第4章 探偵が追っていたもの

 呉警部に付き従って、静安署の捜査本部に戻った張毅だったが、なぜか呉警部はイライラしていて、話しかけることも憚られた。

「しかし、なんだ。アレだな…」

 定時で帰るという顧警部と方萌を横目で見ながら、呉警部は落ち着かない様子で口を開いた。

「被害者が殺されたとしたら、犯人は身近な者しか考えられないだろう。だとしたら、もう容疑者は決まっている。今さらバタバタしても、犯人の逃亡は無いだろう」
「それは、Dr.Hooが犯人という意味ですか?」

 目を丸くした張毅が確認すると、呉警部はチラリと一瞬、顧警部を見たものの、素知らぬ顔をして続けた。

「男と女の間のことだ。何も無い顔をしていても、分かる!」
「恋愛関係のもつれってことですか?」

 そのまま顧警部と方萌が軽く挨拶を交わして退勤していくと、呉警部は何かを振り払うように大きな声で言った。

「それで、決まりだ!…とは言え、あれだけの有名人だ。早急に姿を隠す心配も無い。今日は、これで終わりだ!明日からは、胡双を徹底的に取り調べてやる」

 それが顧警部に届いたかどうかは分からないが、部屋を出る瞬間、方萌が振り返り、張毅を見て、ニッと笑った。

「じゃあ、俺も定時で帰ります!」
「あ?」

 それだけ言って、飛び出していく忠犬張毅を茫然と見守り、呉警部は1人取り残された。

***

 バスに乗ろうとする顧警部に、方萌が代金を払うという条件でタクシーに乗ろうと口説いているところへ、張毅が合流した。

「俺が払いますよ!」

 方萌にイイところを見せたい張毅が申し出ると、ようやく顧警部も納得した。
 タクシーは静安署から北に向かい、蘇州河の近くで停まった。
 賑やかな繁華街や美食街から離れた、下町の小さな露天市場のような場所でタクシーを降りた顧警部は、迷うことなくスタスタと歩き始めた。
 方萌はこの辺りに来たことが無いらしく周囲をキョロキョロしていたし、張毅はスマホ決済が上手くいかずにオロオロしていた。
 ようやく方萌と張毅が顧平警部に追いついた頃には、警部は、人が溢れるほどの人気店に入って行った。

「顧警部!お久しぶりですね!」
「元気でやってるか?店、相変わらず流行ってるようやないか」

 ニコニコと人の好い笑顔で声を掛ける警部に、店主は常連らしき客たちに何かを言って席を空けさせ、警部たちの座る場所を作った。

「いつものアヒルと、ご自慢の『特別料理』を、この若い奴らに食わせてやってんか」
「いいんですか?」

 笑いながら店長は厨房に入った。
 少し古びて手狭ではあるが、地元の人たちに愛される店だとすぐに分かった。方萌と張毅も口にこそ出さないが、味の方も期待できそうだと、嬉しそうに顔を見合わせて頷いた。

「お待ちどう!」

 店主ではなく、もっと若い浅黒い顔をした青年が美味しそうなローストダックを運んできた。

「うわ~、いい香り~。美味しそうですね~」

 北京ダックが大好きだという方萌が目を輝かせた。
 だがこの店のダックは、北京風の皮をメインに食べるものではなく、香港式のジューシーな肉まで食べるスタイルだ。

「あ、ザリガニもあるんですか?なら、俺は…ニンニク唐辛子味で!」
「ほな、俺も生姜醤油味でもらおう。そうなったら、ビールやな」

 顧警部も珍しく機嫌よく、笑いながら次々と注文をした。

「ここのアヒルは旨いんや。調味料もそこいらのモンやない。ちゃんと自家製で調合してるからな。さあ、熱いうちに、このタレをタップリ付けて食べ」
「は~い」

 いつも屈託の無い方萌が、楽しそうに返事をして、さっそく手を伸ばした。

「このタレも、この店にしかないんや。ちょっと多いかな、って言うくらい付けた方が旨い」
「うわ~身が柔らかくて、この甘辛いタレが絶妙!」
「あ~も~、美味しすぎて食べ過ぎちゃう!」

 ご機嫌な顧平警部を前に、張毅も方萌も大はしゃぎでダックを食べ始めた。

「お、来た、来た!」

 ニヤニヤして顧警部は椅子を引いた。
 その行動の意味が分からずキョトンとして、ダックを食べる方萌と張毅の手が止まる。

「キャ~!ナニ、コレ!」

 運ばれてきた土鍋を真っ先に覗き込んだ方萌が悲鳴を上げた。
 声こそ上げないが、隣で張毅も目に涙を浮かべて、痛みに耐えるような顔をしている。

「な、なんですか、コレ!唐辛子が多すぎて目が痛いです」
「いや、目だけでなく鼻も、口も、皮膚も痛いですよ」

 あまりの激辛料理に泣き言をこぼす方萌と張毅に、顧警部と常連客達は大声を上げて笑った。店主も、料理を運ぶ青年も、楽しそうに笑っていた。

 よく使いこまれた土鍋の中は何種類もの唐辛子で真っ赤で、その刺激は鍋の外までも溢れんばかりだった。




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