番外編
ヒロイン名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
―――彼の吐息を、こんなに近くに感じたのは初めてだった。
互いに互いを慕っていることは分かっていたが、それを口にしたことは無かった。
否、口にしてはならないと思っていたのだ。
しかし、想いは伝えられないからこそ更に募る。
嵩を増した気持ちは、やがて堰を切って溢れだす。今がまさにその時なのだろう。
胸の奥からこみ上げてくる想いの奔流に身を任せ、そっと瞳を閉じ―――
「……ソフィア?」
思いがけず耳元で聞こえた声。
と、同時に背後から伸びてきた腕に突然肩を抱きしめられた。
『きゃあああっ!』
不意打ちに驚いたソフィアの口から悲鳴が飛び出す。
しかし、抱きしめた腕の主であるクラピカは、その大声にも眉ひとつ動かさずに、するりと後ろからソフィアの手にあった本を抜き取った。
『び、びっくりした…もう驚かさないでよっ!』
「さっきから声をかけていたぞ? ソフィアの耳には入っていなかったようだが」
そう言われて、ソフィアはきまり悪そうに目を泳がせた。
「寝る前に少しだけ」と思い、パジャマに着替えてベッドの上にぺたんと座り込んで読み始めた本だった。
だが、いつの間にか話しかけれても気づかない程に熱中してしまったらしい。
「こんな時間に根を詰めて読んでは、目が悪くなるぞ」
言いながら片手で器用にページをめくるクラピカに、ソフィアは慌てて本を取り返そうともがいた。
しかし、がっちり拘束する腕に阻まれてうまくいかない。
『ちょ……ねぇ、借り物なんだから、乱暴に扱わないでよ…』
「いかがわしい本なのか?」
『そ、そんなわけないでしょっ!?////』
「だが顔が赤いぞ?」
耳にぴたりと口を添えて呟く声がくすぐったくて、ソフィアは肩を震わせる。
「ほら、真っ赤だ」
クラピカの唇が耳たぶをたどって降りてきて、細い首筋に強く吸い付かれる。
ソフィアは甘い声が漏れそうになるのを必死で堪えながら、足をばたつかせて声を荒げた。
『もー! いかがわしいことしてるのはクラピカでしょー!////』
「確かにそうだな」
クラピカはソフィアを捕まえていた腕を離して、その手でくしゃしゃと彼女の髪を掻きまわした。
「それで、誰から借りた本だ?」
『……サラさんから。今、主婦の間で流行ってるんだって』
クラピカの胸に背中を預けて寄りかかったままの姿勢で、ソフィアは仕方ないというふうに解説を始める。
その借り物の小説は、いかにも女性が好みそうな甘く切ないラブストーリーだった。
時は戦争時代。
心優しく美しいお姫様と、彼女を幼い頃から守ってきた兵士との、身分違いの恋の物語である。
両想いなことは分かっていても、想いを交わすことはできない。
ふたりは常に一番近い存在であり、それが故に苦悩も深く―――
「……面白いのか?それは」
『あっ何そのバカにしたような言い方! 超面白いよー♡このふたりの距離感が切なくって! 近いのに遠い存在っていうのが胸に迫るの!」
「……互いのまつ毛が触れ合うほどの距離で見つめられ、胸が苦しくて目を閉じた。彼の腕に支えられながらゆっくりと身体は傾き―――」
『音読しないでぇぇっ!/////』
再び真っ赤になったソフィアの頭突きが顎に命中し、クラピカは「うごっ」と変なうめき声をあげた。
「……やはりちょっと、いかがわしいのではないか?」
『だーかーらー! ///だったらクラピカもよく読んでよ! 際どいことは一切書かれていないでしょ?』
顎をさすりながらもクラピカは、文章を目で追うのをやめなかった。
そしてなんとなく、ソフィアがこれを読んで赤くなっていた理由が、分かる気がしてきた。
「しかしソフィア、書かれてはいないが明らかにこの後このふたりは…」
『あー! だから言わないでそーゆーことー!////』
これ以上攻撃されないように、クラピカは再びしっかりと片腕でソフィアの肩を押さえ込む。
『なんとなーく匂わせるくらいで文章を止めるからこそ、読んでる人に想像させるの。そういうところが主婦に人気なんだって』
「想像か…」
だとしたら、今腕の中で可愛らしく頬を染めている嫁はどんな想像をしていたのだろうかと、クラピカはちらりとソフィアを見下ろした。
『それに……身分を越えた恋って、なんだか素敵でしょ?♡』
うっとりと呟く声。
成程、こんなふうに世の女性たちは物語の世界に心を遊ばせるのかと、クラピカは納得する。
片手でめくっていた本を、そっとベッドの脇に置く。
「まぁ、努力と根性さえあれば、身分の差も何とかなるだろうがな」
『そこは、「愛があれば大丈夫」っていうべきじゃないの?』
念の修行じゃないんだから、とソフィアが呆れたように言う。
「愛があるのは大前提だろう。そこから先は、当人たちの努力次第で道は拓ける」
『……うん、そうね。確かにそうかもね』
ソフィアはくるりと身体を反転させ、クラピカの胸に頬を寄せた。
『さすがクラピカだね。この作者さんに聞かせて続きに使ってほしいなぁ』
くすくす笑うソフィアを抱きしめて、クラピカはおもむろに体重をかける。
『え? ちょっと、クラピカ?」
「『腕に支えられながら、ゆっくりと傾く』だったか?」
『きゃ……!』
傾けられた細い身体が、ベッドの上に押しつけられる。
小説では、そこから先は描写されていなかった。
この後は、読者の想像次第というわけだが…
「想像よりは、実際の方が良いだろう?」
そう言ったクラピカは、ソフィアの唇に、甘いキスを落とした―――…
それから、数日後の夜。
クラピカが寝室のドアを半分ほど開けると、髪に隠れたソフィアの背中が見えた。
僅かに俯いた姿勢から、これはまた読書中かなと見当をつける。
足音をたてないようにしながら部屋に入り、ソフィアの後ろに立ち、手元を覗き込む。
先日のように夢中になって没頭しているのだろうかと思ったのだが…
その肩が震えているのに気づいて、クラピカは目を見開いた。
『……クラピカ?』
気配に気づいて、ソフィアが振り向く。
涙で濡れた藍色の瞳が、クラピカの姿をとらえた。
「ソフィア、どうしたんだ!? どこか具合でも……」
慌てて膝を折ったクラピカに、ソフィアはぶんぶんと首を横に振った。
その拍子に、まつ毛に光っていた涙の粒が零れて頬を滑る。
『だ、大丈夫。なんでもないから…』
「何でもない訳がないだろう? 泣いているではないか」
『……クラピカ…』
急に力が抜けてしまったかのように、ソフィアはクラピカにしなだれかかる。
『ほんとに、なんでもないの…』
「しかし…」
『……死んじゃったの』
「え?」
きゅっとクラピカのパジャマの裾を握りながら、ソフィアは呟いた。
『この本……』
ソフィアは膝元に手を伸ばした。
そこに伏せてあったのは、見覚えのある題名の本。
先日読んでいた本の、続編のようだ。
『あのね、しゅ……主人公のふたりが、死んじゃったの……』
「……は?」
ソフィアはクラピカの胸に顔をうずめ、いっそう肩を震わせる。
クラピカは、呆気にとられながらもしっかりとソフィアを抱きとめた。
つまり、ソフィアは物語の登場人物たちが亡くなったことに対して、涙を流していたというわけだ。
クラピカは「何だ、ほんとになんでもない事だな」と半ば呆れて半ば安心したが、
架空の話にそこまで感情移入ができるソフィアが微笑ましくて、頬がゆるむ。
「ソフィアは優しいな。こんなに悲しんでくれる読者がいるのだから、書いた作者もきっと喜ぶだろ…」
『違うのっ!』
ばっ、と顔を上げたソフィアがきつい目でクラピカを睨む。
その迫力に、クラピカは思わずたじろいだ。
『確かに悲しいのもあるけど…どっちかというとわたし、怒ってるの!』
「…そのよう、だな」
にわかに声を荒げるソフィア。
正面から彼女の視線を受けたクラピカは、ああ怒った顔も綺麗だなぁと呑気な感想を抱く。
この矛先が自分に向いていたとしたら悠長に構えてはいられないが、今回は完全にこの本について怒っているようだ。
だが涙を湛えた瞳できらめく強い光に、ひとまずクラピカは見とれた。
『あんなに真剣に読んでたのに…それが、あんな結末だなんてバカにしてる、納得いかないっ!』
「そこまで頭にきてるのは相当だな」
クラピカは、指を伸ばしてそっとソフィアの頬の涙をぬぐった。
その手で震える背中を抱いて、なだめるように撫でた。
唇を噛んでいたソフィアは、優しい感触に少しだけ表情をゆるめた。
そして、一方的に泣いて怒ってまくしたてた事が恥ずかしくなったのか、気を落ち着けるように幾つか息をついた後、上目遣いにクラピカを見る。
「それで、一体どんな結末だったんだ?」
『…話してもいい?』
「ああ」
ソフィアは寄りかかっていた身体を起こし、解説を始めた。
前巻で想いを交わしたお姫様と兵士。
しかし姫は、戦争の和議の代償として、敵国の王子との結婚を余儀なくされる。
敵国へ向かう途上、愛する人と添い遂げられない哀しみから姫は病に倒れ、死に瀕する。
姫がいなくては和議は成り立たない。
結果として戦争は再燃し、その中で兵士も深手を負う。
傷ついた兵士は最後の力で死が間近である姫の許に向かい―――
『……そして、二人は手に手をとりあって『最期に会えてよかった』なんて言いながら死んでゆくのよ! こんなの納得いかない! ありえないでしょ!』
「それは、まぁ…」
クラピカは首を傾げた。
確かに悲劇的な幕の下ろし方だが、これはこれで物語としてはきちんと成り立っている気もする。
「ありえない」と頭ごなしに否定する程、筋が破綻しているわけではないだろう。
「しかしソフィア、死をもって結ばれる恋人同士というものは、それはそれで絵になる結末ではないか?」
『……だから、ずるいよね』
目尻にわずかに残った涙を、ソフィアは指先で完全に拭う。
『不幸から抜け出せられませんでした。でも一緒に死ねたから幸せです…なんて。結局、どうすることもできなくなっちゃったから、死ぬことを解決策にして話をまとめちゃったって感じでしょ?』
手厳しい意見。
しかしここまで言い放つのは、彼女がそれだけ真剣にこの物語を読んでいたという証拠だろう。
『一緒に死んじゃってお終いなんて、卑怯だよ。いくら美しくて絵になる結末だとしても、わたしなら絶対そんな終わり方にはしないもん』
「…ではソフィアなら、どんな結末にするんだ?」
あまりに真摯な様子に、ついクラピカはそんな質問をしてみた。
ソフィアはクラピカの顔を見て少しの間考えるが、すぐに口を開いた。
『そうだなぁ、わたしだったら……こんなのはどう?』
思いついた、というように人差し指をぴっと立てて、唇の端を上げる。
『あのね、姫の病気は実は嘘で、姫の作戦だったの。死んじゃいましたって一芝居うって、政略結婚を白紙にしようとしたのね。それで、戦争が始まったら恋人の兵士はめざましい活躍をして、敵の王様をやっつけるの』
「はぁ…」
『そして、彼は大手柄の褒美として、姫の婿になるの。ほら、クラピカが前に言ったとおり、努力と根性で身分の差を乗り越えちゃうの!ハッピーエンドでしょ?』
我ながら名案とばかりに、ソフィアはにっこり笑って頷く。
悲劇という言葉は到底似合わない、明るい笑顔。
その顔を眺めていたクラピカは、つられたように笑うと、ソフィアを思いきり抱きしめた。
「ソフィアは、面白いな」
『……クラピカ、なんかそれって、バカにしているように聞こえるんだけど』
「褒めているんだ、心から」
ソフィアを抱いたまま、クラピカはぽすんと仰向けにベッドの上に倒れこむ。
「それで、ふたりが結婚して国を守り、めでたしめでたしで終わるのか?」
『そうだなぁ。その後は読者の想像にお任せします、ってところだけど…」
クラピカの胸の上に乗っかった格好になったソフィアは、首を伸ばして彼の顔を覗き込んだ。
『きっとふたりは戦争の世界をしぶとく生き延びて、子供を産んで家族が増えて、お爺さんとお婆さんになるまで仲良く暮らすの。若くして命を散らすより、そっちの方がずっとずっと幸せだよね』
クラピカはソフィアの髪に指を梳き入れてそっと撫でた。
地肌をくすぐるように動く感触に、ソフィアは肩をすくめる。
そんな可愛らしい仕草に目を細めつつ、クラピカはしみじみと息をつく。
「その姫が、ソフィアのような女性だったら……年寄りになるまで、ずっと飽きずに過ごせるだろうな」
『…面白いからってこと? ねぇ、やっぱり褒められてるようには聞こえないんだけど…』
ソフィアはそれには答えず、身体を反転させた。
ベッドの上に仰向けに転がされたソフィアが、きゃあ!と子供のような悲鳴をあげる。
感情豊かに、泣いて、怒って、たくさん笑って。
時折こんなふうに突拍子もないことを口にして、時折驚くほど鋭いところを突いてくる。
お前がこれから紡いでゆく人生も、きっとどこまでも明るくて、どこまでも前向きな物語なのだろう。
「私も、ソフィアとなら、一生飽きずに過ごせそうだ」
この先も、ずっと。
ふたりの幸せな物語は、続いてゆく。
そして、この瞬間を、この日々を、ずっと守ってゆこう。
この幸せを、祈りながら。
その祈りは、きっと届く。
end♡
12/12ページ