Twinkle Twinkle Little Star
- Twinkle, twinkle, little star -
月が近く雲は眼下、星灯を邪魔するものは何もない。しかし厚い壁には窓はなくせっかくの満天の星空を見る術はない、それが叶うなら少しくらい気晴らしになっただろうに……リコは大きく息を吐いてその波打つ夕焼けの髪を掻いた。
絶海の孤島に聳え立つバベルタワー、老朽化と古代文明の防衛テクノロジーが合わさった迷宮をようやく登り切った先に待っていたのは彷徨える空中都市シェバド。障壁と五百年を生きる女王に守られし悠久の都で明かされた情報はあまりに多く、しかしそれらは彼らが知る全てのほんの断片でしかないのだと理解出来た。
(どこまでも広がる海、どこにでもいける世界、次は空飛ぶ円盤の国……なぁ。)
遠くまで来たと上空に現れた影を見て心を弾ませたあの時間が遠い昔のよう、今のリコの胸中を占めるのは全く別の事柄だった。
『地上はソラリスの実験場』
『遺伝子操作、異種交配、思想制御…新たに生み出された種の生体データの収集』
(全部繋がった、気にはなってたがそういうことか)
ヒトとは明らかに異なる風貌であるリコだが、母はそうではなかった、それにキスレブ総督府での件からジークムントと自分は父子なのだろうと察しはついている。
ヒト同士の両親から生まれた自分が何故亜人なのか、ずっと頭の片隅から離れなかった疑念が今日ようやく晴れた。
(お袋の腹にいた頃に弄られたのか、胸糞悪ぃ話だ。)
どういう経緯かそうなったかは分からない、ただ母がその胎内にリコを宿していた期間に何らかの遺伝子操作が《教会》の手によって行われたのは明らかだった。要するにこの世に生を受けた瞬間からリコはソラリスにより弄ばれる研究材料として消費された、そして得たのが亜人の身体ということなのだろう。
「……クソが。」
思わず漏れた声は地を這うように低く、しかし小さなものだった。同時に部屋の自動ドアがプシュンと間抜けな音を立てた、誰が来たのかはその姿を見なくても分かる。あの蒸気の街からこの空中都市迄の旅路の間、何より近くに感じていた気配である。
「ただいま……?……」
現れたのは褐色の青年・フェイ、リコの予想通りの人物だった。普段ならば聞いてもいない報告をしながら人の膝を陣取るクセに、今日は数秒立ち止まり眼前の男の顔を凝視した。
「おう。…どうした。」
なんか変なもんでも食ったか、と問いかければフェイは首を振るう。
「いや……なんでもない…。」
そう言ってもはや定位置と化したリコの膝に腰を下ろした。
ベッドに椅子に座る場所ならいくらでもあるだろうになんでまた……と今更な事実にため息を吐きながら、やはりいつもより大人しい青年に声をかけた。
「……なんだ、ヒトの顔ジロジロ見やがって。」
「……あー、いや…リコなんかあったか?」
気のせいだったらごめん、そう言ってフェイは眉尻をさげた。リコはその問いに少し考えたあと、
「別に、なんでもねぇよ。」
とだけ返した。ここで全てを打ち明けるほどリコは愚直でもなければ馬鹿でもなかった、自分の生い立ちが秘されるべき類だと痛いほど理解している。それにこんなことを目の前の存在に話したらソラリスに対する怒りを滾らせ要らぬことをしでかす可能性が高い。だからこう答えるしかなかった。
「……そうか……ならいいけど。」
男の答えに頷きながらフェイは少し黙ったあと、あのさと口を開いた。
「俺、雲がこんな近い場所初めてでさ。前から思ってたんだ、雲って食えるのかなって。」
その言葉にリコは昼間の青年の行動を思い出した。
旧首都の廻廊を《先生!リコ!雲に触れそうだぞ!》とはしゃぎながら歩き、同行者であるシタンは《フェイ、あまりはしゃぐと落ちますよ》と注意こそすれど放任主義を決め込む始末。なにやら目を輝かせながら下を覗き込む青年に業を煮やしその襟首を掴んで引きずったのが本日の昼間の話である。あの目の輝きは雲に対して抱いた食欲的なやつかと納得したリコはフェイの発言に呆れ混じりの言葉を返す。
「……食っても美味くねぇだろ。」
「分かんないだろ、ふわふわしてるしもしかしたら甘いかもしれない。」
「……お前……ちょっとは懲りろよ。」
一体何がいいたいんだと眉を顰める男を見て、言葉を探すようにフェイは二度三度口を開閉させ、そしてまた話を続けた。
「あとさ、釣りしたじゃん。あれ結構楽しかったな、って。」
正直噴水が壊れないかヒヤヒヤしたけど。
そう笑う顔に、あぁ確かにとリコは頷いた。
本来釣りをしてはいけないらしいが老婆の言葉で好奇心に狩られたフェイの希望により、男三人狭い場所で身を寄せながらの釣りが敢行されたのも本日の話である。
糸を垂らして引っかかった魚を水中から引き上げる単純なものだが、最大の敵はひしめき合いながら水面を覗き込む互いの身体。フェイもこの場にいないシタンもそれなりにしっかりとした体格なのに加え、極めつけはずば抜けて恵まれた体躯を持ったリコの存在だ。本人が身体を縮こませても元が大きすぎる為、あまり意味がない。しかもその鍛え上げられた筋肉の重量も凄まじいものであり、男性三人を乗せた狭い台座が重量に負けて折れなかったのがもはや奇跡である。
「普通釣竿とか使うんじゃないのか?あれだと逃げられるだろ。実際糸切られてたじゃねーか。」
「まあ、普通はね。とかいっても俺もあんましたことないし。先生とかは多分上手いんだろうけど、でもあそこで先生に任せたら俺は魚に負けていた気がするんだ。」
「……いや、まあ……気持ちは分かるがよ……。」
ここまで話してリコはようやくフェイのこの奇妙な行動の理由に気が付いた。
普段ならばこういう話はだいたいシタンに向けてが多い青年が何故に今日に限って自分に対して《本日の嬉しかったこと・楽しかったこと》を打ち明けているか。
恐らくは何が理由かは分からないが、リコが気落ちしていると察したフェイはとにかく元気づけようとしているらしい、自覚があるかはともかくとしてそれは功を奏し大分気紛らわしにはなっているのは事実である。
「…俺はお前が生で魚食うんじゃねぇかって気が気じゃなかったぜ。」
大きく息をひとつ吐いてリコは笑った。膝上の占領者は放たれた言葉に《生は吐くからダメだぞ、前に食べてひどい目にあった》となにやら見当違いのことを話しているがそれを聞き流しながら男は青年の身体を抱え直した。
腕に触れた黒髪は少し冷えているくせに、服越しの体温は温かくひどく心地いい。
(ああ、本当に知るんじゃなかった。)
一度知ったらこんなにも手放しがたいものが世界にあるなんて、知るんじゃなかった。
しかしそれを知って満たされる自分がいるのもまた事実で。
「本当にどうしようもねぇな」
「え?」
「なんでもねぇよ」
吐き捨てた言葉の真意は海に沈め、男はただただ青年の話に耳を傾けた。いつかのあの日、夜の甲板でそうしたように。
……
翠色の裾を揺らし男・シタンは一人静まり返った回廊を歩いていた、久方ぶりにあった家族との短い団欒を終え先にリコが待つ宿泊部屋へと戻ったフェイの様子を見に向かっている最中である。
(馴染みは深い土地ですが、何も変わっていませんね。良くも悪くも。)
空に浮かぶ傍観者、戦争の悲劇を嘆きながらその身の内は己たちの保全に捕らわれたもの達の集い、緩やかに朽ちていく未来が透けて見える悠久の都。ここで知る真実が、そしてここから明らかになる残酷な世界が彼らにどんな影響を及ぼそうとシタンはそれを見届け見極める使命がある。だから歩みを止める訳には行かないのだ、この先に何が待ち受けていようと。
(しかしリコに聞かせて気持ちがいい話ではありませんでしたね……。彼は思慮深い、きっと自分の成り立ちを察したでしょう。)
それを表立っていう人物でもありませんが、眼鏡を直しつつひとつ息を吐いてシタンは足を止めた。
「さて……変にフェイがつついてなければいいんですが。」
そう言って扉に向かい一歩踏み出せば間抜けな音と共に開け放たれた。
「……おや、これはこれは。」
そこに広がっていた光景にシタンを目を瞬かせ、緩やかに笑った。その笑みは子を見る保護者のようにも待ち受ける未来を知っている使徒にも見えた。
「……こうも懐くのは少し意外でしたね。でもいいことです。」
さて、今日はあちらで休みますか。シタンは踵を返し部屋を後にした、去り際に一度後方を振り返り小さく呟いた。
「おやすみなさい、良い夢を」
そして扉は再び閉ざされた。
部屋に残されたのは……
「……グォー……グォー……」
「……スゥ……スゥ……」
大の字で鼾をかいて寝転がるリコをベッド代わりに背を丸め眠るフェイだけ、閉ざされた薄闇の中で二人分の穏やかな寝息だけが東の空から太陽が顔を出すまで静かに響いていた。
月が近く雲は眼下、星灯を邪魔するものは何もない。しかし厚い壁には窓はなくせっかくの満天の星空を見る術はない、それが叶うなら少しくらい気晴らしになっただろうに……リコは大きく息を吐いてその波打つ夕焼けの髪を掻いた。
絶海の孤島に聳え立つバベルタワー、老朽化と古代文明の防衛テクノロジーが合わさった迷宮をようやく登り切った先に待っていたのは彷徨える空中都市シェバド。障壁と五百年を生きる女王に守られし悠久の都で明かされた情報はあまりに多く、しかしそれらは彼らが知る全てのほんの断片でしかないのだと理解出来た。
(どこまでも広がる海、どこにでもいける世界、次は空飛ぶ円盤の国……なぁ。)
遠くまで来たと上空に現れた影を見て心を弾ませたあの時間が遠い昔のよう、今のリコの胸中を占めるのは全く別の事柄だった。
『地上はソラリスの実験場』
『遺伝子操作、異種交配、思想制御…新たに生み出された種の生体データの収集』
(全部繋がった、気にはなってたがそういうことか)
ヒトとは明らかに異なる風貌であるリコだが、母はそうではなかった、それにキスレブ総督府での件からジークムントと自分は父子なのだろうと察しはついている。
ヒト同士の両親から生まれた自分が何故亜人なのか、ずっと頭の片隅から離れなかった疑念が今日ようやく晴れた。
(お袋の腹にいた頃に弄られたのか、胸糞悪ぃ話だ。)
どういう経緯かそうなったかは分からない、ただ母がその胎内にリコを宿していた期間に何らかの遺伝子操作が《教会》の手によって行われたのは明らかだった。要するにこの世に生を受けた瞬間からリコはソラリスにより弄ばれる研究材料として消費された、そして得たのが亜人の身体ということなのだろう。
「……クソが。」
思わず漏れた声は地を這うように低く、しかし小さなものだった。同時に部屋の自動ドアがプシュンと間抜けな音を立てた、誰が来たのかはその姿を見なくても分かる。あの蒸気の街からこの空中都市迄の旅路の間、何より近くに感じていた気配である。
「ただいま……?……」
現れたのは褐色の青年・フェイ、リコの予想通りの人物だった。普段ならば聞いてもいない報告をしながら人の膝を陣取るクセに、今日は数秒立ち止まり眼前の男の顔を凝視した。
「おう。…どうした。」
なんか変なもんでも食ったか、と問いかければフェイは首を振るう。
「いや……なんでもない…。」
そう言ってもはや定位置と化したリコの膝に腰を下ろした。
ベッドに椅子に座る場所ならいくらでもあるだろうになんでまた……と今更な事実にため息を吐きながら、やはりいつもより大人しい青年に声をかけた。
「……なんだ、ヒトの顔ジロジロ見やがって。」
「……あー、いや…リコなんかあったか?」
気のせいだったらごめん、そう言ってフェイは眉尻をさげた。リコはその問いに少し考えたあと、
「別に、なんでもねぇよ。」
とだけ返した。ここで全てを打ち明けるほどリコは愚直でもなければ馬鹿でもなかった、自分の生い立ちが秘されるべき類だと痛いほど理解している。それにこんなことを目の前の存在に話したらソラリスに対する怒りを滾らせ要らぬことをしでかす可能性が高い。だからこう答えるしかなかった。
「……そうか……ならいいけど。」
男の答えに頷きながらフェイは少し黙ったあと、あのさと口を開いた。
「俺、雲がこんな近い場所初めてでさ。前から思ってたんだ、雲って食えるのかなって。」
その言葉にリコは昼間の青年の行動を思い出した。
旧首都の廻廊を《先生!リコ!雲に触れそうだぞ!》とはしゃぎながら歩き、同行者であるシタンは《フェイ、あまりはしゃぐと落ちますよ》と注意こそすれど放任主義を決め込む始末。なにやら目を輝かせながら下を覗き込む青年に業を煮やしその襟首を掴んで引きずったのが本日の昼間の話である。あの目の輝きは雲に対して抱いた食欲的なやつかと納得したリコはフェイの発言に呆れ混じりの言葉を返す。
「……食っても美味くねぇだろ。」
「分かんないだろ、ふわふわしてるしもしかしたら甘いかもしれない。」
「……お前……ちょっとは懲りろよ。」
一体何がいいたいんだと眉を顰める男を見て、言葉を探すようにフェイは二度三度口を開閉させ、そしてまた話を続けた。
「あとさ、釣りしたじゃん。あれ結構楽しかったな、って。」
正直噴水が壊れないかヒヤヒヤしたけど。
そう笑う顔に、あぁ確かにとリコは頷いた。
本来釣りをしてはいけないらしいが老婆の言葉で好奇心に狩られたフェイの希望により、男三人狭い場所で身を寄せながらの釣りが敢行されたのも本日の話である。
糸を垂らして引っかかった魚を水中から引き上げる単純なものだが、最大の敵はひしめき合いながら水面を覗き込む互いの身体。フェイもこの場にいないシタンもそれなりにしっかりとした体格なのに加え、極めつけはずば抜けて恵まれた体躯を持ったリコの存在だ。本人が身体を縮こませても元が大きすぎる為、あまり意味がない。しかもその鍛え上げられた筋肉の重量も凄まじいものであり、男性三人を乗せた狭い台座が重量に負けて折れなかったのがもはや奇跡である。
「普通釣竿とか使うんじゃないのか?あれだと逃げられるだろ。実際糸切られてたじゃねーか。」
「まあ、普通はね。とかいっても俺もあんましたことないし。先生とかは多分上手いんだろうけど、でもあそこで先生に任せたら俺は魚に負けていた気がするんだ。」
「……いや、まあ……気持ちは分かるがよ……。」
ここまで話してリコはようやくフェイのこの奇妙な行動の理由に気が付いた。
普段ならばこういう話はだいたいシタンに向けてが多い青年が何故に今日に限って自分に対して《本日の嬉しかったこと・楽しかったこと》を打ち明けているか。
恐らくは何が理由かは分からないが、リコが気落ちしていると察したフェイはとにかく元気づけようとしているらしい、自覚があるかはともかくとしてそれは功を奏し大分気紛らわしにはなっているのは事実である。
「…俺はお前が生で魚食うんじゃねぇかって気が気じゃなかったぜ。」
大きく息をひとつ吐いてリコは笑った。膝上の占領者は放たれた言葉に《生は吐くからダメだぞ、前に食べてひどい目にあった》となにやら見当違いのことを話しているがそれを聞き流しながら男は青年の身体を抱え直した。
腕に触れた黒髪は少し冷えているくせに、服越しの体温は温かくひどく心地いい。
(ああ、本当に知るんじゃなかった。)
一度知ったらこんなにも手放しがたいものが世界にあるなんて、知るんじゃなかった。
しかしそれを知って満たされる自分がいるのもまた事実で。
「本当にどうしようもねぇな」
「え?」
「なんでもねぇよ」
吐き捨てた言葉の真意は海に沈め、男はただただ青年の話に耳を傾けた。いつかのあの日、夜の甲板でそうしたように。
……
翠色の裾を揺らし男・シタンは一人静まり返った回廊を歩いていた、久方ぶりにあった家族との短い団欒を終え先にリコが待つ宿泊部屋へと戻ったフェイの様子を見に向かっている最中である。
(馴染みは深い土地ですが、何も変わっていませんね。良くも悪くも。)
空に浮かぶ傍観者、戦争の悲劇を嘆きながらその身の内は己たちの保全に捕らわれたもの達の集い、緩やかに朽ちていく未来が透けて見える悠久の都。ここで知る真実が、そしてここから明らかになる残酷な世界が彼らにどんな影響を及ぼそうとシタンはそれを見届け見極める使命がある。だから歩みを止める訳には行かないのだ、この先に何が待ち受けていようと。
(しかしリコに聞かせて気持ちがいい話ではありませんでしたね……。彼は思慮深い、きっと自分の成り立ちを察したでしょう。)
それを表立っていう人物でもありませんが、眼鏡を直しつつひとつ息を吐いてシタンは足を止めた。
「さて……変にフェイがつついてなければいいんですが。」
そう言って扉に向かい一歩踏み出せば間抜けな音と共に開け放たれた。
「……おや、これはこれは。」
そこに広がっていた光景にシタンを目を瞬かせ、緩やかに笑った。その笑みは子を見る保護者のようにも待ち受ける未来を知っている使徒にも見えた。
「……こうも懐くのは少し意外でしたね。でもいいことです。」
さて、今日はあちらで休みますか。シタンは踵を返し部屋を後にした、去り際に一度後方を振り返り小さく呟いた。
「おやすみなさい、良い夢を」
そして扉は再び閉ざされた。
部屋に残されたのは……
「……グォー……グォー……」
「……スゥ……スゥ……」
大の字で鼾をかいて寝転がるリコをベッド代わりに背を丸め眠るフェイだけ、閉ざされた薄闇の中で二人分の穏やかな寝息だけが東の空から太陽が顔を出すまで静かに響いていた。
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