第4章 探偵が追っていたもの
「これ、本当に食べられるんですか?」
恐る恐る真っ赤な土鍋の中身を覗き込みながら、方萌が訊ねた。
「当たり前や。正当な湖南料理やぞ」
そう言って顧平はビールの入ったコップを持ち上げ、自分は安全な場所から大笑いを続けた。
警部の言葉を裏付けるように、料理を運んできた青年が、方萌に説明を加えた。
「『香辣魚 』って、ちゃんとした湖南料理ですよ。魚と言っても、今日はナマズを使っていますけどね」
「へえ~」
生まれて初めての「香辣魚」体験に、不安そうにしながらも、方萌が箸を伸ばした。
「大丈夫か、方萌?」
腕で口と鼻を防御しながら、張毅が声を掛けたが、勇敢な彼女は怯むことなく、真っ赤になった白身を口に運んだ。
この激辛湖南料理で若手たちを驚かせようという顧警部のイタズラ心に、店主や常連たちも乗っかって期待をし、方萌を取り囲む。
「!」
思い切ってパクリと口に入れた方萌は、大きく目を見張り、そのままフリーズしてしまった。
「おい、早よ、ビール、飲ませてやれ!」
「は、はい!」
方萌が、あまりの辛さに動けなくなったと思った顧警部は、急いで口の中を洗い流してやろうと張毅にビールを用意させようとした。
「やだ~!辛いけど、ものすごく美味しい!」
次の瞬間、大きく歓声を上げ、有能な女性巡査は、この上なく嬉しそうに笑った。
「ひゃ~、カライ~、カライ~!でも、美味しい~!」
突き抜けるような辛さに、目を白黒させながらも、方萌はさらに箸を進める。
「ヤダも~、死にそうにカライ~」
あまりの刺激に交感神経が異常をきたしたのか、方萌はやたらとテンションが高く、大はしゃぎで「香辣魚」を次々と口に運んでいた。
「…お前…」
これまでも、方萌の予想外の行動に驚かされてきた顧警部だが、まさかこんな激辛料理までクリアしてくるとは思いも寄らなかった。
「やるな!」「すごいぞ、お嬢ちゃん!」「こりゃ、大物だ!」
店の常連たちは、やんやと喝采を飛ばし、張毅もお腹を抱えて笑っていた。
小さな店を揺るがすほど、店内は大いに盛り上がり、方萌を中心に笑いの輪が広がり、顧平警部までもが大爆笑するほどだった。
その後、残った激辛の湖南料理はみんなで分け合い、方萌たちも再び美味しいローストダックを堪能した。それ以外の料理もたくさん食べ、大いに飲み、方萌たちはただひたすら楽しいひと時を過ごした。
***
「ごちそうさまでした、顧警部」「顧警部、ありがとうございました」
赤い顔をして、方萌と張毅は嬉々として上司へのお礼を述べた。お腹も充分に満たされ、楽しくて仕方ない、と言った様子だった。そのまま3人は上機嫌で蘇州河畔を散歩していた。
「顧警部は、あの店にはよく行かれるのですか?」
「店主とは、随分お親しいようでしたね?」
歩きながら続けざまに受けた質問を、顧警部は笑って受け流し、多くを語ろうとはしない。
「とっても美味しかったです。あのナマズにはビックリだったけど、アヒルはまた食べに行きたいです」
嬉しそうに方萌がそう言うと、張毅も明るい顔で大きく頷いた。
そんな2人の若手刑事に、満足そうに顧警部は笑っている。
「あのソースも絶品でしたもんね~。あのご主人は、どこかの有名店で修業されたのかしら?」
方萌がいつものように快活に質問すると、ふっと顧警部は顔を曇らせた。
「警部?」
気が付いた張毅が心配そうに声を掛けると、顧警部は足を止めて、川に移り込む街の明かりを眺めた。
「あいつはな、湖南省出身で上海に出稼ぎに来たんや…」
顧警部は遠くを見ながら、懐かしそうに笑った。
「それが、いろいろ思うようにいかずに、躓いてしもうてな…」
「……」「……」
方萌も張毅も、残念そうな顧警部の様子に、かける言葉が無かった。
「運が悪かった。そうとしか、言いようがなかったな~」
あの店主は、かつて警部に逮捕され、裁判で有罪になり、刑務所に送られ、出所したのちに、あの店の前の店主の下で真面目に働き出した。同じ湖南省出身の2人を引き合わせたのは、顧平警部だった。
多くを語らずとも、方萌も張毅もなんとなく顧警部と店主の関係を察していた。
そこに顧警部の警官という立場を越えた情の深さを感じ、人間としての信頼を深めたのだった。
「じゃあ、涼拌麺のお店のご主人も?」
控えめに方萌が口を開いた。
「いや、あっちは逆の立場でな。優秀で、親切で、いい息子やったが、強盗に巻き込まれてな…逃げようとした犯人の車に轢かれて…」
その強盗を追っていたのは、若い頃の顧平刑事だった。刑事の目の前で、何の罪もない青年は不条理に命を奪われたのだ。
若い方萌と張毅は、警官としてのこの先の長い人生を思い、顧平警部には素直に敬意を抱いた。
恐る恐る真っ赤な土鍋の中身を覗き込みながら、方萌が訊ねた。
「当たり前や。正当な湖南料理やぞ」
そう言って顧平はビールの入ったコップを持ち上げ、自分は安全な場所から大笑いを続けた。
警部の言葉を裏付けるように、料理を運んできた青年が、方萌に説明を加えた。
「『
「へえ~」
生まれて初めての「香辣魚」体験に、不安そうにしながらも、方萌が箸を伸ばした。
「大丈夫か、方萌?」
腕で口と鼻を防御しながら、張毅が声を掛けたが、勇敢な彼女は怯むことなく、真っ赤になった白身を口に運んだ。
この激辛湖南料理で若手たちを驚かせようという顧警部のイタズラ心に、店主や常連たちも乗っかって期待をし、方萌を取り囲む。
「!」
思い切ってパクリと口に入れた方萌は、大きく目を見張り、そのままフリーズしてしまった。
「おい、早よ、ビール、飲ませてやれ!」
「は、はい!」
方萌が、あまりの辛さに動けなくなったと思った顧警部は、急いで口の中を洗い流してやろうと張毅にビールを用意させようとした。
「やだ~!辛いけど、ものすごく美味しい!」
次の瞬間、大きく歓声を上げ、有能な女性巡査は、この上なく嬉しそうに笑った。
「ひゃ~、カライ~、カライ~!でも、美味しい~!」
突き抜けるような辛さに、目を白黒させながらも、方萌はさらに箸を進める。
「ヤダも~、死にそうにカライ~」
あまりの刺激に交感神経が異常をきたしたのか、方萌はやたらとテンションが高く、大はしゃぎで「香辣魚」を次々と口に運んでいた。
「…お前…」
これまでも、方萌の予想外の行動に驚かされてきた顧警部だが、まさかこんな激辛料理までクリアしてくるとは思いも寄らなかった。
「やるな!」「すごいぞ、お嬢ちゃん!」「こりゃ、大物だ!」
店の常連たちは、やんやと喝采を飛ばし、張毅もお腹を抱えて笑っていた。
小さな店を揺るがすほど、店内は大いに盛り上がり、方萌を中心に笑いの輪が広がり、顧平警部までもが大爆笑するほどだった。
その後、残った激辛の湖南料理はみんなで分け合い、方萌たちも再び美味しいローストダックを堪能した。それ以外の料理もたくさん食べ、大いに飲み、方萌たちはただひたすら楽しいひと時を過ごした。
***
「ごちそうさまでした、顧警部」「顧警部、ありがとうございました」
赤い顔をして、方萌と張毅は嬉々として上司へのお礼を述べた。お腹も充分に満たされ、楽しくて仕方ない、と言った様子だった。そのまま3人は上機嫌で蘇州河畔を散歩していた。
「顧警部は、あの店にはよく行かれるのですか?」
「店主とは、随分お親しいようでしたね?」
歩きながら続けざまに受けた質問を、顧警部は笑って受け流し、多くを語ろうとはしない。
「とっても美味しかったです。あのナマズにはビックリだったけど、アヒルはまた食べに行きたいです」
嬉しそうに方萌がそう言うと、張毅も明るい顔で大きく頷いた。
そんな2人の若手刑事に、満足そうに顧警部は笑っている。
「あのソースも絶品でしたもんね~。あのご主人は、どこかの有名店で修業されたのかしら?」
方萌がいつものように快活に質問すると、ふっと顧警部は顔を曇らせた。
「警部?」
気が付いた張毅が心配そうに声を掛けると、顧警部は足を止めて、川に移り込む街の明かりを眺めた。
「あいつはな、湖南省出身で上海に出稼ぎに来たんや…」
顧警部は遠くを見ながら、懐かしそうに笑った。
「それが、いろいろ思うようにいかずに、躓いてしもうてな…」
「……」「……」
方萌も張毅も、残念そうな顧警部の様子に、かける言葉が無かった。
「運が悪かった。そうとしか、言いようがなかったな~」
あの店主は、かつて警部に逮捕され、裁判で有罪になり、刑務所に送られ、出所したのちに、あの店の前の店主の下で真面目に働き出した。同じ湖南省出身の2人を引き合わせたのは、顧平警部だった。
多くを語らずとも、方萌も張毅もなんとなく顧警部と店主の関係を察していた。
そこに顧警部の警官という立場を越えた情の深さを感じ、人間としての信頼を深めたのだった。
「じゃあ、涼拌麺のお店のご主人も?」
控えめに方萌が口を開いた。
「いや、あっちは逆の立場でな。優秀で、親切で、いい息子やったが、強盗に巻き込まれてな…逃げようとした犯人の車に轢かれて…」
その強盗を追っていたのは、若い頃の顧平刑事だった。刑事の目の前で、何の罪もない青年は不条理に命を奪われたのだ。
若い方萌と張毅は、警官としてのこの先の長い人生を思い、顧平警部には素直に敬意を抱いた。
