第3章 第2の事件

「鑑識って、また事件なの?まさか、また!」
「あ、ち、違います!」

 方萌は、徐凱が想像したであろうことを慌てて否定した。

「殺人事件ではありません。こっちは盗難事件です」
「盗難?」

 大きく頷くと、方萌は徐凱を楽屋の特別室へ案内した。

「顧警部、よろしいですか?」
「鑑識か?えらい早いな」

 不審に思った顧警部が座っていた椅子から立ち上がった。

「他に無くなったものは無いらしいで」

 方萌が廊下に出ている間も、胡双たちは室内を確認していたようだ。

「一番価値がある宝石は、ホテルの金庫に入れてあるんだって…」

 仲良くなった方萌に、席を外していた時に得た情報を教えてあげようと、小敏が親切に話しかけたが、途中で、方萌と一緒に入ってきた男性が見知らぬ人であることに気付いた。

「誰や?」

 問いかけようとした小敏に先んじて、顧警部が鋭い声で言った。

「初めまして、顧平警部。ご高名は伺っています。私は、浦東第3分署の刑事、徐凱と申します」

 優等生らしく、姿勢を正し、徐凱刑事はまるで警官の見本のような敬礼をして見せた。

「あ、そりゃ、まあ、ご丁寧に…」

 それにつられたように、顧警部もちょっと緩い敬礼を返した。

「で、なんのご用で?」

 チラリと方萌の方を見ながら、顧警部が訊ねると、おずおずと徐凱刑事が口を開いた。

「実は、警部。うちの管轄で起きた事件で、こちらにおられるハワード・ベネットさんに、お話を伺いたくて来ました」
「ハワード?」

 驚いたのは、胡双の方だった。

「よその管轄での事件に、ハワードが関係していると?」

 胡双の動揺に、ハワードの表情にも緊張が走る。すぐに気付いた楊偉が、ベネット氏に現状を通訳する。

「なんの事件ですか?また盗難?まさか…」

 冷静な王淑芬が徐凱刑事に迫ると、彼は眉を寄せつつ、答えて良い物かどうか顧警部の方を見た。
 それに応えて、顧警部は手を上げてその先を制した。

「ベネット氏の楽屋が隣です。鍵もお持ちのようなので、徐凱刑事とそちらでお話いただいては?」

 先にハワードと話をつけたらしい楊偉がそう言うと、顧警部はちょっと顔をしかめた。手際の良すぎる捜査官が、ほんの少し、顧警部の鼻についた。

「よろしければ、私が通訳に入りますが?」

 楊偉の申し出に、方萌が慌てて手を上げた。

「徐凱刑事のお手伝いなら私が!」

 意気込んで申し出た方萌を、顧警部が不可解な表情で見つめる。その顔に気付いて、方萌も慌てて言い添えた。

「実は、徐凱刑事は、私の高校時代の先輩なんです」
「カレシか」
「ち、違いますよ!」

 冷やかすようでも無く、サラッと言った顧警部に、方萌は真っ赤になって否定した。徐凱も困ったように俯いてしまった。

「お前には、自分の事件があるやろ。他の所轄のヤマにまで首を突っ込むな」

 厳しい顧警部の叱責に、方萌は顔色を変えた。懐かしい先輩との再会に浮かれていたことに気付き、プロ意識の欠如と、顧警部に甘えていた自分が猛烈に恥ずかしくなった。

「も、申し訳ありません!」

 真剣な表情で、真っ赤な顔で、方萌は深く頭を下げた。

「方萌!」

 自分のせいで後輩が警部に叱られたと思った徐凱は、素早く方萌に近付き、上体を支えた。

「そもそも、そこの人に何の用事やねん」

 打って変わっていつも通りの緩い口調で、顧警部が方萌を庇おうとする徐凱に訊ねた。

「……」

 徐凱刑事は、口を開きかけたが、小瓶や王淑芬といったような捜査関係者に見えない人間を前に、話していいものかどうか、明らかに戸惑っていた。

「かまへん。何があったか聞くだけや」

 顧警部の許可に、ニヤリと嬉しそうにしたのは、小敏だけだった。追い出されないよう、さすがの小敏もそれ以上は黙っていた。

「浦東のホテルで発見されたご遺体のパスポートケースから、こちらのハワード・ベネットさんの名刺が見つかりましたので、お知り合いかと。被害者について、何かご存知なら、お話を伺いたいのです」

 誠実な態度の徐凱刑事に、顧警部は何も言わずに考え込んだ。

「ゴメン、方萌。大丈夫だった?」

 情けない顔をしている方萌に寄り添い、徐凱は声を掛けた。

「うわ~!」
「!」

 鑑識課を待つために、ドアを開け放していた特別室の前で、思いがけない大声がして、一同は驚いて振り返った。

「呉警部?」

 そこには、驚きの余りに大声を出してしまい、顔色を変えて壁に取りすがっている張毅と、それを見下すような、静安署の呉警部が立っていた。

「どうされました、呉警部?」

 話しかけたのは王淑芬で、顧警部はやれやれと言った表情で、胡双とベネット氏は不安そうに、楊偉捜査官は無表情のまま、小敏だけが相変わらずニヤニヤしながら、呉警部と張毅を迎えた。





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