オリジナル編〚完〛
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『ーーーーー…』
ソフィアは、瞬くことも忘れてクラピカの深い緋の眼を見つめていた。
見られてしまった。
わたしの記憶を思い出す前に…
この殺伐した状況に逃れられない。
ソフィアはうなだれた。
言葉もなく腹の辺りの服を握り締めて、肩を震わせる。
そんなソフィアに、クラピカは低く怒気のはらんだ声で問いかけた。
「お前は…クモだったのか。今まで私を騙していたのか?」
燃えるような激しい瞳でソフィアを見据えている。
ソフィアは、震える声を喉の奥から振り絞った。
『…違う、だましてた訳じゃない。色々事情があって、無理矢理クモに入団させられたの…!』
「だがお前は…クルタ族であったお前は…裏切った。我々同胞を裏切ったんだ!!」
ソフィアはびくりと全身を強張らせた。
心臓が見えない鎖で縛られ、締め上げられる。
しかし、ソフィアは答えた。
『裏切ったのは事実…でも信じて!わたしはもうクモの一員じゃないの!
わたしはもう二度とクラピカを裏切らない。クラピカのそばにいるって前にあなたと約束したの!!』
「黙れ!!貴様は初めから私の命が狙いだったのだろう!!その為に私に近づいて恋人になりすました!!違うか!?」
ソフィアの中で、何かが音を立てて砕け散る。
『ちがう!!そんな訳な…』
その時、クラピカは右手を上げて中指から出た鎖(チェーンジェイル)で体の自由が効かないようソフィアの体を縛った。
『…っ!お願いっ、信じてクラピカ!!』
ソフィアは悲しみで涙が溢れるが、必死に訴えた。
しかしクラピカは突き刺さるように鋭い視線で、ソフィアを睨みつける。
「黙ってろと言っている…この裏切り者がッ!!」
ソフィアの瞳が凍りつく。
硬直したソフィアの耳に、クラピカの悲痛な叫びが突き刺さった。
事実を突き付けられる度に、声にならない悲鳴が喉の奥に絡まって、胸をふさぐ。
クラピカは小屋の中にあるサバイバルナイフを手に取ると、ソフィアに近づいた。
「…怖いか?」
静かな問いかけとともに、視界にきらめく切っ先が掠めた。
首に冷たいナイフを押し当てると、そのナイフはゆっくりと下に移動し、蜘蛛の刺青の刻まれた場所に押し当てられた。
ソフィアは自分を見下ろしてくるクラピカの冷たい瞳を、まばたきすることも出来ずに見返した。
クラピカは表情のない顔で、ソフィアを凝視している。
わたし…このままクラピカに殺されるの??
いやだ…死にたくない…
でも…
クラピカが望むなら死んでもいいよ。
わたしの命は、クラピカの為にあるから…
「楽には死なせない。我々を裏切った罪だ」
ソフィアの瞳が再び凍りつく。
凍てついたソフィアの耳に、冷たすぎていっそ穏やかな声音が突き刺さる。
「貴様は決して消えない罪を犯した。これが、その報いだ…!!」
クラピカはナイフを引き、ソフィアは思わず目を閉じた。
勢いをつけて一気に腹部を裂こうとした。
その時…
「ソフィア!!クラピカ!!」
扉が勢いよく開かれ、ゴンの声がクラピカの手を止めた。
小屋の中に入ってきたのは、ゴン、キルア、レオリオの姿。
三人はその光景に目を疑った。
誰もいない狭い小屋の中、ソフィアはクラピカの鎖に全身を縛られ、その傍でクラピカが上半身裸でサバイバルナイフを片手に持っている。
愕然としたゴンが、か細い声で尋ねる。
「クラピカ…なに、してるの??」
絶句して立ち竦むキルア、レオリオも口を開く。
「オイ…ソフィアに何する気だ」
「クラピカ、オメェはやっぱり男だったのか!!…て、んなこと言ってる場合じゃねェ!!ソフィアを離せクラピカ!!」
クラピカは緩慢に振り返った。
恐ろしい緋の眼で三人をぎっと睨みつける。
「私の邪魔をするな…お前達もこの女がクモだった事を知っていたのか?」
冷たく問いかけるクラピカに、三人は目を見開いて固まった。
黙然とする三人に更に苛立ちが増す。
「私の質問に答えろ!!」
確かな本音を言えば、キルアとレオリオはともかくゴンの事はまだ信じている。
いや、信じようとしていると言った方が正しいのかもしれない。
この先ゴンの口から出る言葉が、どうか思い通りの結末であるようにと、心から祈っている。
「……知ってたよ」
瞬間、全身が闇に包まれ、それと同時に時間をかけて積み上げてきた友情という名の積み木が音を立てて崩れていった。
その下にあった信頼という名の土台さえもが、崩れ落ちる積み木達によって跡形もなく粉々に砕け散っていく。
ーーー友達じゃなかったのか。
「お前達も…私を騙していたのか?」
低く、怒気をはらんだ問いかけだった。
ゴンは真剣な眼差しで答えた。
「違うよ!騙してた訳じゃない。クラピカがソフィアの記憶を思い出さないと、誰もこの事は言えなかった」
「言えなかっただと…?それがつまり、私に対しての裏切りではないのか!?どうなんだゴン!!」
いきり立つクラピカに、レオリオが怒鳴り返す。
「いい加減にしろよクラピカ!!ダチが裏切る訳ねーだろうがよ!!
ソフィアがクモに入団したのは奴らに念で記憶を入れ替えられたからだってオメェがオレ達に説明したんだろ!?」
思わぬレオリオの言葉に、クラピカは虚を突かれた。
「私が…?」
クラピカはうなだれた。
思い出せない。
何も思い出せない。
私が皆に説明したのか…?
「クラピカ、ソフィアは確かにクモだった!だけどソフィアの意志じゃない!全部クモのせいなんだ!
ソフィアはずっとクラピカの味方だった!それはオレ達が見てきたことだ!信じてよクラピカ…」
『…ゴン』
ソフィアはゴンを見つめた。
予想だにしなかったゴンの言葉に、クラピカは呆気に取られた風情で目を見開く。
しばらくそうやってゴンを見ていたクラピカの目が、ふいに大きく揺れた。
だが、一瞬見えた光は直ぐに隠されて、冷徹な表情がその顔を覆った。
「…信用できないな。お前らの中には既に裏切り者がいる」
キルアの心臓を、氷の指が握り潰した。
愕然と瞠目したキルアを凝視していたクラピカは、更につづけた。
「キルア…お前はもう、仲間でも何でもない。仲間の恋人に手を出した裏切り者だ」
「…キルアが?」
無意識の声が、ゴンの唇からこぼれた。
凍てついた瞳。何かを恐れるような、怒りを感じているような。
そんな目をしたキルアを見るのは、初めてだった。
「はぁ!?キルアがそんな事する訳ねーだろ!!何言ってんだクラピカ!!」
怪訝そうに眉を寄せながら怒鳴るレオリオ。
キルアはクラピカを睨みながら答えた。
「あぁ、裏切ったよ。オレはソフィアに手を出した」
ゴンとレオリオは驚愕した。
小屋の中心で睨み合う二人。
…背が高く緋の眼のクラピカはかなりの迫力だ。
それに負けじとキルアも睨み返す。
緊迫した空気の中、キルアはそれまでずっと一番深い場所に閉じ込めていた胸の内を初めて口にした。
「…クラピカは友達だし、ずっと黙ってようと思ってた。二人がうまくいってれば、それでいいって思ってた。
でもクラピカはソフィアの記憶をなくして、散々苦しめて、泣かせて…挙句の果てにはクモだからって殺そうとした。
…もう遠慮はしない。ソフィアはお前なんかに渡さない。
ソフィアに手を出してみろ、オレがお前を殺してやる。ソフィアをこれ以上、苦しめんじゃねぇよ…!!」
最後に怒号を張り上げ、ぎっとクラピカを睨みつける。
それは、絶対に譲らない目で。
対するクラピカはしばらく茫然とキルアを見下ろした後で、ソフィアに振り返った。
ソフィアはびくっと身を竦ませる。
クラピカはソフィアを縛っている鎖を外し、椅子にかかった上着を手に取ると着替え始めた。
恐ろしい沈黙が続き、ぴりぴりと空気が張りつめている。
着替えを終えたクラピカは4人の存在を一切無視して外に出ようと歩き出す。
それまでずっと凍りついていたソフィアが、無意識に名前を呼んだ。
『……クラピカ……』
クラピカの両眼が激しく煌めいた。
クラピカは緩慢に振り返った。
突き刺さるように冷たい眼差しが、ソフィアを射貫く。
「貴様と私は今から一切の他人だ。もう二度と気安くその名を呼ぶな」
ソフィアの心が、音を立てて凍りついた。
手が震える。
必死でそれを抑えて、冷たくなった手のひらを握り締めた。
まばたきを忘れた瞳が、クラピカを見返す。
色を失ったままの顔に表情はない。
ただ、深い緋の眼の眼差しだけが眩しい。
やがてクラピカはふいと顔を背けると、身を翻して姿を消した。
今になって腹部に刻まれた刺青が痛み出す。
この痛みはクラピカを傷つけてしまった…罰。
クルタ族を裏切った…代償。
「…ソフィアっ!!」
ひどく切羽詰まったような甲高い声は、誰??
「大丈夫か!?真っ青だぞ!!」
大人びた言い方で、心配げな響きが含まれた声…これは??
目の奥が熱いのは、どうして。
見えない。みえない。ミエナイ。
見たいものはなに。
胸の奥で、大切な何かが砕ける音がする。
これはなんの音??
誰かが前に膝をつく。黒い瞳、これは誰。
音が聞こえない。
風の音や、葉擦れや、草のざわめきや。
そういったものが全て消えて、代わりのように木霊する声がある。
ーーー「私はお前が大事だ。自分を責める必要などない。それでも責任を感じるのなら、私の為に生きろ。私もお前の為に生きる」ーーー
くらりと世界が揺れた。
違う。揺れたのは、別のもの。
ーーー「命を懸けてお前を守ってみせる」ーーー
守ると、言ってくれた。
言ってくれたのは…。
ーーー「だから…私の傍にいてくれないか?」ーーー
傍にいろと、言ってくれたのは…
あれからのクラピカは、ログハウスに戻り、ネオンとセンリツを連れて先に館へ帰省した。
ソフィア、ゴン、キルア、レオリオは遅れてバスに乗った。
帰りのバスはほぼ貸し切りで、4人は一人二席を使って広く座っている。
ソフィアは映り変わる窓の外の景色をただ茫然と眺めている。
ソフィアは未だに未熟で、心が幼く、だがそれ故に純粋で、強く、脆い。
誰よりも信頼していたクラピカが自分を殺そうとした。
その事実が、ソフィアにどれほどの衝撃を与えたのか、ゴン達には予測もできない。
「……心ここにあらずって感じだな。まぁ、無理もねェな」
小声で呟いたレオリオにゴンが振り返って答えた。
「クラピカが自分を、なんて…考えたくもないよね」
キルアが深慮深げな目をして、眉間にしわを寄せる。
「衝撃を受けたことには変わりねぇよ。しばらくそっとして置いた方がいいのかもな」
「…そうだね」
ゴンは窓の外の景色をひたすら眺めているソフィアを見つめて、眉を寄せる。
でも、とゴンは椅子の上で膝をついて椅子から顔を出し、後ろのレオリオとキルアに問いかける。
「ソフィア、なんでクラピカがいないのに、あんなに平気そうな顔してるのかな?」
虚を突かれたレオリオが、目をしばたたかせて反論する。
「平気なわけねェだろ。あれほどクラピカに傷つけられたらな」
「そうじゃないよ」
ゴンは顔をしかめた。
「そうじゃなくて、平気な顔なんかしてないで、辛いって言って泣けばいいのにってことだよ。
ソフィアらしくないし、あんなソフィア見てるだけで辛いよ。レオリオ、そんなことも分からないの?」
詰め寄られたレオリオは、少々のけぞり気味でとりあえず同意する。
「それはそうだけどよォ…」
ゴンは暗い面持ちでつづけた。
「それにさ…あんなふうに声を荒げるクラピカなんて、今までほとんど見たことない。クラピカ、なんだか人が変わったみたいだよね」
息をつくゴンにキルアは近づいて、指で軽くゴンの額を軽く弾いた。
「ぃたっ!」
「バ~カ」
呆れ半分の笑みを作って、キルアはレオリオの隣に座った。
「うわべだけで量んじゃねーよ。確かにクラピカは普段は冷静で静かだし、感情もあまり読めねーからな。
でもオレ達の中で一番情が強いのは、クラピカだ」
思いもよらないキルアの言葉に、ゴンとレオリオは目を丸くして互いの顔を合わせている。
「それに…」
キルアは椅子から降りて、ソフィアの顔が見える位置に移動した。
ソフィアの血の気のない表情は、生気を失っている。
ときどき思い出したように薄っすら瞼を開けて、目線を泳がせているのが見て取れた。
自分を倣うようにしてソフィアを見るゴンとレオリオに、キルアは静かに告げた。
「あれは、泣かないんじゃない。ーーーー泣けないんだよ」
next…