第1章 華麗なるマジックショー

 経済界だけでなく、上海社交界からも注目される唐煜瓔とのハグで、人目を集めたことに気付いた煜瑾は、慌てて実兄から離れた。

「あ、ごめんなさい、お兄さま。少しはしゃぎすぎてしまいました」

 兄が人の注目を集めやすい立場であることを思い出し、煜瑾は自分の子供じみた行動を恥じた。

「なに、構わない」

 何事も無かったように答える唐煜瓔だが、その目は潤むほどに嬉しそうにしている。溺愛している弟が、いつまでも変わらずに無邪気で素直でいてくれることが嬉しくてならないようだ。

「先ほども、お兄さまに助けていただいた、って思うことがあって、嬉しかったのです」

 煜瑾の行動に、内心冷静さを欠いていた文維だったが、聞こえた一言に我に返った。いま来たばかりの唐煜瓔に、ずっと自分と一緒にいる煜瑾が何を助けられたのだろうと気に掛かる。

「何か、イヤなことでもあったのかい?」

 口調は優しいが、チラリと文維を見た唐煜瓔の視線はとげとげしい。

「いいえ。…みなさん、私と文維の関係を受け容れて下さるのですが、それはみなさんのお心が広いのではなく、お兄さまと唐家のおかげだと思うことがあったので…」
「おかげもなにも、煜瑾はいつまでも唐家の人間じゃないか」

 なぜか文維に勝ち誇ったような笑みを見せ、唐煜瓔は大事な弟の肩を抱いた。
 文維はと言えば、煜瑾の言っているのが、王淑芬のことだと気付いた。彼女に限らず、多くの人が決して自分と煜瑾の関係を心から理解し、認めているわけではないが、唐煜瓔がこのイベントに多くの投資をしていることで、煜瑾の機嫌を損ねまいと取り繕っているだけだったのだ。
 煜瑾の気持ちさえ自分の方を向いていれば、他人の目など気にもしない文維だが、繊細な煜瑾がそんな視線に不安を感じていたのだと気付いた。

「いつでも私はお兄さまに守られているって気がしています。とっても幸せです」

 純真な煜瑾の言葉に、唐煜瓔は満足そうに微笑み、包夫妻も慈しむように目を細めていた。

「お義父さま、お義母さま、今夜は素敵なお召し物ですね」

 煜瑾の影響で、唐煜瓔もまた包夫妻を「義父」「義母」と呼ぶようになっていた。両家は、文維と煜瑾の繋がりから、深い絆を結ぶようになったのだった。

「お義母さまの旗袍チーパオは、ヴィンテージのものですか」
「うふふ。さすがに唐家のご当主は、お目が高いわね。もう30年以上も前にフランスで買ったレースを、北京の職人にチャイナドレスに仕立てさせたのよ」

 さすがの唐煜瓔も、ほうと目を丸くして、煜瑾を振り返った。

「お兄さま、ショーのあとのお食事はどちらに?」

 家族揃っての食事を楽しみにしている煜瑾が訊ねると、唐煜瓔は甘やかせるような笑みで答えた。

「ショーの後に移動するのも時間が惜しいかと思い、このホテル内のレストランの個室を用意させました。日本料理ですが、よろしかったですか、お義父さま」

 手料理が得意で食にこだわりを持つ包教授に、唐煜瓔が確認するが、温厚な教授は何も言わずにゆったりと頷いた。

「こんばんは、煜瓔お兄さま!今夜はお招きありがとうございます」

 明るく愛想の良い小敏が、またも両手に食べ物をもって現れた。それが無邪気に見えて、小悪魔な小敏の演出は見事に成功していた。

「ああ、羽小敏くん。今夜はお付き合いありがとう」

 落ち着いた態度の唐煜瓔は、煜瑾の親友である小敏に穏やかに挨拶をした。高校時代から、愛想が良く、可愛いキャラの羽小敏が、大人しい煜瑾を明るくしてくれることを好ましく思っている唐煜瓔だった。

「大人気のDr.Hooのショーを初日に見られて嬉しいです」

 小敏にそう言われ、唐煜瓔も煜瑾と共に微笑んだ。
 だが、家族一同が揃った和やかな空気は、突然破られた。

「Ladies & Gentleman!」

 ロビーの中央あたりで、いきなり声が上がった。

 それは恰幅の良い白人で、場慣れた様子の、いかにもショービズ界のベテランといった感じの堂々とした男性だ。

「あれが、Dr.Hooのやり手のマネージャーで、まだ学生の彼を見出して、ラスベガスデビューまでに育て上げた、ハワード・ベネットだよ」

 今回の公演に大金を投資している唐煜瓔は、演者以外の関係者にも詳しいらしい。
 兄の説明に、煜瑾は好奇心に大きな瞳をキラキラさせて、文維や小敏と顔を見合わせた。

「Thank you everyone and welcome to tonight's show, "Psychological Illusions" by Dr. Hoo!」
「ありがとうございます、みなさま。Dr.Hooの『サイコロジカルイリュージョン』にようこそ!」

 アメリカ人のハワード・ベネットの英語を、隣で素早く通訳しているのは先ほどの王淑芬だった。

「So,Let's introduce Dr. Hoo right away!」
「Dr.Hooをご紹介します!」

 劇場ロビーに集まったセレブな招待客たちが、一斉に拍手で、天才マジシャンを迎えた。






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