【本編10】Meets Extra 孤独なヴィランと黒い皇帝

 弱体化させたチルクサンダーを追ってきたテン・イーとアーテル帝国皇帝。
 好機、とテン・イーがそう言ったのは今この瞬間のためだった。

「ガ……ア、ぁあ……ッ」

 チルクサンダーの肌も何もかもが黒に染まり始める。
 瞳は濁って、身体中からは黒い霧が噴き出していた。

「チルクサンダー! しっかりしてよ、カミサマの眷属なんでしょ!?」

 ミチルの声は、すでに彼には届いていなかった。
 彼が普段から蔑むヒトに、卑怯な罠をかけられて弱体化してしまったからか。チルクサンダーは己の意志すらも、もう失っているように見えた。

「おい、お前ら、そいつから離れろ! クソチビ法皇もだ!」

 気を抜くとチルクサンダーの元へ走り出してしまうミチルを抑えながら、エリオットはあらん限りの声で叫んだ。イケメン三人と一匹は、兎にも角にもミチルの元へと一斉に戻る。
 エーデルワイスはその場を動かず、テン・イーによって何かに変えられようとしているチルクサンダーを観察していた。

「魔法刻印……それも二種類……ッ」

 見上げた視線はチルクサンダーの一つだけの角に注がれていた。
 真っ黒な角に、不気味に光る文字の羅列。それが、チルクサンダーを支配しようとしている根源だった。

 エーデルワイスから見ると、文字列は二本あり、それが螺旋のように絡まって角に走る。
 二本のうち一本の文字列だけが急速に力を失っているようで、その光が消えようとしていた。

「チルクサンダーァア!」

「ミチル、よせ!」

 エリオットの制止を聞かずに喚くミチル。けれどチルクサンダーには届かない。
 先ほどまでミチルに心底惚れ込み、それが全てのような精神状態だったのに。消えかけている文字列と何か関係があるのだろうかと、エーデルワイスは目を凝らしてその解読を試みた。

「そうか……それでワタシやミチルに干渉していたのか」

 エーデルワイスの呟きはその場の誰にも聞こえなかった。場は、チルクサンダーがその姿を異形に変えつつあることでさらに騒然となっていた。

「あぁ……ワタシ達との繋がりが消える」

 少年法皇の嘆きとともに、魔法刻印の一つが消え、もう一つの文字列がチルクサンダーの角をぐるぐると覆う。その文字が、テン・イーのこめた力を受けて一際輝いた後、チルクサンダーの姿を完全に変えた。



「あ、ああ……」



 背の高い影が尚も伸びていく。
 人の形を捨て、より高次元の姿をいく。



 クオォォォ……ッ!



 高潔な雄叫びを上げたチルクサンダーは、ドラゴンに成っていた。
 その体高は、決して大きくはない。せいぜいが数メートル。ラーウスに出現したベスティンクスの方が何倍も大きい。
 だが、その威厳というか発する圧力は比べものにならない。

 出現した影の竜を目の当たりにした一同は、その姿を見上げながら圧倒されていた。
 まるで、カミが降臨したような威圧感だった。

 片角かたつの影竜えいりゅうが降臨したのだ。



「チルク、サンダー……?」

 ミチルはその光景が信じられなかった。それから、ラーウスでの衝撃がまた蘇る。
 また、悲劇が起きてしまった。
 大切な人を、またベスティアにしてしまった。

「あ、ああ……ッ!」

 涙が後から溢れ出て、前が見えない。力が入らない。
 ミチルはショックに打ちひしがれる。

「あああ──っ!」

 思わず目を覆い俯いたミチルに、イジワルな、けれど明るい声が響いた。

「目を逸らすな、ミチル!」

「あ、う……」

 エリオットの声に、ミチルは覆った手を下ろす。
 涙で視界がぼやけている。勇気を持って瞬きし、目を凝らした。

「いいか、これは通過儀礼だ! だいぶヤベエ奴だけど、お前はこれを乗り越えなくちゃなんねえ!」

 目の前の竜に目立った素振りはまだ見られなかった。
 だが、テン・イーが次に何をしてくるかわからない。ミチルには時間がない。
 エリオットは声を張って、後ろからミチルの両肩を掴んで叫んだ。

「お前はアイツに運命を感じたんだろう!? だったらアイツを何とかするのはお前じゃないとダメだ! やってみせろよ、おれと父上を呪縛から解いてくれた時みたいに!」

 片角の影竜が咆哮する。
 その風圧で、ペルスピコーズ大聖堂の塔のひとつにヒビが入る。



 コオォォォ……



 その息遣いは、苦しんでいるようにミチルには見えた。

「チルクサンダー……」

 戻してあげたい。
 戻って欲しい。
 少し傲慢で、限りなく優しいあの笑顔に、また会いたい。


 
「ミチル」

 右手が温かい。ジェイがそっと握ってくれた。

「私の父の形見を取り戻してくれたのは君だ」

「ジェイ……」

「君なら、何度でも奇跡は起きる」

 ぽんこつナイトは、頼もしく笑った。



「ミチルっ」

 左手が温かい。アニーがぎゅっと握ってくれた。

「俺はミチルにどこまでもついていくよ」

「アニー……」

「君が、俺のホコリを取り戻してくれたあの日からね」

 ホストアサシンの笑顔は、安心をくれる。



「シウレンよ……」

 ふわっと頭上に温もりが舞い降りた。ジンの手だった。

「お前は儂に新たな世界を示してくれた」

「せんせえ……」

「恐れるな、儂はここお前の隣にいる」

 毒舌師範の言葉は、勇気をくれる。



「ミチル……」

 蒼い犬は、背の高い姿に戻っていた。ルークは真っ直ぐに目を合わせる。

「ぼく、ミチルのこと想う、それだけで力が出ます」

「ルーク……」

「ミチルの声、どこでも通る。暗い闇の底でも、君は光るから」

 優しいワンワンは親愛をこめて、跪いた。



 さあ、ミチル。
 チルクサンダーを取り戻そう。
 君が望むなら、それが運命だ。



「うん!」

 ミチルは顔を上げて一歩踏み出した。

「ミチル……」

 不安そうに立つエーデルワイスに、ミチルは力強く頷く。

「えぇちゃん、見てて。チルクサンダーは、オレが必ず取り戻す」

 見上げた先に、絶望の黒が覆っても。
 その中には絶対に光があるはずだから。



「……泣かせますなぁ」

 ミチル達のやり取りを、テン・イーは余裕を孕んだ笑みでもって眺めていた。

「健気なこと……ぉ」

 そして愉快さに口端が裂けると、両手を翻して何かの力を込める。



 ク、コ、ゴオォオオオッ!!



 影の竜がいっそう轟音を上げる。
 片方だけの角がますます黒く、そこに浮かぶ文字列が赤みを帯びて光り始めた。
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