第4章 探偵が追っていたもの
「それで、被害者は、何を…」
「トムです。トーマス・カオ。彼にはちゃんと名前があります…いや、『ありました』」
徐凱刑事の言葉を遮ってまで主張した胡双だったが、その目は潤んでいた。
「トムに、敬意を払っていただきたい」
やっとの思いでそれだけを言うと、胡双とベネット氏は目を合わせ、互いを同情したように頷き合った。
黙ってそれを見ていた楊偉捜査官が急に口を開いた。
「カオさんは、胡双さんのどのようなプライベートを調査されていたのですか?」
それは、核心を突く質問だった。あからさまに、胡双の甘いマスクに動揺が広がる。
「Could you please not tell anyone else?(他言無用で)」
「それは、お約束出来かねますな」
高圧的な態度で、ハワード・ベネット氏の言葉を否定した呉警部だったが、楊偉捜査官はそれをそのままベネット氏に伝えることはしなかった。
「I promise not to reveal any secrets(秘密は守るとお約束します)」
「ありがとうございます、捜査官。ハワードは心配しているようですが、私は『今回の事』が世間に知られても構わないと思っています。それで、トムのリベンジができるのであれば」
「Nick…」
ベネット氏は、胡双が何を言ったのか、言葉ではなく沈痛な顔つきで理解したようだった。
その時、楊偉捜査官が珍しく困惑した目をした。
「ニック、とは、あなたの名前ですか、Dr.Hoo?」
思わずベネット氏が漏らした一言に、楊偉捜査官が気付いたのだ。
「ええ。『Dr.Hoo』というのが、私の芸名だというのはご存知でしょうが、それは『胡双』という元々の芸名から派生したものです。中国の名前の方が、今後アジアでの興行を考える上で意味があると、ハワードが判断したので。それに、アメリカでも、エキゾチックでミステリアスなイメージを構築するのに役立ちました」
胡双はそこまで言って、胸の内ポケットから自身のカナダ国籍のパスポートを取り出した。
「私の本名は、このパスポートにある通り『ドミニク・リュー・リー』。両親は今もカナダで健在ですが、元は香港からの移民です。私も香港で生まれ、幼い頃に、両親と共にカナダに移住し、カナダで育った記憶しかありません」
ここまでは、人気マジシャンであるDr.Hooの公式なプロフィールと一致している。事前に確認しておいた楊偉捜査官は、嘘はないと思った。
「本名の『ドミニク』の愛称として、ハワードは私を『ニック』と呼びます。この呼び方は、ハワードとトムくらいしか使いません。両親は私を『ミヌー』と呼びますし、学生時代の友人たちは『リュー』と呼びますので」
ここで胡双は、自分を「ニック」と呼ぶ数少ない友人を喪った現実に、胸を痛めた。
その沈黙の間に、楊偉は考えを巡らせる。「ドミニク」の愛称に、確かにフランス風の「ミヌー」や、英語らしい「ニック」が使われても不自然ではない。ここにも、嘘はないと楊偉は思うが、自分でも確信が持てない、言い知れない違和感があった。それは直感で、楊偉自身にも説明がつかない「何か」だった。
「それで、トーマス・カオ氏が調べていたのは一体何なんです?」
イラついたように呉警部が胡双ことドミニクを急き立てる。身近な人間を喪ったばかりの彼らに寄り添う余裕などないらしい。
顔には出さないが、これが顧警部であれば状況は違うだろうと、楊偉は思った。
「実は、これは最近になって知ったのですが…」
言いにくそうにドミニク・リーは打ち明けた。
「私は、カナダの両親の実子では無かったのです」
「…!」
捜査担当者たちは、言葉を失った。あくまでも事件の関係者であって、親しい仲ではないが、それでも、彼の極めてプライベートな出生の秘密を知ってしまったことは、誰しもが気持ちを揺さぶられた。
「どうして、それを?」
真面目で、心優しい徐凱刑事が、踏み込み過ぎかと遠慮しつつも、ドミニク・リーに訊ねる。
「大学時代、父が事故で入院したのです。その時、輸血が必要となり、私と父の血液型が親子としてあり得ない組み合わせだということを知りました。その時は、もしや母が別の男性と、とまで思い悩み、父はもちろん、母にも打ち明けられず…」
悲しそうに笑って、「ニック」はベネット氏を見つめて、簡単に今話したことを説明した。ニックの勇気ある行動に感激したアメリカ人は、またも大げさに見えるボディランゲージで、隣に座る若い友人をハグした。
それを優しい眼差しで見ているのは徐凱と楊偉だけで、呉警部は苦々しい顔をしてそれを見ていた。
「それでは、被害者…じゃなく、トーマス・カオ氏は、上海であなたの本当の親を探していた、そういうことですか?」
短気な呉警部は、答えを待ち切れずに、ドミニク・リーに迫った。それを見つめる楊偉捜査官の視線は冷ややかだった。
「トムです。トーマス・カオ。彼にはちゃんと名前があります…いや、『ありました』」
徐凱刑事の言葉を遮ってまで主張した胡双だったが、その目は潤んでいた。
「トムに、敬意を払っていただきたい」
やっとの思いでそれだけを言うと、胡双とベネット氏は目を合わせ、互いを同情したように頷き合った。
黙ってそれを見ていた楊偉捜査官が急に口を開いた。
「カオさんは、胡双さんのどのようなプライベートを調査されていたのですか?」
それは、核心を突く質問だった。あからさまに、胡双の甘いマスクに動揺が広がる。
「Could you please not tell anyone else?(他言無用で)」
「それは、お約束出来かねますな」
高圧的な態度で、ハワード・ベネット氏の言葉を否定した呉警部だったが、楊偉捜査官はそれをそのままベネット氏に伝えることはしなかった。
「I promise not to reveal any secrets(秘密は守るとお約束します)」
「ありがとうございます、捜査官。ハワードは心配しているようですが、私は『今回の事』が世間に知られても構わないと思っています。それで、トムのリベンジができるのであれば」
「Nick…」
ベネット氏は、胡双が何を言ったのか、言葉ではなく沈痛な顔つきで理解したようだった。
その時、楊偉捜査官が珍しく困惑した目をした。
「ニック、とは、あなたの名前ですか、Dr.Hoo?」
思わずベネット氏が漏らした一言に、楊偉捜査官が気付いたのだ。
「ええ。『Dr.Hoo』というのが、私の芸名だというのはご存知でしょうが、それは『胡双』という元々の芸名から派生したものです。中国の名前の方が、今後アジアでの興行を考える上で意味があると、ハワードが判断したので。それに、アメリカでも、エキゾチックでミステリアスなイメージを構築するのに役立ちました」
胡双はそこまで言って、胸の内ポケットから自身のカナダ国籍のパスポートを取り出した。
「私の本名は、このパスポートにある通り『ドミニク・リュー・リー』。両親は今もカナダで健在ですが、元は香港からの移民です。私も香港で生まれ、幼い頃に、両親と共にカナダに移住し、カナダで育った記憶しかありません」
ここまでは、人気マジシャンであるDr.Hooの公式なプロフィールと一致している。事前に確認しておいた楊偉捜査官は、嘘はないと思った。
「本名の『ドミニク』の愛称として、ハワードは私を『ニック』と呼びます。この呼び方は、ハワードとトムくらいしか使いません。両親は私を『ミヌー』と呼びますし、学生時代の友人たちは『リュー』と呼びますので」
ここで胡双は、自分を「ニック」と呼ぶ数少ない友人を喪った現実に、胸を痛めた。
その沈黙の間に、楊偉は考えを巡らせる。「ドミニク」の愛称に、確かにフランス風の「ミヌー」や、英語らしい「ニック」が使われても不自然ではない。ここにも、嘘はないと楊偉は思うが、自分でも確信が持てない、言い知れない違和感があった。それは直感で、楊偉自身にも説明がつかない「何か」だった。
「それで、トーマス・カオ氏が調べていたのは一体何なんです?」
イラついたように呉警部が胡双ことドミニクを急き立てる。身近な人間を喪ったばかりの彼らに寄り添う余裕などないらしい。
顔には出さないが、これが顧警部であれば状況は違うだろうと、楊偉は思った。
「実は、これは最近になって知ったのですが…」
言いにくそうにドミニク・リーは打ち明けた。
「私は、カナダの両親の実子では無かったのです」
「…!」
捜査担当者たちは、言葉を失った。あくまでも事件の関係者であって、親しい仲ではないが、それでも、彼の極めてプライベートな出生の秘密を知ってしまったことは、誰しもが気持ちを揺さぶられた。
「どうして、それを?」
真面目で、心優しい徐凱刑事が、踏み込み過ぎかと遠慮しつつも、ドミニク・リーに訊ねる。
「大学時代、父が事故で入院したのです。その時、輸血が必要となり、私と父の血液型が親子としてあり得ない組み合わせだということを知りました。その時は、もしや母が別の男性と、とまで思い悩み、父はもちろん、母にも打ち明けられず…」
悲しそうに笑って、「ニック」はベネット氏を見つめて、簡単に今話したことを説明した。ニックの勇気ある行動に感激したアメリカ人は、またも大げさに見えるボディランゲージで、隣に座る若い友人をハグした。
それを優しい眼差しで見ているのは徐凱と楊偉だけで、呉警部は苦々しい顔をしてそれを見ていた。
「それでは、被害者…じゃなく、トーマス・カオ氏は、上海であなたの本当の親を探していた、そういうことですか?」
短気な呉警部は、答えを待ち切れずに、ドミニク・リーに迫った。それを見つめる楊偉捜査官の視線は冷ややかだった。
