第3章 第2の事件

 羽小敏が、本物の証人であると直感した顧警部は、小敏に近付いた。

「で、そのバケツが、事件とどんな関係が?」

 顧警部が小敏に詰め寄った。だが、小敏は人懐っこい笑顔を浮かべて、臆する様子はなかった。随分と肝の据わった「坊や」だというのが、顧警部の感想だった。

「ボクは、2階の桟敷席からステージを見下ろす位置にいました。その角度だからこそ、見えたんですけど…」

 そこまで言って、小敏はチラリと楊偉に視線を送った。何もかも、この所轄の警部に打ち明けてしまっていいのか、確認するためだ。すぐにその意図を察した楊偉捜査官は、何も言わずに頷いた。

「ヴィヴィは、客席に背を向けた時に、シャンパンが入っていたボトルクーラーから氷を摘まんで食べたんです」
「なんやと!」

 驚いた顧警部が、思わず小敏の肩を掴んだ。

「わ!」

 突然のことに、小敏はよろめいてしまい、それを急いで楊偉が抱き止めた。

「小敏さん!」
「あ…、かんにん…」

 つい興奮した自分を反省して、慌てて手を放し、顧警部はすぐに謝った。

「氷って…。どうしてそんなものを?」

 信じられないという顔で、王淑芬が呟くと、方萌も同意するように大きく首を縦に振った。

「氷を口に入れたってことは、シャンパンに毒が入っていなかった以上、氷に毒が仕込んであった可能性が出てきましたね!」

 事件が進展しそうな空気に、方萌は目をキラキラさせて、意欲満々だ。

「その氷が入ってたバケツはどこや!」

 警部に言われて、方萌は急いで楽屋内を見渡すが、見当たらない。

「開封した瓶と一緒に、署に持ち帰ったのかもしれません」

 方萌の報告に、顧警部は渋い顔をした。

「すぐに問い合わせろ」
「はいっ」

 キビキビとした刑事たちの対応を、小敏は頼もしそうに見つめていた。

「他には?」
「え?」
「他には、何か見てへんのか?」

 真剣な表情で、顧警部は出来るだけ冷静になるよう努めて、小敏に質問した。

「ん~、と」

 小敏も、実直そうな顧警部の期待に応えたいと、必死に記憶をたどった。

「いいんですよ、小敏さん。あなたの証言はすでに捜査の役に立ちましたから」
「う…、うん」

 迷いながらも小敏は頷き、申し訳なさそうに顧警部に頭を下げた。

「疑うわけやないが、確かに、被害者は氷を口に入れたんやな」
「はい」

 思いも寄らなかった新たな証人の登場に、顧警部も慎重になっていた。だが、そんな顧警部の真剣な態度が、事件に対する熱意や正義を感じさせ、楊偉はフッと口元を緩めた。この昔ながらの実直な刑事なら信頼に足る、と確信したようだった。

「顧警部。私は、大使館に真実を報告するのが目的です。あなたに協力はしても、決して捜査妨害はしません。それだけはお約束します」

 楊偉の言葉に、顧警部は耳を傾けながらも、そちらを見ようともしない。

「警部…」

 心配になった方萌が声を掛けると、顧警部はフッと力を抜いて、小敏から楊偉へと視線を移した。

「証人も連れて来てくれたことやしな。ま、こちらも協力させてもらいまっさ」

と、言うと、顧警部は二ッと笑った。警部の方も、警察が見逃した証人を探し出してきた楊偉の手腕を認めざるを得ないと思ったのだ。

「警部、押収した証拠品の一覧を送ってもらいました」

 方萌がそう言って、手にしたタブレット上に一覧表を表示した。それに目をやろうとした顧警部だったが、すぐに眉をひそめた。

「そんな細かい字、よう読まん。ちょっと、そのバケツとやらを探してみ」
「はい…。ええ~と、バケツじゃなくて、ボトルクーラーですよね?」

 苦笑しながらも、方萌は一覧表に目を通し始める。それを見守りながら、顧警部は先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろした。

「お疲れですか」

 嫌味の無いスマートさで楊偉が声を掛けると、顧警部は皮肉っぽく笑った。

「もう、歳やさかいな」
「まさか」

 楊偉が否定すると、顧警部は、笑顔だけはそのままに、眼差しだけが真剣になった。

「いや。もう俺らの時代やない。捜査のやり方も新しくなって付いていけへん。これからは、若いもんに任せんと、な」

 それは、方萌巡査の有能さを、顧警部が認めているということだ、と楊偉と小敏は気付いた。

「でも、ボクはそれだけでは今回の事件は解決しないと思うな」

 小敏の言葉に、顧警部がいぶかしげな視線を送る。

「デジタルとアナログ、どっちもいいところがあるし」

 にこにこしながら小敏が言うと、顧警部はムッとした様子で言い返した。

「どうせアナログですわ。すんませんな」
「え!あ、ボ、ボク、そんなつもりじゃ…」

 慌てて両手を振って言ったことを取り消そうとした小敏だったが、次の瞬間、顧警部の大きな笑い声に打ち消された。




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