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冷静と情熱の効果

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妄想を拗らせた結果達です。
キャラ×オリキャラ(自分)となっておりますので、苦手は人はスルー推奨です。
楽しんでいただきたいので、マナーは守って下さい。
◯◯
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 曹操軍が陶謙討伐の為に軍を動かしたのは、秋に入っての事だった。
 曹操という男の汚点として後世の歴史家の多くから批判される徐州侵略は、この時点では実際的な作戦である。
 徐州牧の陶謙は武官として頭角を現した後に、黄布賊の討伐の為に徐州に入り、その後の反董卓連合は参加せず徐州の運営に努めており、民の信頼も厚く多くの無傷の将兵を抱えていた。
 如何に曹操軍が精強とはいえ、陶謙を慕う民と無傷の陶謙軍を真正面から相手にするのは回避するべき状況だ。
 政治家としても無能では無い陶謙が民を先導し温存された将兵を出しつつ、他の勢力と連携をとって曹操軍に対するとなると、曹操軍にとっては都合が悪いどころの話ではない。
 何よりも、戦が長期化して困るのは兵糧問題だった。
 皇帝が所在不明の現在、天下を狙う勢力にとって急成長を遂げている曹操軍は目障りである。
 これを機に陶謙と連携をとって曹操を潰そうと考える勢力も戦が長期化すれば出てくる可能性があった。
 問題点を解消するために曹操軍がとるべき選択肢は戦を早期決着させる事だ。
 兵糧が尽きる前に、陶謙が民を扇動し他勢力と連携をとる前に効果的な一手を講じる必要がある。
 その効果的な一手とは、陶謙が未だ曹操と戦を回避できると考えているうちに強烈な先制攻撃を与える事だ。
 作戦の大枠の提案者は満寵という男である。
 常に穏やかな口調と笑顔を絶やさない身の丈八尺の大柄な男は、まるで今日の天気の話でもするように、未だ曹操軍と和解の道があると信じており戦の準備も碌にしていない陶謙の優柔不断さをつく事を提案したのだ。
 陶謙に対する民の信頼を失わせ、他勢力と連携をとる前に状況を決してしまうのに効果的な作戦を考える事は、戦術家である荀攸の仕事である。
 陶謙は反董卓連合に参加せず、董卓に賄賂を贈り権力を拡大した男だが、民の信頼は得ている。
 戦術家として陶謙勢力を崩す為にまず打つべき手段は、民の陶謙への信頼の失墜だった。
 民とは誠に勝手なもので、自分達に利益が無いと分かれば、あっという間に離散する。
 民に不利益を与えて、陶謙がその補填を怠った場合、かなりの確率で民は陶謙に不満を抱くだろう。
 戦が避けられない事だと、陶謙が自覚した時、陶謙が持っていた筈の手段を一つ封じる事が出来るとなれば、首尾良くいったと評しても良い。
 そこで荀攸が献策したのが、曹操軍の進軍途上の集落への戦略的な略奪だった。
 反董卓連合軍の影響を受けていない、徐州には多くの民が生活している。
 徐州であれば安全だと思っているからだ。
 まずはそこを崩す。
 軍勢に住んでいる場所を奪われて、陶謙を頼っても、陶謙とて即座に民の期待にこたえられるわけではない。
 むしろ戦が避けられない事について大いに動揺混乱をすると仮定すれば、逃げ込んできた民にまで気を回す余裕などなく、逃げ込んだ民の事などそっちのけで、急いで戦の準備を整える可能性の方が遥かに高い。
 そんな話が広がれば、陶謙のために働こうという民は減るだろう。
 民という壁を失った曹操軍が押さえるべき場所は既に決めている。
 首尾良くいっても、手持ちの兵糧で徐州を攻略する事は一度では難しい。
 そのために、今回狙うのは、徐州の澎城に侵攻し広威という前線拠点を奪取するのが最善の選択だ。
 兵糧が尽きる前に、豊かな広威を抑えれば陶謙軍は大打撃であるし、兵糧問題も随分と軽減される。
 陶謙の勢力を削り弱体化させたところで、二度目の侵略戦を行えば、十分に自軍の被害を最小限で抑える事が出来るだろう。
 荀攸の献策は概ね曹操の気に入るところであったらしい。
 満寵の方針に沿って荀攸の戦術で侵略戦を行うという点は、変わりは無いが、曹操はそこに一つ自分の立案の命令を入れた。
 曹操軍の進軍途上にある集落は略奪では無く住人を全て殺すようにという命令は、多くの将兵に大なり小なり衝撃を与えた。
 ただ戦略的に略奪を働くだけでは、荀攸の作った戦術を完成させるためには押しが弱いと判断したせいである。
 曹操のこの苛烈な命令を、曹操軍の将兵は徹底順守した。
 結果、徐州の大量殺戮が行われたのだ。
 効果のほどは覿面で。
 既に走らせている密偵が進軍途上の集落に、曹操軍の慈悲の無い所業を触れて回っているおかげで、徐州の民達は徐々にではあるが陶謙を見限って離散を始めたという知らせを受けた荀攸は人知れず溜息をついた。
 眼前に広がる死屍累々は、まさにこの世の地獄。
 これだけの所業をいともあっさりと思いつく曹操という男に対して、荀攸は改めて畏怖の念を抱かずにはいられない。
 戦略的な略奪にとどめた場合、ここまで円滑に曹操軍は事を成してはいなかっただろう。
 荀攸から献策を聞いた曹操は、一拍の間を置いた後により効率的な修正案を作り上げたのだ。
 「やぁ、荀攸殿。」
 死屍累々とした土地に相応しくない穏やかな声音に呼びとめられて、荀攸は足を止める。
 視線を向ければ、兵士に荷車を引かせている満寵がにこやかに手を振った。
 荀攸が軽く頭を下げて応じると、満寵は一人ですたすたと荀攸の傍まで足を運ぶ。
 身の丈八尺の大柄な男に並ばれれば威圧感を感じそうなものだが、満寵という男は余人にそれを感じさせない不思議な雰囲気を持っている。
 「先ほど、広威を于禁殿が落とされたそうだよ。」
 穏やかな口調は常からと何一つ変わらない。
 満寵とはそういう男なのだ。
 まるで季節の話をするかのように、重要な事をさらりと口にする。
 荀攸とは違う意味で感情の在所が掴めない。
 「それは重畳です。」
 短く応答をした荀攸に満寵はにこやかに頷いた。
 「うん、まったくもって重畳だ。
 これで兵糧不足が兵に露見する事無く撤退できそうだね。」
 腰に手を当てて、満寵はやはり気軽な世間話でもするかのように重要な機密を口にする。
 曹操軍の兵糧が心許無いのは、一部の将兵しか知らない事だ。
 満足な兵糧を準備できていない事が明るみに出れば、途端に兵士の士気は下がってしまう。
 戦をする上で、もっとも重要なのが兵士の士気だ。
 どれだけ素晴らしい作戦を立てようとも、実行するのは名も顔も殆ど知らない兵卒である。
 「満寵殿、あまりその件を口にしないで下さい。」
 「大丈夫だよ、私の部下は口が堅いし、君の部下だってそうだろう?」
 何処で誰が聞き耳を立てているか分からないと、静かに咎める荀攸に対して満寵は全く聞く耳を持つつもりが無いらしく、軽く肩を竦めて応じた後に、視線を荀攸の斜め後ろに向けた。
 荀攸の斜め後ろには付き人の千代が居る。
 機能性を重視して兵卒とさほど変わりの無い格好をしている千代を認めると、満寵は穏やかな笑みを深くした。
 「やぁ、はじめまして。
 私は満伯寧という者だ。
 君が噂の荀攸殿の付き人だろう?」
 「は、はじめまして・・・荀攸様の付き人の千代と申します。」
 礼儀正しく拱手をして挨拶をする千代に満寵は軽く笑い声をあげて、「よろしく頼むよ」と付け加えた。
 普段は物怖じする事無く、むしろ雇い主に正気を疑いたくなる勢いでイタズラをする千代が、満寵に対して何やら戸惑っている模様。
 どうしたのかを聞くわけにもいかないので、荀攸は満寵の視線から千代を隠すために少し体をずらした。
 「隠さなくても良いじゃないか。」
 「満寵殿、他に用件があるのでは?」
 少しだけ満寵が残念そうに眉を寄せるのに対して、荀攸は淡々と尋ねた。
 「見かけたから声をかけただけだよ。
 まぁ、噂の荀攸殿の付き人を見てみたかったというのもあるけどね。
 しかし、まさか君がこんな年若いお嬢さんを戦場に連れてくるとはねぇ・・・とても意外だよ。」
 千代を隠すように立っている荀攸をするりとかわして満寵は千代に近づくと、顎に手を置きまじまじと観察を始め出す。
 年頃の娘相手に、まじまじと遠慮無く頭から爪先まで観察するというのは聊か礼儀に反した行動ではある。
 ここが街で相手が然るべき家柄の令嬢であれば、柔和だが整っている顔の横っ面に張り手の一つくらいは頂戴するくらいには礼儀に反した行動だ。
 千代が琥珀色の視線を僅かに左右に揺らした後に、ちらりと荀攸に一瞬だけ視線を向けた。
 「満寵殿、あまり異性を無遠慮に眺めるものではありません。」
 ほんの一瞬だが、何だか千代が困っているように思えて荀攸は満寵を静かに嗜めた。
 「あぁ、これは失礼。
 つい好奇心が先走ってしまったよ。許してくれ。
 えぇっと、千代殿だったかな?
 君はどうして荀攸殿について戦場に来たんだい?
 別に私は女性が戦場に立つ事をとやかく言うつもりは無いんだよ。
 ただ、やはり女性には辛い事が多いだろう?
 まぁ、特に今回は特別に酷い事になっているしね。」
 屈めていた身を起して満寵が喋り出す。
 千代が気圧されたように軽く身を引いた。
 満寵の悪い癖である。
 好奇心と探求心が旺盛で、一度熱中するとそれ以外の全てを投げ出してのめり込む。
 荀攸も没頭すると他の事を疎かにしがちであるが、満寵に比べれば可愛いものだ。
 「満寵殿、質問は簡潔にするべきです。」
 本来であれば、互いに暇な身では無いのだから、さっさと互いの職務に戻るように促したであろう荀攸がこうして満寵の疑問を肯定的にとらえたのは、まったく同じ事を荀攸も思っていたからだ。
 徐州へ出兵する前、荀攸は迷った挙句、千代についてくるかどうかを聞いた。
 満寵が言うとおり、女にとって戦場は過酷過ぎる。
 勿論、荀攸は千代に戦場の過酷さについては説明した。
 結果、千代は荀攸についてくると二つ返事で返したのだ。
 どうしてそんなに簡単に過酷な環境に足を踏み入れる事を決められるのか荀攸には分からない。
 それを聞く時間すら無かった。
 もしも途中で千代が戦場の過酷さに参るようであれば、許昌に送り返す手筈も一応はしていたのだが。
 結局の所、千代は徐州の民が虐殺されるのを見ても離脱する事は無かった。
 戦という野蛮な行いを目にしても、千代の仕事ぶりが乱れるような事は一切無く、優秀な付き人足り得ている。
 だからこそ、余計にそこは荀攸も気になっていた。
 「それは申し訳ない。
 私はね、どうして年若い女性がこんな環境に耐えれるのか興味があるんだよ。」
 うぅん、と無造作にがりがりと満寵は頭をかく。
 パラパラと髪からはフケが落ちる。
 もっとも、今は満寵だけがそうではなく、皆がそうなのだ。
 とても衛生的とは呼べない環境は、女にとっては辛いものだろう。
 荀攸はぼんやりと千代の煤けた頬を見た。
 行軍を優先したせいで、千代もまた薄汚れていた。
 「私は荀攸様の付き人ですから。
 荀攸様がついてこいっていうなら何処でも行きます。」
 ゆっくりと千代が言葉を選ぶようにしながら口を開いた。
 「え?仕事だからという理由だけなのかい?」
 「そ、それでお給金をいただいていますし。
 荀攸様が望まれるなら何処にでもついて行くのが仕事ですし、そうしようと思っているので・・・・あの、近いです、満寵様。」
 千代の返答がよほどに意外だったのか、ぐっと千代に大柄な身を屈めて近寄る満寵に千代が物凄く言いにくそうに、申し訳なさそうに告げる。
 「満寵殿、俺も彼女も仕事がありますので、そろそろ。」
 基本的に誰に対しても態度を崩すことなく、どちらかといえば他人を振り回す側に回る事の多い千代が、誰かに振り回されているらしいというのはなかなかに珍しい事ではあるが、どういうわけだか荀攸は面白くない気分になって、千代に助け船を出してやる事にした。
 幾分か声音に不機嫌が混じったのは、これからやるべき事が多いせいだろう。
 「おっと、すまないね。
 千代殿、許昌に戻ったら是非とも私の所に遊びに来てくれないかい?
 千代殿は実に興味深いから、もっと話をしてみたいんだ。」
 美味しいお茶菓子を用意しておくから、と満寵は身を起こしながら爽やかに笑う。
 「き、機会があれば、いずれ。」
 「じゃぁ、私の方から都合が良い時に使いを出すから遊びにおいで。
 千代殿は甘い物はお好きかな?」
 「満寵殿・・・そろそろ仕事に戻られた方がよろしいのでは?
 兵達が困っています。」
 満寵が連れてきていた荷車を引いた兵士達は手持無沙汰と言わんばかりに立っている。
 荷車には徐州の民の亡骸が山のように積み上げられていた。
 「おっと、もう終わってしまったのかい?
 もう少しゆっくりしても良かったんだけどね、私としては。」
 満寵が千代から視線を外して兵士達に残念そうな顔をして見せる。
 「仕事は早く終わらせるに限ります。
 俺はこれから撤退の段取りをしなければならないので、これで失礼させてもらいますよ。」
 軍を動かす時、何よりも緊張するのが撤退時だ。
 引き際が肝心。
 今回は陶謙軍は豊かな軍事拠点を落とされたにすぎない。
 陶謙が冷静に対処してくるならば、未だ温存している兵力を投入して撤退する曹操軍の背後を突くという事も可能である。
 もっとも、情報を集める限り、陶謙が冷静に曹操軍の背後を突く事が出来る状態にあるとは思えないが、可能性がある以上は対処法を考えておくのも荀攸の仕事だ。
 「背後を突かれる心配は無いと思うけれどね。
 そのために徹底して恐怖を与えるんだから。」
 懐を探って布を出しながら満寵がさらりと言う。
 曹操軍が徐州の民を虐殺した事実は、曹操軍の行軍を円滑にするだけではなく、対する者がどういう末路を辿る事になるのかという明確な示威でもある。
 「だとしても、可能性がある以上は対策を怠るわけにはいきません。」
 「はは、確かにそうだ。
 まぁ、そこは荀攸殿に任せるよ。
 私は、尊い犠牲に感謝しつつ、最大限にこれを利用する事に専念するよ。」
 爽やかな笑顔の裏に潜む言葉の仄暗さに荀攸は無言で頷いた。
 温厚そうな笑顔で多くの人間を恐怖にいざなう策を考え実行できる満寵は、曹操に対するのとは種類は違うが畏怖を荀攸に抱かせる。
 「本当に許昌に戻ったら遊びに来ておくれ、千代殿。」
 これからするであろう事を何一つ感じさせない穏やかさで満寵は目を細めながら千代に告げると、おもむろに手にしていた布で千代の顔を拭った。
 無造作ではあるが力加減はしているらしい。
 思わず目を見開く荀攸。
 千代もこれには驚いたらしく、目をパチクリとさせている。
 「千代殿は女性だからね、少しくらい綺麗にしたって罰はあたらないだろう?」
 やはり爽やかに笑って満寵は千代の顔の汚れが少しばかり落ちた事に満足したらしく、布を懐に仕舞い直すとあっさりと待機している兵士達の元へ動き出す。
 満寵は荷車を引く兵に何事か指示をして立ち去り際に、軽く荀攸と千代に手を振った。
 ぺこっと千代が軽く頭を下げ、荀攸は目礼だけを返す。
 去っていく満寵を見送った後、荀攸は自分のやるべき事を頭に巡らせながら歩き始める。
 歩き始めた荀攸の斜め後ろに千代がつく。
 ちらりと盗み見れば、何やら頬を手の甲で擦っている。
 擦ったせいか、それとも別に理由があるのか、千代の頬は普段より血色がよく見えて荀攸は足を止めた。
 「何か気になる事でもありますか?」
 半身を捻って千代に尋ねる。
 荀攸に対しては余す所なく残念な事をしでかす千代だが、年若い娘だ。
 郭嘉や荀彧のような男が単純に好みでは無いだけで、意外と満寵のような男が好みなのかもしれない。
 面倒見も悪くない性格であるし、満寵のように何処か手のかかる男というのは意外と女受けが良い事を踏まえれば、千代が満寵に何らかの甘い感情を抱いたとしても不思議は無い。そう思うと、荀攸は気が重くなった。
 これからやるべきことは山のようにある。
 無事に許昌に戻れば、即座に次の徐州侵攻の準備にかからねばならない。
 そんな時に、己の付き人が色恋に浮かれるというのは荀攸にとっては歓迎すべき事ではない。
 だから今の台詞がやや不機嫌そうなのは当然だと、荀攸は考えて、それがまるで言い訳めいているような気がして余計に気分を害した。
 静かに不機嫌になった荀攸に千代は眼をパチパチさせてから、少しだけ小首を傾げた。
 常からに何処かあどけなさを感じさせる娘であるが、こういう仕草は際立ってこの娘を幼く見せる。
 「言っちゃって良いんですか?」
 「存念があるなら言っておいて下さい。」
 もしも、千代が「満寵様って素敵な方ですね」などと頬を染めながら言い出したらどうするか?
 その可能性に対する対策を荀攸が思いつく前に、千代が口を開いた。
 「何で、誰も満寵様の乳・・・・。」
 「分かりました、言わなくて結構です。」
 「言えって言ったのは荀攸様じゃないですか。」
 「それは一応辛うじて女性である貴方が口にして良い単語ではありません。」
 千代の言いたい事が分かった荀攸は即座に千代がこれ以上、残念娘に拍車をかけないために制止する。
 脳裏に浮かんだ可能性では無いらしい事に、何故かほっとしているのはこの際、無視する事にした。
 今、考えるべき事はそれではなく、軍を無事に許昌に撤退させる事である。
 「一応辛うじて女とか失礼が過ぎません?
 私だって、言い寄る男の一人や二人居るんですからね。」
 ぷくっと頬を膨らませて拗ねたような千代に荀攸はドキリとさせられた。
 「貴方に言い寄る男が居たのですか?
 何時、何処で?相手の所属は分かりますか?」
 軍というのは男所帯。
 見目の良い千代に言い寄る男が出る事は不思議でもなんでもない事だった。
 にもかかわらず、すっかりその可能性を失念していた荀攸は慎重に言葉を紡ぐ。
 慎重にしなければ、声が上ずりそうだからだ。
 自分の傍に置いておけば、そんな事も無いだろうと思っていたのかもしれない。
 「え?従軍してから結構頻繁に声はかけられましたよ。
 何処の誰かなんて分かりませんよ。」
 荀攸の内心など知らぬ千代は素っ気無く答える。
 それがどれだけ危険な事か・・・・。
 思わずあいた口を隠すために荀攸は片手で口元を覆った。
 指先には伸ばしっぱなしの無精髭が当たる。
 誰も彼もが薄汚れる陣中で、目の前の娘はさぞや美味しそうに見えただろう。
 土や泥で汚れた手が千代の白い肌に触れる瞬間を想像して、荀攸は手で隠した口元を引き結んだ。
 不満を解消するために、目についた女を集団で手籠にする出来事は珍しくも無い。
 曹操軍では固く禁じているが、それでも一定数起きる出来事だ。
 如何に千代が己の身を守るすべを持っていようと、複数人から暗がりに引きずり込まれた場合には、目も当てられない結果になるだろう。
 「何故、俺に報告をしなかったのですか?」
 「え?だって・・・。」
 「何事も無かったから良いという話ではありません。」
 想像したよりもずっと低い声に千代が戸惑ったような表情を浮かべる。
 まるで突然に親から手を振りほどかれた子供のようだ。
 酷くその表情に荀攸は苛立ちを覚えた。
 「・・・こんな場所に連れてきたのは俺です。
 貴方が女性として不当な扱いを受けた場合、管理能力を問われるのは俺になります。」
 腹の底から湧きあがった苛立ちを瞬時に隠して、淡々とした口調を何とか作る事が出来たのは、荀攸が徹底して日頃から感情を隠していたおかげだ。
 「す、すいません。」
 しゅん、とした千代に荀攸は溜息を漏らす。
 「いえ、俺も事前にこの手の話はしておくべきでした。
 今後は情報の共有を密にしていきましょう。
 兎に角、貴方に何事も無ければそれで良いんです。
 何事も無かったんですよね?」
 「あるわけ無いじゃないですか!
 お触りされかけたんで、爪を一枚剥がしてやったら大人しくなりましたよ!
 痴漢行為を働く輩の指はへし折れと姉上が教えてくれましたけど、これから働いてもらう兵士ですからね!爪で許してあげました!!」
 えっへんと胸を張って得意げな千代。
 荀攸は口元を隠しているので、荀攸は思い切り苦虫を噛み潰す。
 「何処を触られかけたんですか?」
 「おっぱ・・・。」
 「分かりました、それ以上は言わなくて結構です。」
 「聞いたのは荀攸様ですよ。」
 「そうですが、もっと恥じらいを持って下さい。」
 「恥じらいながら言わせるのが好みですか?」
 荀攸の機嫌が持ち直していると察したのか、千代が悪戯っぽい表情を浮かべて首を傾げる。
 あどけない顔をしていながら、なかなかに強烈な発言をするあたり、やはり残念な娘だと荀攸は呆れつつも口元を覆っていた手をようやく外す。
 「貴方が恥じらっている姿を見た事が無いので、想像すらつきませんね。」
 それはうっかり口から零れ出た言葉であった。
 ほんの僅かに緩んだ部分から零れ落ちるように出た台詞に荀攸は愕然とする。
 これではまるで千代に恥じらわせながらそういう事を言わせたいと受け取られても仕方が無い。
 額に冷や汗を浮かべつつ、荀攸はこっそりと千代の表情を窺う。
 「そっかぁ、荀攸様はそういうのがお好きだったんですねぇ。
 女を手配する時の参考にさせてもらいます。」
 千代はふむふむ言いながら、荀攸の心配とは全く違う方向に先ほどの発言を捉えているらしい。
 こういう時、年頃の娘ならば頬を赤らめてぷいっとそっぽを向くくらいの反応をするのだろうが。
 前向きな性格に救われたような、救われていないような複雑な気持ちに荀攸は陥る。
 まぁ、下手に誤解をされてしまうよりは遥かにマシか、とあえて千代の勘違いを正す事無く荀攸は視線を落とした。
 薄汚れた兵卒の着物が柔らかそうに膨れている。
 その襟元に手を伸ばしそうになるのは、やはり疲れているからだろうと荀攸は強引に視線を外した。
 徐州侵攻が行われる前に千代に抱いた衝動的な感情がここに来て再び蘇る。
 許昌に帰ったら、何処かで女でも買った方が良さそうだ。
 後腐れ無く、金ですべてが解決する、もっと大人の女を買おう。
 発散さえきちんとできれば、己の付き人、年若い娘に触れたいなど思わなくなるに決まっている。
 「そういえば、ですけど、満寵様も女官から人気が高い方ですよね。」
 頬をこすりながら千代が言うので、荀攸は軽く首を傾ける。
 その場所は、満寵が何の前触れも無く拭ってやった場所だ。
 心臓が一つ大きく跳ねた。
 次に荀攸が目にしたのは、千代のやや驚いた顔である。
 自分が何をしたのか。
 制御を失った荀攸は千代の頬に触れていた。
 千代が満寵を気にしている様子なのが、何だかとても煩わしく思えて。
 手袋を外した指は満寵が布で拭った千代の頬に触れていた。
 想像したよりずっと柔らかく細やかな肌は、土埃か何かでざらついているが、親指から伝わる感触は心地良い。
 「荀攸様?」
 どうしたんですか?とでも言いたげな琥珀色に見つめられて、咄嗟に良い方便も思いつかない荀攸は自分の暴挙とも呼ぶべき行動に驚きつつも、辛うじて普段通りの冷静な素振りを崩さないように努めた。
 ゆっくりと親指で千代の頬をなぞれば、千代が少しくすぐったそうな顔をする。
 もっと別の所を触ったら・・・それを考える荀攸は強引に思考回路を切り替えるために、ぎゅうっと千代の頬を抓った。
 「何をふるんでふか?」
 「随分と頬を気にされているようでしたからね。」
 満寵殿に拭われてから、とは流石に言えなかった。
 それを言ってしまえば、まるで己が満寵に嫉妬をしているようではないか。
 断じて無い、それだけは無い。
 己に言い聞かせながら、荀攸は千代の頬を引っ張る。
 思いのほか良く伸びる。
 「痛いれふよぉ。」
 「失礼。」
 「もぅ、頬っぺたが伸びて戻らなくなったらどうしてくれるんですか?」
 「そんな事はありませんから大丈夫ですよ。
 で?先ほどから何をそんなに気にしているんですか?」
 「実は、満寵様のあの布・・・凄い臭かったんです。
 ご厚意でしていただいた以上、ちょっと言いにくくて。」
 ここだけの話だと言わんばかりに声を落として荀攸に打ち明ける千代。
 布が臭かったから、頬に臭いがついたような気がして、何度も擦っていたというわけだ。
 持て余しそうな熱が急速に冷めた荀攸は、珍しく大きな溜息をついた。
 「・・・先に顔を洗いましょう。
 俺も手を洗いたくなってきました。」
 千代の頬の感触は良かったが、満寵の臭い布の臭いが指についたかもしれないと思うと、急に手を洗いたくなって荀攸は提案した。
 「賛成です・・・ほのかに、頬に臭いがついちゃったんで!
 荀攸様の指にも多分ついてますよ。
 嗅いで下さいよ、凄いえげつない匂いするんで!」
 「絶対に嫌です。」
 地獄のような光景が広がる場所で、まるで執務室に居るかのようなやりとりは酷く久しぶりで、荀攸は場違いだが妙な安堵感を覚えた。
 何だか柔らかな気分になった荀攸は先ほどとは違い軽やかに足を運ぶ。
 横から千代が満寵の布の臭いについて何やら言っているのが、とても微笑ましく思えてしまう理由については考えない様にしながら。 
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