第4章 探偵が追っていたもの
呉警部が出て行ったあと、励まし合う胡双ことドミニク・リュウ・リーとハワード・ベネットの2人の様子を伺いながら、楊偉捜査官は徐凱刑事に声を掛けた。
「浦東第3分署は、人身売買組織を追いますか?」
2人の外国人を同情的に見つめていた徐凱は、急に声を掛けられてハッと振り返った。
「あ、それは…」
自分のような下っ端が、今後の捜査方針を決定することは出来ないと、徐凱の泳ぐような目が語っている。それを的確に読み取って、楊偉は優しく言った。
「現在はともかく、当時の人身売買組織が、大陸から香港で活動していたというなら、上海の所轄だけでは手に余るでしょう。私に出来ることなら、協力させてもらいますよ」
頼りがいのある国安局の楊偉捜査官の言葉に、徐凱は少し緊張を解いた。それを確かめ、楊偉は徐凱を促して、胡双とベネットを楽屋に残し、人のいない廊下に出た。
「感謝いたします。楊偉捜査官は優秀な方のようですし、いろいろ勉強させていただきたいです」
「ありがとうございます。香港や上海郊外など広域の連携も難しくなりそうですしね。せいぜい私の立場を利用して下さい」
「はい!」
冗談めかした自分の言葉に、素直な徐凱の返事に満足した楊偉は、さらに安心感を与える笑みを浮かべて言った。
「現状、浦東の現場で気になる点などありますか?」
さりげない楊偉の質問に、徐凱は何の疑念も持たず正直に答える。そんな徐凱は、楊偉が一瞬俯いてニヤリとしたことに気付かなかった。
「実は…、この写真なんですが…」
そう言って徐凱は真剣な表情をして、自分のスマホに保存した現場の写真を楊偉に見せた。
「これが…、浦東の被害者、トーマス・カオさんですか…」
柔らかい口調でありながら、楊偉の視線が厳しくなった。
ホテルのベッドサイドの、ベージュのカーペットの上で中年男性がうつぶせになって倒れている。左頬を床につけ、目を見開き、口は半開きでどす黒い舌がチラリと見えている。苦悶して死んだ顔だ、と場数を踏んできた楊偉はすぐに察した。間違い無く、毒殺だろう。
「この手が…気になるんです」
「手?」
トーマス・カオは、左手で床を掻くように爪を立て、右手も中3本を緩く曲げているが、ちょうど親指と小指を立てたハンドサインに見えなくもない。
「確か、ハワイではこういう仕草をしますよね…。あ、いや、ハワイに行ったことはないのですが、テレビで観たりして…」
自分の思い付きを、少し恥ずかしそうに徐凱は口にした。
左手と同様に、右手も、毒に苦しみ、もがく中でたまたまこのような形になったことも考えられる。現場でそれを指摘すると、想像力が豊かすぎると先輩たちに笑われた徐凱は、それ以上何も言えなくなり、このことを胸に封じてしまっていた。
「…これは、ハワイではシャカ・サインもしくはハングルースと呼ばれるもので、手の平と手の甲のどちらを見せるかで呼び方が違います」
静かに思考を深めながらも、楊偉は穏やかに聞こえるよう、話し方に気を付けていた。ここで徐凱の信頼を手放しては、後々やりにくくなると、先の先まで計算しているからだ。
「こう…と、こう…?」
徐凱は右手の親指と小指をY字のように立て、楊偉に手の平のほうを向けたり、手の甲を向けたりして確認した。
「あ?なんの数字や?」
そこへ方萌と通りがかった顧警部が、何の気無しに声を掛けた。
「え?」
その指摘に驚いた楊偉が振り返ると、さすがの顧警部もキョトンとしていた。
「数字…?」
ハッとしたのは徐凱刑事の方が早かった。
「1、2、3、4、5、6…。ほれ、これは『6』やろ?」
顧警部は何でもないことのように、右手だけで数字を表す中国式のジェスチャーを実演して見せた。
そして、その「6」を表す手振りは、ハワイのハンドサインと同じ形だった。
「確かに、これは『6』の意味もありますね」
驚きを隠しながら、楊偉はじっと顧警部の手を見つめた。
「私は、被害者がハワイ出身ということでハワイのハンドサインに捉われていましたが、被害者は中国語も堪能だったわけだし、これが中国式のハンドサインという可能性もありますね」
自分が気付けなかったことを次々と解き明かされて、徐凱刑事は驚喜に興奮していた。少し頬を染め、メガネの奥の瞳は輝いている。
そんな、重要な手がかりを見つけて嬉しそうな徐凱先輩に、方萌も笑顔になった。
「浦東の被害者の手が、こんな風に見えるのです」
常に冷静沈着な楊偉が顧警部に説明すると、急いで徐凱はスマホの画面を顧警部に見せた。
「確かに、そう見えんこともないか…」
「ダイイングメッセージってことですかね?」
便乗して覗き込んだ方萌が、興味津々で囁いた。
「浦東第3分署は、人身売買組織を追いますか?」
2人の外国人を同情的に見つめていた徐凱は、急に声を掛けられてハッと振り返った。
「あ、それは…」
自分のような下っ端が、今後の捜査方針を決定することは出来ないと、徐凱の泳ぐような目が語っている。それを的確に読み取って、楊偉は優しく言った。
「現在はともかく、当時の人身売買組織が、大陸から香港で活動していたというなら、上海の所轄だけでは手に余るでしょう。私に出来ることなら、協力させてもらいますよ」
頼りがいのある国安局の楊偉捜査官の言葉に、徐凱は少し緊張を解いた。それを確かめ、楊偉は徐凱を促して、胡双とベネットを楽屋に残し、人のいない廊下に出た。
「感謝いたします。楊偉捜査官は優秀な方のようですし、いろいろ勉強させていただきたいです」
「ありがとうございます。香港や上海郊外など広域の連携も難しくなりそうですしね。せいぜい私の立場を利用して下さい」
「はい!」
冗談めかした自分の言葉に、素直な徐凱の返事に満足した楊偉は、さらに安心感を与える笑みを浮かべて言った。
「現状、浦東の現場で気になる点などありますか?」
さりげない楊偉の質問に、徐凱は何の疑念も持たず正直に答える。そんな徐凱は、楊偉が一瞬俯いてニヤリとしたことに気付かなかった。
「実は…、この写真なんですが…」
そう言って徐凱は真剣な表情をして、自分のスマホに保存した現場の写真を楊偉に見せた。
「これが…、浦東の被害者、トーマス・カオさんですか…」
柔らかい口調でありながら、楊偉の視線が厳しくなった。
ホテルのベッドサイドの、ベージュのカーペットの上で中年男性がうつぶせになって倒れている。左頬を床につけ、目を見開き、口は半開きでどす黒い舌がチラリと見えている。苦悶して死んだ顔だ、と場数を踏んできた楊偉はすぐに察した。間違い無く、毒殺だろう。
「この手が…気になるんです」
「手?」
トーマス・カオは、左手で床を掻くように爪を立て、右手も中3本を緩く曲げているが、ちょうど親指と小指を立てたハンドサインに見えなくもない。
「確か、ハワイではこういう仕草をしますよね…。あ、いや、ハワイに行ったことはないのですが、テレビで観たりして…」
自分の思い付きを、少し恥ずかしそうに徐凱は口にした。
左手と同様に、右手も、毒に苦しみ、もがく中でたまたまこのような形になったことも考えられる。現場でそれを指摘すると、想像力が豊かすぎると先輩たちに笑われた徐凱は、それ以上何も言えなくなり、このことを胸に封じてしまっていた。
「…これは、ハワイではシャカ・サインもしくはハングルースと呼ばれるもので、手の平と手の甲のどちらを見せるかで呼び方が違います」
静かに思考を深めながらも、楊偉は穏やかに聞こえるよう、話し方に気を付けていた。ここで徐凱の信頼を手放しては、後々やりにくくなると、先の先まで計算しているからだ。
「こう…と、こう…?」
徐凱は右手の親指と小指をY字のように立て、楊偉に手の平のほうを向けたり、手の甲を向けたりして確認した。
「あ?なんの数字や?」
そこへ方萌と通りがかった顧警部が、何の気無しに声を掛けた。
「え?」
その指摘に驚いた楊偉が振り返ると、さすがの顧警部もキョトンとしていた。
「数字…?」
ハッとしたのは徐凱刑事の方が早かった。
「1、2、3、4、5、6…。ほれ、これは『6』やろ?」
顧警部は何でもないことのように、右手だけで数字を表す中国式のジェスチャーを実演して見せた。
そして、その「6」を表す手振りは、ハワイのハンドサインと同じ形だった。
「確かに、これは『6』の意味もありますね」
驚きを隠しながら、楊偉はじっと顧警部の手を見つめた。
「私は、被害者がハワイ出身ということでハワイのハンドサインに捉われていましたが、被害者は中国語も堪能だったわけだし、これが中国式のハンドサインという可能性もありますね」
自分が気付けなかったことを次々と解き明かされて、徐凱刑事は驚喜に興奮していた。少し頬を染め、メガネの奥の瞳は輝いている。
そんな、重要な手がかりを見つけて嬉しそうな徐凱先輩に、方萌も笑顔になった。
「浦東の被害者の手が、こんな風に見えるのです」
常に冷静沈着な楊偉が顧警部に説明すると、急いで徐凱はスマホの画面を顧警部に見せた。
「確かに、そう見えんこともないか…」
「ダイイングメッセージってことですかね?」
便乗して覗き込んだ方萌が、興味津々で囁いた。
