・・美味しい。」
千代のこういう時の遠慮の無さは、本当に子供のようだ。
指で摘まんで口の中に大福を頬張る千代が、恍惚とした表情と口調で感想を言う。
実に幸せそうな表情に、思わず荀攸も口元が緩みそうになる。
ほわわぁん、と幸せそうな雰囲気を滲ませる千代に典イが笑う。
「もう一つやるよ、わしは後で許褚と食うしな。」
小皿に乗せられた大福を典イから差し出され、千代が心底から嬉しそうな顔をする。
「疲れてる時にゃ、甘いもんが美味ぇよな。
随分と疲れてたようだしよ。」
早速、典イから貰った大福をもちもち食べ始める千代に典イが笑いながら指摘をする。
大福をもちもち食べながら、千代が大袈裟に溜息をついた。
「結構、間違った書簡が届くんですけど、荀攸様ったら律儀に処理しちゃうんで、仕事が片付かなくって。」
「あぁ、それで女官の格好がどうのこうの叫んでたってわけか。」
「そうなんです。
何で荀攸様が苦情係みたいな事しなきゃいけないんですか。
いや、まぁ、気持ちは分かりますけどね・・・。」
もちもちもち、ごっくん、と大福を飲み込んで千代がげなりした表情を浮かべる。
完全に気安い態度をとっている千代に対して、典イは気にも留めないようだ。
「わしから見たら、女ってのは皆、派手な女官みてぇになりてぇのかと思ってたんだけどなぁ、千代は違うのか?」
いかつい容貌で典イが小首を傾げる。
「皆が皆、そうではないと思いますよ。
少なくとも、私は嫌ですし無理ですし駄目です。
何ですか、あの見た目だけで勝負してる癖に、私は娼婦じゃありません、って澄まし顔。
仲良く出来る気配が全く感じられません。」
「でもよ、年の近い友達ってのも作った方が良いんじゃねぇのか?」
「良くありませんよ。
女同士って、結構面倒なんですよ。
女友達の付き合いを優先しない奴は、男に媚びしか売って無いとか、平然と言いますからね。
でも、自分に男が出来たら速攻で女の付き合いを切り捨てて、別れたら泣き事言って被害者面しはじめるんですよ。
正直ね、そんな付き合いしてたら、心が疲れマラ起しちゃいます!」
堂々と言い放つ千代に、「ぶっ!」と二人の男が噴き出したのは同時だった。
胸を張って言ってやったぞ!という顔をする千代を典イがまじまじと眺めた後、手布で口元を拭いている荀攸の方へ顔を向ける。
真剣な思考が千代のとんでもない発言により遮断された荀攸は、とりあえず己に落ち着くように念じてみた。
無防備な部分にいきなり焼いた石を投げつけられた気分である。
「・・・・それ、お前ぇにゃねぇモンだろう?」
どうにかこうにか指摘をする典イに千代はぐっと拳を握って実に良い笑顔を見せた。
「常に心にマラは持ってます!」
典イとて精一杯言葉を選んだであろう努力を微塵も気にする事無く、千代はやはり良い笑顔で堂々と言い放つ。
「心にって・・・。」
「体にはおっぱい!心にはマラ!」
「やめなさい・・・そういう発言はやめなさい。」
ようやく己を奮い立たせた荀攸が、何とか制止をかける。
こんなに平然と明るく堂々と猥語を口にする女、今まで荀攸は遭遇した事が無い。
それはおそらく典イもだろう。
男がその単語を口にして女を恥じらわせる事はあっても、女がその単語を口にして男を恥じらわせる現象はなかなか滅多に起きるものではない。
千代がこてっと首を傾げて不思議そうな顔をしながら荀攸を見る。
何で駄目なの?と、琥珀色の無垢な瞳が言っているように見えて、荀攸は頭を抱えたくなった。
人目が無ければ遠慮無く膝を折って頭を抱えていただろう。
既に典イは頭を抱えている。
「不適切な発言はやめなさい。」
「え?でも、荀攸様も典イ様もマラ持ってるでしょう?」
「・・・持ってりゃ、使う言葉ってわけでもねぇぞ。」
「そうなんですか?
じゃぁ、なんていうんです?」
「何って、そりゃぁ・・・教えられねぇだろ。」
「そういう事を他人に聞いてはいけません。」
「じゃぁ、姉上に聞きます。
荀攸様がマラの別の言い方を教えてくれないので、教えてくれって手紙で出します。」
「やめて下さい、本気でそれはやめて下さい。」
あの郭嘉ですら手を出すのを躊躇うような性格と実力の持ち主の姉に、妹が雇い主とそんな会話をしていると知られるのは、命にかかわる問題に発展しかねないと、荀攸は強く制止をかける。
実際にどんな人物かは知らないが、荀攸の頭の中では千代の姉は女装した呂布だ。
何故、こんな残念娘に己は欲情をしてしまっているのだろうか・・・・荀攸は真剣に悩みたくなった。
他の女を抱いても、千代を抱きたいという気持ちは損なわれていないのがとても悔しい。
「良いか?女がそんな事をポンポン口にするんじゃねぇぞ。
そういうのは、とっておきの男にだけ言ってやるもんだ。」
「とっておきの男ですか・・・じゃぁ、荀攸様になら言って良いんですね!」
分かりました!と元気良く拳を握る千代に、典イが再び頭を抱える。
「そういう意味じゃ・・・あぁ、荀攸・・・お前ぇも大変だな。」
「えぇ、本当に。」
きっと千代の言う「特別」は大人のいう「特別」では無いのだろう。
そうと察した典イが、同情の眼差しを荀攸に遠慮無く向けてくる。
現在進行形で一番近くに居る男であり雇い主であるから千代は荀攸を「特別な男」だと判じているにすぎない。
だからきっと、心臓が大きく跳ねたのは驚いたせいだ。
そっと己の心臓部分を撫でた荀攸は、疲労感たっぷりに頷いた。
千代は抱きたいが、恋などという甘い感情からくるものではない、あってはならない・・・荀攸は自分にそう言い聞かせつつ、疲れた思考回路が妙な満足感を覚えている事を苛立たしく思う。
「典イ殿、さっきの発言は他言無用にお願いします。」
「あぁ・・・流石に、殿相手でも言えねぇよ・・・。」
千代への教育をどうしたものか・・・。
大きな仕事を幾つも抱えている上に、更に面倒な仕事を抱えてしまった気分だ。
爽やかな甘みが特徴的な茶がやけに苦く感じて、荀攸は大きく溜息をついた。
「三本目の矢とか、どうでしょう?」
のほほんとした千代の発言に、男二人溜息をついた昼下がり。
太陽が高く昇っている日を荀攸は静かに呪った。