ヨークシン編
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闇の中だ。
クラピカは周りを見回した。
この闇を、知っている。
心臓が早鐘を打った。
早く、早く探さなければ。
必死で目を凝らしていたクラピカは、向こうに歩いて行こうとしているソフィアを見つけた。
「ソフィア!!」
クラピカは懸命に駆け出した。
だが、いくら追いかけても二人の距離は縮まらない。
「ソフィア!!ソフィア待て!!行くな!!」
頼む。
頼む、どうか…
クラピカは声の限りに呼び続けた。
「ソフィアーーー!!」
はっと目を開けたクラピカは、慌てて上体を起こした。
病室の中。
目の前には眠っているソフィア。
その彼女の手を握り締めていたクラピカは再び目を閉じた。
私を守る為に深い傷を受けたソフィアは、それきり目覚めることなく、かすかな呼吸を繰り返していた。
あれから3日が過ぎた。
ソフィアは、ずっと夢の中にいる。
安らかな表情だ。
彼女の夢の中に、私はいない。
きっと彼女は、私のことを待っているのだろう。
私が行くまで…待つ気なのか?
明日も、明後日も…
ーーー『もうぜったい離れない…』ーーー
信じている。
ソフィアが残した、言葉。
手に力を込めて、クラピカは唇を噛んだ。
「ソフィア……どうか…」
クラピカは切に願う。
逝くな。
お前の手をこうして握って離さない。
だから、お前も私の手を離さないでくれ。
この手の中からすり抜けて、心だけを置き去りにしていくことだけは、しないでくれ。
魂を裂かれるようなあの苦しみを、悲しみを、私は忘れていない。
「頼む…目を、覚ましてくれ…!」
それは祈りにも似た想いだ。
その姿を見たキルアは、さすがに声をかけるのをためらった。
痛ましい背中が、誰も近寄るなと訴えている。
だが、クラピカの体のことも心配だ。
「………クラピカ」
呼ばれたクラピカの背が、かすかに反応した。
しかし、それだけだ。
返答は期待していなかったので、キルアは構わず歩を進める。
「…大丈夫か?」
やや置いて、抑揚の欠けた硬い声が返った。
「怖いんだ…」
恐ろしく、怖い。
もし、助からなかったらと思うと…
「キルア…もし、ソフィアが死んだら、私はどうすればいい?」
顔を歪めてクラピカはつづけた。
「…私の、せいだ…」
クラピカの言葉に耳を傾けていたキルアは、手に持っていた弁当の入った袋を机に置いた。
「…クラピカのせいじゃねェよ。今日も今朝から何も食べてないだろ?」
「…すまない、キルア。食べられそうにない…」
「それで看病できるかよ!!」
いきり立つキルアに、クラピカはキルアを見返す。
キルアは拳を握り締めた。
クラピカの気持ちは痛いほどよく分かる。
だがキルアは、3日間なにも口にせず、ろくに睡眠も取っていなかったクラピカの体が心配だった。
しばらくの沈黙の後、キルアは冷たく言い放つ。
「食べろ、無理にでも」
そう言い残し、キルアはその場を後にした。
しばらくたち、クラピカはキルアが置いていった弁当を手に取ると、静かに病室から出て行った。
ロビーの椅子に座り、弁当のおかずをゆっくり口に入れていくが、中々喉を通らない。
一口、二口と手を付けた弁当のふたを閉じると、クラピカはソフィアの病室に足を運んだ。
すると、ソフィアの病室の前で一人の男が立ち竦んでいる。
クラピカの心臓が、何かに叩かれたように跳ね上がった。
手の力が緩み、弁当箱を落とす。
「クロロ…!」
悲鳴のような叫びがクラピカの口から迸る。
クラピカはクロロの元に近づき、胸倉を掴み上げて怒号した。
「貴様…ッ!!この期に及んでまだソフィアを奪う気か!!」
「…もうじきリリーは死ぬ。最後に別れを言いに来ただけさ」
感情の燃え上がる激しい緋の眼がクロロを射貫く。
クラピカは怒気のはらんだ声を張り上げた。
「別れを言いに来ただと…!?ふざけるな!!誰のせいでソフィアがこんな目にあったと思っている!!」
クラピカは左拳を振り上げ、クロロの右頬を怒りに任せて殴った。
クロロは顔を横に向けたまま、唇の端を吊り上げる。
それを見たクラピカの眼が、更に怒りに燃え上がり、再びクロロの顔面を殴り出した。
ここは病院だということも忘れ、冷静さをすっかり失ったクラピカは、何度も何度もクロロを殴りつける。
周りの患者はその光景をただ見ていることしか出来ずに、慌てながらも立ち竦む。
その時、偶然にも廊下でリハビリをしていたレオリオがその騒ぎに気がつき、殴りかかっているクラピカの元に近づいて腕を力強く掴んだ。
「オイ!やめろクラピカッ!!ここは病院だぞ!?冷静になれ!!らしくねーぞ!!」
クラピカの思いが、握り締めた腕から痛いほど強烈に伝わってくる。
いや…分かってる!!
冷静でいられるわけがねー。
長年追ってきた同胞の仇!!
それに、同胞でたった一人のソフィアをこんな目に合わせた張本人。
その元凶が目の前にいるんだ。
でも、言うしかねー!!
「こいつをいくらぶん殴っても、ソフィアの状態が良くなる訳じゃねーんだ!!」
レオリオの説得の言葉に、クロロは薄く笑みを浮かべて言い放つ。
「確かに状態が良くなることはない。彼女の息遣いを見てればわかるだろう?もうリリーは長くないさ。俺を殺したいなら、いま好きなように殺せばいい」
クラピカの緋色の眼が冷たく煌めいた。
「貴様は…ソフィアを愛しているのだろう?ならばなぜそんな簡単に、彼女が死ぬことを受け入れられるんだ!!答えろ!!」
クラピカが怒号を上げた、そのとき。
突然、看護婦、医者がソフィアの病室に駆けつけて入っていく。
立ち上がり、息を詰めるクラピカの前で、ソフィアが医者に酸素マスクをつけられ、悶え苦しんでいる。
どくんと、クラピカの心臓が跳ねた。
凍りついた彼の耳に、クロロの言葉が突き刺さる。
「…人は必ず、いずれ死ぬ運命だ。それを受け入れてやるのも確かな愛情だ…分かるか?鎖野郎」
それを最後に、クロロはその場から歩き出した。
クラピカとレオリオはクロロを追わず、病室に入ろうとするが、看護婦は病室に入ることを固く禁じた。
次第にゴン、キルア、センリツも訪れ、内心で祈りながら扉が開かれるのを全員で待つ。
そして、およそ30分後。
扉が開かれ、医者が姿を現した。
全員が医者を見つめる中、医者は暗い表情で黙然と頭を振る。
嫌な予感がクラピカの胸を強く締め付ける。
「残念ですが…」
医者の言葉が耳から耳へと通り抜けた。
クラピカはベッドで横になっているソフィアの元へと足を運んだ。
目を閉じて眠っているソフィア。
後ろから泣いている声が聞こえる。
なぜだ。
どうして泣いている。
昨日と状況は何一つ変わらない。
クラピカは後ろに目を向けることなくソフィアの肩を揺する。
「…ソフィア?もうすぐ昼だぞ。起きるんだ…」
いくら揺すってもソフィアは動かない。
目を覚まさない。
クラピカはざっと血の気が下がっていく音を耳にした。
ソフィアの頭を軽く右手で抱えた。
そして、ソフィアの唇に強めのキスを落とした。
冷たい唇。
呼吸が感じられない。
クラピカの心臓が跳ねあがった。
唇で温かさを感じ、耳で鼓動を感じる。
触れる唇の温もりは生きている証。
体で響く鼓動は生きている証。
今は何一つ感じることができない。
ソフィアの頭を静かに枕に下ろし、両手でソフィアの肩を掴んだ。
「…ソフィア。私と約束しただろう。お前を必ず、嫁にしてやると…お前の知らない外の世界を見せてやると…約束した時、お前はあんなにも喜んでいたではないか。
それなのに、私を置いていくのか?そんなこと、この私が許さない。目を開けるんだ、ソフィア…っ!」
応えは、ない。
窓から差し込む眩しい日差しが当たっているソフィアの顔。
日差しが当たっている部分だけはほんのり温かい。
ソフィアの手を布団の中からそっと取り出し、指を絡めて強く握る。
握り返してくれることは、もうない。
昨日まではあんなに温かったのに…
今日はとても冷たい。
いつもこの手を握ると、握り返してくれた。
この手で私を抱き締めて、温めてくれた。
ソフィアの顔は、今にも起きて笑いかけてくれそうだ。
なのに、どうして動かない?
ソフィアの手を握っていると、心が途切れ、涙が溢れた。
涙はソフィアの額に零れ落ち…この想いはソフィアに届くのだろうか。
…ソフィア。
お願いだ。
もう一度、私の名前を呼んでくれ。
お前がいなければ、明日から何を生きがいにしていけばいいのだ。
一度失ったお前を、もう二度と失わないと決めた。
私の命を懸けて、お前を守ると誓った。
守ると言ったのだ。
それなのに、もうお前に一生会えなくなってしまうのか?
お前を失うのは…
もう、絶対に嫌だ!!
「ソフィア…死ぬな…私を置いていくな…目を開けろ、息をしろ!ソフィア…戻ってくるんだ…っ!!」
昨日までの冷静な自分はもうどこにもいない。
我慢していたものが全て溢れ出す。
私がこんなにも弱い人間だったとは…
お前に会って初めて思い知った。
「…ソフィア…っ!!」
神様。
私は貴方を一生恨み切れないほど恨むだろう。
なぜ…なぜソフィアを連れていく。
もう、私から全てを奪わないでくれ。
まだ伝えてないことが沢山ある。
果たしてない約束が沢山ある。
だから今すぐソフィアを返してくれ。
今すぐ…ソフィアを返してくれーーー…
守れない約束をしたーーーー。
真っ白な世界。
前にもここに来たことがある。
お母さん、お父さん…クラピカのお母さんがいた。
遠い。
随分歩いてきたのに、まだまだ行き着かない。
でもこのまま歩いていけば、きっと皆が…
その時、後ろから声が聞こえた。
「ソフィア……ソフィア……」
反射的に後ろに振り返ると、クラピカがソフィアを見つめて笑っていた。
『…クラピカ?』
するとクラピカは、そうだと手を伸ばす。
「ソフィア、おいで…」
優しい響き。優しい香り。
大好きな笑顔。大好きな、声だ…
ソフィアは惹かれるように、クラピカの元へ足を運んだーーー…
それまで握り締めていた指が、ふいにぴくりと動いた。
それに気が付いたクラピカはソフィアの顔を見た。
ソフィアの目蓋が微かに震えている。
クラピカは慌てて、必死にソフィアに話しかけた。
「そうだ…戻ってくるんだ!ソフィア!!」
それに気づいた後ろの4人もソフィアの名前を必死に呼んだ。
そして…
ソフィアの唇が薄く開き、呼吸をし始めた。
クラピカは後ろに振り向いて声を上げた。
「ソフィアが、意識を取り戻したぞ!!」
クラピカの言葉に、後ろにいた医者は驚愕した。
「…奇跡だ。まさか、そんなことが…」
レオリオ、ゴンはソフィアの元に駆け寄った。
キルアとセンリツも近づき、しばらく呆然とソフィアを見下ろした後で、肺が空になるまで息を吐き出した。
小刻みに震えている右手で目許を覆って、キルアは低くうめいた。
「…あまり…心配かけんなよな…」
クラピカは自分の胸を撫で下ろすかのように優しくソフィアの髪を撫でながら、呼吸を繰り返す彼女をただ見つめていたーーー…
ソフィアは、ぼんやりと瞼を開いた。
「……ソフィア、気がついたか?」
覗きこむようにして、クラピカがソフィアをじっと見つめている。
『……クラピカ、無事でよかった…』
ほっとしたように呟くと、クラピカは目を細めて小さく頷く。
かすんでいる思考の中で、 ソフィアは熱に浮かされたような口調でとつとつと言葉をつむいだ。
『…夢…見たの』
あぁ、とクラピカが頷く。
『何も見えない白い場所で、クラピカが、ずっとわたしの名前を呼んでた…』
何度も名前を呼んで、優しい笑顔で手を差し伸べてくれた。
いま、こうしてクラピカが隣にいてくれる。
それだけで、凄く幸せに感じる。
これはきっと、夢のつづきかな。
クラピカに会いたくて、会いたくて、仕方なかった。
ゆっくり首をめぐらせると、白いカーテンが、風でかすかに揺れていた。
「…天気が良かったから、窓を開けていたんだ。寒いか?」
問いかけるクラピカに、ソフィアはクラピカを見つめて、申し訳なさそうに答えた。
『ううん、大丈夫。……ごめんね、クラピカ。たくさん心配かけちゃったね……』
クラピカはソフィアの手を取って、冷たい指をあたためるように握り込む。
「休んでいれば、すぐに良くなる。……本当に、すまなかった…こんな危険な目に合わせて…」
ソフィアは静かに首を振った。
『ううん。クラピカのせいじゃないよ』
微笑むソフィアの優しさが嬉しくて、ほんの少しだけ胸が痛い。
『クラピカ…?』
どうしようもなく目頭が熱くて、クラピカは泣いているようにも見える笑顔で、黙ったまま頷いた。
名前を呼んでほしいと、ずっと願っていた。
あの声に。
呼んでほしかった。
この、声に。
next…