第3章 第2の事件

 ジョニー・レイとの電話を切った方萌巡査は、微妙な顔をして顧平警部を振り返った。

「どないした?」

 方萌の様子に気付いた顧警部が声をかけると、新人巡査で、臨時の見習い刑事である方萌は、申し訳なさそうに顧警部に報告した。

「胡双さんとベネットさんは、オンライン会議中で、しばらく席を外せないそうです。会議が終わり次第、こちらに来て下さいます」
「さよか~」

 さらりと答えた顧警部だったが、珍しく覇気の無い方萌が気になって、思わず声をかけた。

「手品師さんご一行が、すぐに来られへんのは、お前のせいやないやろ。そんなにガッカリせんでもエエがな」

 責任を感じているのだろうと、励ましたつもりの顧警部だったが、方萌の反応は予想外のものだった。

「この事件のせいで、Dr.Hooの上海でのショーは打ち切りになって、マカオのカジノと契約するかもしれないんですって」
「はあ?」

 方萌の言いたいことが分からず、顧警部はキョトンとした。

「来週のショーのチケットが取れそうだったのに~」
「ナニ、言うてんねん」

 呆れた顧警部は、胡双たちを待つ間、楽屋の隅の椅子に腰を下ろした。

***

 小敏は、ここへ何をしに来たのか、ようやく思い出したように振り返り、客席に背を向けた。

「あれ?」

 その瞬間、驚いて息を飲んだ。
 小敏の声に、楊偉と王淑芬が反応して視線を送った。

「なんですか、小敏さん」

 そう言って楊偉が近付くと、小敏は困った顔をして、目の前にあるワゴンを指さした。それは、昨夜ジョニーがステージに運んできた、ミネラルウォーターやシャンパンが乗っていたワゴンだった。
しかし、それが今はきれいに何も乗っていない。何もかもが持ち出されたようだ。

「この上にあったものは?」

 覗き込むようにして、小敏が楊偉の向こうにいる王淑芬に訊ねた。すると彼女は、少し当惑したように答える。

「そこにあったものは、全て事件の証拠だと言って、警察が持って行きましたけど…」
「そんな~」

 ガッカリした小敏は、どうしたものかと楊偉を上目遣いで見つめると、楊偉はほんの少し口元を緩めた。これで、小敏が事件に関与するきっかけが無くなったと思っていることに、楊偉はすでに気付いていた。

「ボトルクーラーについては、私から警察に問い合わせておきますよ」
「ボトルクーラー?」

 王淑芬が不思議そうに聞き返した。

「いえ、何でもありません。お気になさらず」

 楊偉は王淑芬に余計な心配を掛けないよう、柔らかな笑みを浮かべた。

「あの~、警察の方が一旦回収して、その後すぐに返却されたものは、胡双さんたちが楽屋に移動されたと思いますが」

 王淑芬の言葉に、おッという顔で小敏が食いついた。

「じゃあ、それを見に行こう!」

 明るく、無邪気な、人タラシな小敏の笑顔に、一瞬怪訝な顔をした王淑芬だったが、結局はそのチャーミングな笑顔に負けて、クスリと笑った。

「いいでしょう。ご案内しますわ」

 そう言って、王淑芬はクルリと身を翻し、舞台の下手に向かって颯爽と歩き出した。

***

「あ、そうだ!」

 しょんぼりしていた方萌が、急に声を上げた。
 硬い、背もたれも無い椅子に座って、一息ついた顧警部だったが、方萌の声に慌てて腰を浮かせた。

「な、なんや!」
「あ、私、こんなこともあるかと、グミ買って来たんです!」
「グミぃ?」

 呆気にとられた顧警部をよそに、方萌は肩から下げていた大きなトートバッグをゴソゴソしだした。
 やれやれ、と言った様子で、椅子に座り直した顧警部は、待ちあぐねて大きなあくびをひとつした。

「はい、警部。これ、最近大人気のグミなんですよ~。添加物が少なくて、天然の色素とか、フレーバーとかにこだわっていて、美味しいんです!」

 方萌は自慢するように警部の手を取り、その掌に、可愛いパッケージの袋からいくつかのカラフルなグミを、ころころッと落とした。

「あ、お、おおきに…」

 なんとなく釈然としない表情のまま、顧警部はその手の中にある可愛らしいお菓子をジッと見た。

「あ、イチゴ味!」

 先に一粒、口に入れた方萌は、幸せそうに笑った。その笑顔に、顧警部もほだされたのか、不思議そうな顔で黄色い粒を1つ口に入れた。

「…。っ!酸っぱっ!」
「あ、それ、レモンですよ」
「先に言えや!」

 酸っぱそうに口をすぼめる顧警部を、方萌は声を上げて笑った。

「失礼。あなた方は?」

 そこへ声を掛けたのは、胡乱な顔をした楊偉捜査官だった。

「あ、こちらは、静安署の刑事さんたちです」

 慌てて王淑芬が引き合わせると、顧警部は疑わしそうな視線を上げ、立ち上がろうともしない。それでも、ひょいと会釈はした。

「自分は、静安署殺人課の臨時刑事、方萌です!こちらは同じく殺人課の顧平警部です!」

 相変らず元気いっぱいに、物おじすることも知らず、方萌は名乗り、尊敬する警部を紹介した。







14/21ページ