第4章 探偵が追っていたもの
静安署の鑑識活動も終わりかけた頃、3号室の楽屋から呉警部が出てきた。
胡双が使っていた特別室は、後片付けをする一部の鑑識係が残って、顧警部と何かを話していた。そこから少し離れた場所に、不安そうな顔をしている王淑芬が立っており、その隣に青い顔をして心細げなジョニーが方萌に支えられていた。
「張毅!」
それを見守るように少し離れていた張毅が、急に名前を呼ばれてハッと我に返った。
「は、はい、警部!」
エリートの呉警部を尊敬している張毅は、まるで尻尾を振る犬のように方萌の傍から警部の傍に駆け付けた。
「鑑識はどうだったんだ」
ついその先に、まだ鑑識課員がいるというのに、呉警部は彼には訊ねず、張毅を問い質す。
「はい。やはり、関係者以外の指紋も多く出たそうで、犯人の特定には至らないようです。犯人が残した可能性が高い、あの花束からは、むしろ誰の指紋も出なかったので、犯人は手袋をしていたと思われます」
黙って聞きながら、呉警部はチラチラと顧警部の方を伺っている。呉警部にとって、検挙率の高い顧警部は一方的なライバルなのだ。どんな行動も意識してしまう。
「浦東の事件は、もうエエんか」
帰ろうとする鑑識課員と共に、特別室の楽屋を後にしようとした顧警部が、入り口近くに立っていた呉警部に、さりげない風で声を掛けた。
「ウチの所轄とは関係なさそうだ。あっちは昔の人身売買組織が絡んでいる。こっちは、もっと個人的な動機だろう」
ライバル視していたとしても、そこはやはり同僚としての最低限のルールは守らねばならないと思っている呉警部だ。この辺りが、だてにエリートを気取っているわけではない。優秀な警官であることは間違いないのだ。ただ、ちょっとばかりせっかちで、結論を急ぐ悪い癖があるのだが。
「個人的て、思うんか…」
独り言のようにポツリと呟くと、顧警部はそれ以上何も言わずに、部屋を出て行った。
***
唐煜瑾と恭安楽は、昼食を摂ったダイニングテーブルから、煜瑾のお気に入りである居心地の良いソファーに移動し、デザートが供されるのを待っていた。
「ついに、唐家のアップルパイがいただけるのね。噂には聞いていたけど、なかなか機会が無くて残念に思っていたのよ」
「もっと早くに召しあがっていただくべきでした。私はこのアップルパイが大好きなのです」
すっかり元気になった煜瑾は、はしゃぎながら、大好きな「おかあさま」である恭安楽にアップルパイを勧めた。
「これは、とても幸せなことだわ、煜瑾ちゃん。今日も、私たちは美味しいものを、楽しくいただくことができる」
恭安楽が言わんとすることを察して、煜瑾は笑顔を封じて、真剣な顔になった。
「はい…」
思い詰めた表情の、感受性の強い煜瑾に同情しながら、恭安楽はその手を握って励ました。
「煜瑾ちゃんに、怖い事を思い出させたいわけじゃないの。ただ、この幸せをしっかりと受け止めて、強い気持ちでいて欲しいのよ」
「はい、おかあさま…。自分の幸せに感謝します」
素直で聡明な煜瑾に、恭安楽も安心して、ギュッと抱き締めた。
「本当に、煜瑾ちゃんはイイ子。幸せに生きる資格のある子だわ。それを、決して忘れないでね」
「おかあさま、ありがとうございます」
煜瑾は、自分の幸せを当然だと享受してはいけないのだと思った。感謝を忘れず、自分の力で幸せを守りたいと思ったのだった。
***
「あ、警部!もう、お帰りに?」
素知らぬ顔をして出て行こうとする顧警部に気付いて、方萌が声を掛けた。すっかり心弱いジョニーに同情していた方萌だったが、上司である顧警部に置いて行かれそうになって、慌てて声を掛けた。
「ここには、探しているモンは、無いさかいな」
「探している…もの?」
サラッと答えた顧警部に、方萌はアッと気付いたが、近くにいる呉警部に気付いてそれ以上は何も言わなかった。
「あ、そうや…」
空とぼけた顧警部が振り返った。
「そこの、かいらしいボンは、もう帰ってエエで」
可愛らしいと言われ、羽小敏は照れたような、困ったような、明らかに戸惑った表情をした
「ボク…?エエっと、楊偉捜査官に送ってもらうから…」
まだこの事件の捜査に興味津々の小敏は、少しでも現場に居たいと時間稼ぎにそう言った。
「さよか。けどな、あのエリートさんは忙しなると思うで。もう大きいんやさかい、1人で帰り」
顧警部は親切な近所のオジサンのような口調でそう言うと、チラリと方萌に視線を送り、Dr.Hooの楽屋を後にした。
残された呉警部も興味無さそうに楽屋を出ようとしたのだが、王淑芬がまだそこに残っていることに気付いた。
胡双が使っていた特別室は、後片付けをする一部の鑑識係が残って、顧警部と何かを話していた。そこから少し離れた場所に、不安そうな顔をしている王淑芬が立っており、その隣に青い顔をして心細げなジョニーが方萌に支えられていた。
「張毅!」
それを見守るように少し離れていた張毅が、急に名前を呼ばれてハッと我に返った。
「は、はい、警部!」
エリートの呉警部を尊敬している張毅は、まるで尻尾を振る犬のように方萌の傍から警部の傍に駆け付けた。
「鑑識はどうだったんだ」
ついその先に、まだ鑑識課員がいるというのに、呉警部は彼には訊ねず、張毅を問い質す。
「はい。やはり、関係者以外の指紋も多く出たそうで、犯人の特定には至らないようです。犯人が残した可能性が高い、あの花束からは、むしろ誰の指紋も出なかったので、犯人は手袋をしていたと思われます」
黙って聞きながら、呉警部はチラチラと顧警部の方を伺っている。呉警部にとって、検挙率の高い顧警部は一方的なライバルなのだ。どんな行動も意識してしまう。
「浦東の事件は、もうエエんか」
帰ろうとする鑑識課員と共に、特別室の楽屋を後にしようとした顧警部が、入り口近くに立っていた呉警部に、さりげない風で声を掛けた。
「ウチの所轄とは関係なさそうだ。あっちは昔の人身売買組織が絡んでいる。こっちは、もっと個人的な動機だろう」
ライバル視していたとしても、そこはやはり同僚としての最低限のルールは守らねばならないと思っている呉警部だ。この辺りが、だてにエリートを気取っているわけではない。優秀な警官であることは間違いないのだ。ただ、ちょっとばかりせっかちで、結論を急ぐ悪い癖があるのだが。
「個人的て、思うんか…」
独り言のようにポツリと呟くと、顧警部はそれ以上何も言わずに、部屋を出て行った。
***
唐煜瑾と恭安楽は、昼食を摂ったダイニングテーブルから、煜瑾のお気に入りである居心地の良いソファーに移動し、デザートが供されるのを待っていた。
「ついに、唐家のアップルパイがいただけるのね。噂には聞いていたけど、なかなか機会が無くて残念に思っていたのよ」
「もっと早くに召しあがっていただくべきでした。私はこのアップルパイが大好きなのです」
すっかり元気になった煜瑾は、はしゃぎながら、大好きな「おかあさま」である恭安楽にアップルパイを勧めた。
「これは、とても幸せなことだわ、煜瑾ちゃん。今日も、私たちは美味しいものを、楽しくいただくことができる」
恭安楽が言わんとすることを察して、煜瑾は笑顔を封じて、真剣な顔になった。
「はい…」
思い詰めた表情の、感受性の強い煜瑾に同情しながら、恭安楽はその手を握って励ました。
「煜瑾ちゃんに、怖い事を思い出させたいわけじゃないの。ただ、この幸せをしっかりと受け止めて、強い気持ちでいて欲しいのよ」
「はい、おかあさま…。自分の幸せに感謝します」
素直で聡明な煜瑾に、恭安楽も安心して、ギュッと抱き締めた。
「本当に、煜瑾ちゃんはイイ子。幸せに生きる資格のある子だわ。それを、決して忘れないでね」
「おかあさま、ありがとうございます」
煜瑾は、自分の幸せを当然だと享受してはいけないのだと思った。感謝を忘れず、自分の力で幸せを守りたいと思ったのだった。
***
「あ、警部!もう、お帰りに?」
素知らぬ顔をして出て行こうとする顧警部に気付いて、方萌が声を掛けた。すっかり心弱いジョニーに同情していた方萌だったが、上司である顧警部に置いて行かれそうになって、慌てて声を掛けた。
「ここには、探しているモンは、無いさかいな」
「探している…もの?」
サラッと答えた顧警部に、方萌はアッと気付いたが、近くにいる呉警部に気付いてそれ以上は何も言わなかった。
「あ、そうや…」
空とぼけた顧警部が振り返った。
「そこの、かいらしいボンは、もう帰ってエエで」
可愛らしいと言われ、羽小敏は照れたような、困ったような、明らかに戸惑った表情をした
「ボク…?エエっと、楊偉捜査官に送ってもらうから…」
まだこの事件の捜査に興味津々の小敏は、少しでも現場に居たいと時間稼ぎにそう言った。
「さよか。けどな、あのエリートさんは忙しなると思うで。もう大きいんやさかい、1人で帰り」
顧警部は親切な近所のオジサンのような口調でそう言うと、チラリと方萌に視線を送り、Dr.Hooの楽屋を後にした。
残された呉警部も興味無さそうに楽屋を出ようとしたのだが、王淑芬がまだそこに残っていることに気付いた。
