オリジナル編〚完〛
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
必死で走った。
……大好きな、あの人の元へ。
クラピカは自分を追いかける足音に気づいたのか、足を止めて振り返った。
追いついたところで立ち止まり、息切れするソフィア。
窓から射す夕日の光があまりに眩しくて、クラピカの表情が分からない。
なんて声をかけたらいいのか言葉が見つからず、迷っていると…
「…何の用だ」
先に沈黙を破ったのは、クラピカだった。
『…あの…』
震える声…すべては緊張のせい。
しかしソフィアは笑顔を浮かべた。
「貴様はいつ、ここを出て行くんだ?」
クラピカは冷たい目で静かに尋ねた。
『明日の朝に…』
「そうか、達者で暮らせ」
クラピカは冷たくそう言い放ち、興味を無くしたようにふいと顔を背けると、身を翻して歩き出した。
『ま…待って…!』
激しさを帯びた言葉に、クラピカの足がその場に止まる。
クラピカは拳を握りしめた。
「何だ…」
振り返らないクラピカの背中に、ソフィアは懸命に伝えた。
『…クラピカ………愛してる』
突然の告白にクラピカは、はっと胸を突かれた。
『今までだってずっと愛してた…これからもずっと変わらない。
クラピカとあった辛かったこと、悲しかったことも…私にとって大事な思い出だから…』
決して振り返らない背を見ていることが、どうしようもなく切なくて苦しい…。
でも、伝えるんだ。
後悔しないために。
オレンジ色の光が二人を優しく照らしている。
ソフィアの言葉など聞こえなかったふりをしてこの場を立ち去ることもできるのに、クラピカはそれをしなかった。
『わたし…クラピカを本当に愛してたから。それは、忘れないでね。わたしはどんなこともぜんぶ覚えておく…』
数々の思い出が頭の中をフラッシュバックする。
出会った日。晴れの日。雨の日。見上げた星空。ゼビル島。ヨークシンの夜景。デイロード公園。キャンプ場。
笑い合ったこと。傷つけ合ったこと。愛し合ったこと。すれ違ったこと。
笑顔。涙。声。肩。背中。指先。髪の毛。最後に交わす言葉。最後の後ろ姿。最後の香り。
最後の、そしてこれから訪れる、本当に最後の瞬間。
『一つ残らずぜんぶ…だからクラピカも、わたしのこと覚えててね…』
クラピカは何も言わずに先の道を歩き始めた。
決して振り返ることなく遠くなってゆく。
まるで山小屋で別れたあの日のように。
ただ一つ、あの日と違う事。
もう一生会うことはない。
会えないんだ…
クラピカの顔を見た瞬間、本当は涙がこぼれてしまいそうだった。
だけど、泣かなかった。
涙でクラピカの顔が、背中が見えなくなるのが嫌だったから。
それに、もしいつかクラピカがわたしの事をほんの少しでも思い出してくれる日が来たのなら…
泣き顔より笑顔を思い出してほしいから。
ここはクラピカと会うことができる唯一の場所だった。
解雇…
これからはクラピカが髪型を変えたとしても、誰かと結婚したとしても、分からない。
”もう二度と会うことができない ”
それは大げさかもしれないけど…きっともう会えない。
そんな気がするの。
将来も想いも、一緒にいた頃とはお互い何もかもが変わってしまった。
流れゆく月日が二人を変えた。
これからは本当にお互い知る事のない別々の道を歩んでいくんだ。
クラピカが幸せになってくれれば、それでいいと思ってた。
だけど…ただ傷つくのが怖かっただけなのかもしれない。
ずっと諦めずに追いかけるつもりだったのに、気がつけば立ち上がる事さえ怖くなってしまって。
…それは、クラピカに彼女が出来たから??
もう戻れないと分かっていたから??
そんなの今となってはただの言い訳にしか聞こえない。
後ろを振り返ることは、前に進めなくなることだと思っていた。
いつか、この時を思い出す日が来るだろう。
これからは後ろを振り返り、弱かった自分を見つめながらゆっくり前を進むよ。
走ったりしない…ゆっくりと。
恋をして、たくさん泣いて、たくさん嫉妬して。
…あの時流した涙は、いま思えばすごく痛々しくて酷かったかもしれない。
でもそんな涙や苦しくて悩む姿さえも、きっとすごく輝いてたね。
この一ヶ月半で、確実に変わることができたよ。
記憶を思い出せずに、わたしから去ってしまったあなたを…
たぶん一生許せないし、忘れないし、大好きです。
わたしはあなたに会えて、幸せでした。
すごくすごく幸せでした。
本当にありがとう。
ーーー10月23日。
朝日が射しだした誰も起きていない早朝。
ソフィアは荷物を抱えて、部屋を出た。
廊下を歩いていたとき、クラピカから貰ったある物を返しそびれてしまったことを思い出した。
左耳についたイヤリングをはずす。
それは…クラピカから貰った、クラピカの大切なひし形のイヤリング。
このイヤリングを持っていたらクラピカのことを思い出してしまいそうだった。
それに、クラピカは無くしてしまったのかと落ち込んでいたかもしれない。
だから…ソフィアはイヤリングを強く握り締めて、クラピカの部屋に歩き出した。
本当は行かない方がいいのかもしれない。
心でそう尋ねながらも、本音を言えばもう一度会いたい。
せめて、もう一度。
これで、本当に最後だから。
クラピカの部屋の前、おそるおそるドアを開ける。
ソフィアは静かに音を立てないよう忍び足で部屋に足を踏み入れた。
と、その時、目に飛び込んできたのは…ベッドで横になっているクラピカの姿。
顔を壁に向けているから、クラピカの顔を確認することができない。
薄暗い部屋。カーテンは閉ざされたまま。
もし今、クラピカが目を覚ましてしまったとして、わたしが部屋にいることを知ったら、おそらく不快な気分になるだろう。
ソフィアは静かにクラピカに近づいた。
手を開き、握り締めていたイヤリングを見つめた後、そっとクラピカの左耳にそれをつけた。
軽く寝返りをうつクラピカ。
ソフィアは眠っているクラピカの顔に自分の顔を近づけると、クラピカの頬に軽く優しいキスをした。
これが、最後のキス。
クラピカ……
さようなら。
静かにその場を離れて、ドアの前で振り返る。
最後にもう一度、クラピカの姿を目に焼き付けると、ソフィアは部屋から出て行った。
もう、絶対に後ろを振り向きはしない。
立ち止まらない。
わたし、頑張ったよね?
『…また、こんなに誰かを愛せるかな?』
込み上げるたくさんの想いを抱えて空を見上げる。
雲が流れ…クラピカと別れた日も、こんなふうに流れてたっけ。
でも、あの頃とは違う。
確実に前に進み始めてるよ。
あの日遠くなってゆく背中を追いかけなかった自分を、笑顔で大好きな人の幸せを願った自分を、いつか誇りに思えるように…。
大好きな人、幸せになれますように。
たくさんの日々をありがとう。
この日を最後にソフィアは新しい恋を見つける決意をした―――…
―――――――
――――――――――…
クラピカは、ぼんやりと瞼を開いた。
起き上がってベッドから降りると、カーテンを開く。
気持ちとは裏腹の晴天だ。
今日はノストラードファミリー解散の日。
長かったようで短かったボディガードの仕事もついに終わりを迎えようとしている。
こうしてクルタの衣装を身にまとうのは今日が最後かもしれない。
明日からはゼンジの元で働く。
今まで当たり前だったことが明日には”あの日”と呼ばれるようになるだろう。
だがその変化を未だに実感する事ができない。
私の中で、まだ割り切れていない何かがある。
しかしそれが何かは分からない。
胸の裏側に張り付いているそれは、腫瘍のように重々しい不快感を覚えさせる。
今のうちに綺麗に取り除いておかなければ、私は曖昧なわだかまりを抱えたまま、これから先の日々を過ごすことになる。
それは思っているよりもずっと、痛々しい毎日になるだろう。
だからこそ、それらを取り除くには、もう一度過去を始めから振り返り、解決する必要があるように感じた。
クラピカはふと鏡を見た。
左耳が一瞬光った。
見間違いだと思った。だが、見間違いではない。
ーーーそう、それは、父の形見のひし形のイヤリング。
どうしてだ。
何故、私の耳についている。
昨日までは確かに無かった。
無くしてしまったのだと思っていた、それなのに…
考えられるのは、ただ一つ。
私が寝ている間に誰かがつけていったのか?
いったい誰が……
誰が持っていた。心当たりがない。
誰かに渡した記憶もない。
誰かに…渡した…
「………」
逆流していく情景。
部屋が見える、あれはどこだ。
脳裏に甦る声。
私が誰かと話している。
ーーー「それは父の形見だ。失くすといけないから、預かっててくれ。私がいない時でも、これがきっとお前を守ってくれる」ーーー
ドクン。心臓が跳ね上がる。
両方のこめかみを押さえるようにして、クラピカはこれ以上にないほど目を見開く。
ーーー…
声。高く透き通った声が聞こえる。
ーーー『え、そんな大事なものならクラピカが持ってた方が…』
「お前に、持っててほしいんだ」ーーー
私は誰に渡したんだ。
ーーー…
声だ。私を呼ぶ声。あれは。
どうしても覚えられない彼女の名前。
彼女の顔。
すぐに心の中から泡のように消えて、決して残らない。
彼女が泣いている。
どこだ、どこにいる。
お前のそばにいると決めた。
お前に全てを捧げると決めた。
お前を守ると決めた。
彼女はどこだ。
彼女…いや、私は名前を知っている。
彼女の名前を知っている。
強さを秘めた、譲らない瞳を知っている。
見るものを和ませる明るい笑顔を知っている。
元気にはしゃぐ姿を知っている。
そして、私を見て、私の名を呼ぶその声を。
ーーー『クラピカ…』ーーー
そうだ。
「………」
クラピカの瞳に、静かな光が灯った。
彼女の名は…
「…ソフィア…だ…」
クラピカは部屋を飛び出し、ソフィアの姿を探した。
「ソフィアっ…!!」
クラピカがどんなに館中を探しても、どんなに呼んでも、ソフィアの姿が見当たらない。
まさか、もう館を出てしまったのか。
「嘘だ、ソフィア…っ!ソフィア!!」
半狂乱になったクラピカを、廊下ですれ違ったバショウはクラピカの腕を捕える。
「おいクラピカ!いったいどうしたんだ!とにかく落ち着け!!」
「離せ…っ!!ソフィアはどこだ!!」
「ソフィアは見てねーぞ。もう行ったんじゃねーか?」
我に返ったクラピカは、茫然とそのまま崩れた。
「……私…は…」
脳裏を駆け抜けるのは、記憶を失ってからの凄惨な光景の数々。
クラピカは口元を手のひらで覆った。
「…私は……っ!」
そのまま絶句したクラピカに、バショウは心配した表情で告げた。
「おい、大丈夫か?お前、荷物もあるだろ?とにかくお前の部屋に戻るぞ」
クラピカの肩が、僅かに動く。
ゆっくりと立ち上がり、部屋に足を運んだ。
部屋に戻り、クラピカはベッドに腰を下ろす。
最後にソフィアが、別れを言いに私の元に来たとき。
私を見て、ソフィアは笑った。
私が何をしたのかも、彼女は知っているのに。
それなのに、ソフィアは。
「私は…っ」
クラピカは両手で顔を覆い、血を吐くような悲痛な声でうめいた。
next…