第3章 第2の事件

 顧平警部の大きな笑い声で、その場の空気は一変した。すっかり和やかな雰囲気になったその時のことだった。

「遅くなりました」

 天才マジシャンである胡双が、マネージャーであるハワード・ベネットを連れて現れた。

「胡双さん!」

 方萌が、カリスマ的イケメンのDr.Hooとの再会に目を輝かせた。

「胡双、この楽屋の鍵が開いていたそうなの」

 王淑芬が浮かない顔で事実を告げると、胡双は驚いて目を見張り、信頼するマネージャーを振り返った。

「それで、もし、何かが無くなっていたらいけないので、確認していただけますか?」

 方萌の言葉を、胡双がマネージャーに通訳すると、ハワードは大げさに見えるほどに驚いた。

「無くなったものがないか、すぐに確認して」

 そう声を掛けた王淑芬に、胡双は頷き、翻訳をする間もなくハワードも前のめりになって楽屋の奥へと踏み込んだ。

「What is this bouquet?(この花束は?)」

 最初に気付いたのは、ハワードだった。

「花束?」

 方萌がハワードの言葉に反応して、そちらを見ると、胡双が座るはずの大きな鏡台の前に、みずみずしいチューリップの花束がレースのラッピングのまま置かれていた。

「ああ、この部屋に入った時、いい匂いがしたのはこれだったんですね」

 方萌がニッコリして言うと、顧警部と胡双が釈然としない顔をした。
 その黄色いチューリップの花束は新鮮で、とても昨夜から誰もいないこの楽屋に置き忘れられていたものとは思えなかった。
 つまり、この花束を置くために、誰かがこの楽屋の鍵を開けたというのだろうか。

「まるで、ついさっき置いたばかりのような、鮮度の良い花束ですね」

 感情を込めず、淡々と楊偉が口にすると、まるで自分の気持ちを代弁されたような気がして、顧警部はチラリと苦々しい視線を送った。

「それで、この部屋の鍵は、誰が持ってるねん?」

 顧警部が思い出したように言い出した。

「マスターキーは、劇場支配人が持っていますが、胡双とヴィヴィがこの特別室の鍵を持っていたはずです」

 仕事のできる王淑芬がテキパキと答えると、胡双は急いでジャケットの右ポケットから鍵を取り出した。

「私の持つ鍵はこれです」

 器用そうなマジシャンの大きな掌に、銀色の小さな鍵が1つ光っていた。

「Why don't you have a key?(あなたは鍵を持っていないのですか?)」

 楊偉がベネットに訊ねると、彼は肩を竦めた。

「私以外に、ヴィヴィが鍵を持っていたのは、彼女がステージ用の衣装やヘアメイクを担当していたからです。私が鍵を掛けて出た時も、ヴィヴィが自由に出入りして、ステージの準備が出来るように、鍵を渡していました」
「なるほど…」

 もう一度、タブレットを確認していた方萌が、アッと息を飲んで、顧警部の肩をつついた。

「なんやねん?」
「警部。鑑識が押収した証拠品の中に、ボトルクーラーはありません。あと、被害者の持ち物の中に、鍵らしきものもありません」
「なんやと?」

 方萌の報告に、顧警部も声が厳しくなる。

「この部屋にも、ボトルクーラーは無いようですね。もしかしたら、警察の方がホテルに返してしまわれたとか?」

 周囲を見回しながら、王淑芬が言うと、方萌が慌てて否定した。

「いえ、この一覧表には、返却した物を含め、一旦押収したものは全て書き込まれています。どれが大事な証拠になるか分かりませんからね」
「じゃあ、警察が押収しなかったから、ホテルの者が片付けたのかも。私が確認して来ましょう」

 回転の速い王淑芬は、すぐに思い付いて申し出るが、それを楊偉が止めた。

「いえ、施錠してあったこの部屋のドアが開いていた以上、盗難の可能性は大いにあります」
「つまり、犯人が持ち去った…ってこと?」

 ボトルクーラーが重大な証拠であるという、唯一の証人の小敏は、気が気でなかった。

「これは…?」

 その時、胡双が黄色いチューリップの花束を取り上げ腕に抱えると、声を上げた。

「なんや?」

 顧警部が振り返ると、花束の下に、おそらくはこの楽屋のものであろう、鍵が1つ置いてあった。

「え?つまり、誰かが、この鍵を使ってこの部屋に入り、ボトルクーラーを盗み、花束を置いて帰った、ってことですか!」

 驚いた方萌は、またも顧警部の近くで大きな声で叫び、警部は身を竦ませた。

「やかましいて言うてるやろが!」
「あ、すみません…」

 微笑ましい2人に、小敏の頬が緩んだ。

「でも、黄色いチューリップなんて、趣味が悪いよね」
「?」

 小敏の軽い一言に、一同はキョトンとした。

「小敏さん、どういう意味です?」

 楊偉の質問に、小敏は得意げに口を開いた。

「花言葉だよ」

 屈託ない笑顔を浮かべる小敏を、全員が疑念を抱いた眼差しで見つめた。





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