第3章 第2の事件

「この部屋に出入りした人物をホテル側に再確認し、ハワード・ベネットなる人物に被害者との関係を聴取します。あとは、アメリカ大使館に連絡し、被害者の情報を請求します」

 徐凱の教科書的な模範解答に、先輩刑事たちは一度顔を見合わせ、アイコンタクトで意思を確認すると頷いた。

「よし、いいだろう。ホテルと大使館への対応は、俺たちに任せろ。お前は、そのハワード・ベネットを当たれ」
「はいっ」

 先輩刑事たちに見守られながら、徐凱は浦東新区のホテルを離れ、南京西路のホテルへと向かった。

***

「客席に背を向けたヴィヴィはね、シャンパンが入っていたボトルクーラーの中の氷を、1つ摘まんで口に入れたんだ」
「!」

 思いもよらなかった羽小敏の告白に、淡々と振る舞っていた楊偉捜査官も息を飲んだ。

「氷食症?」

 文維がそう呟いた。

「なんですか?」

 聞き慣れない言葉に、煜瑾が不思議そうに聡明な恋人の顔を覗き込む。

「異食症の一種で、氷ばかり食べたくなる病気なのです。かつては精神的なものと思われていましたが、今では鉄欠乏症が原因だとされています。彼女は鉄欠乏症貧血だったのかもしれませんね」

 専門的な文維の言葉に、煜瑾は驚きを隠せない。

「彼女は、血圧が高くて、貧血だったのですか!あんなに元気そうだったのに…」

 優しい煜瑾は、在りし日の輝くばかりのヴィヴィの美しさを思い出し、悲しそうな顔をした。

「おそらくは、違います」

 だが、医師である文維の意見を否定したのは、やはり楊偉だった。

「検死報告書の血液検査欄に、彼女が鉄欠乏症だったという結果は出ていません。恐らくは、高血圧でもなかったでしょう」

 先ほどのメールには、警察の検死報告書が添付されていたのだろうか。それを一目して、医学的な判断を下せるほどの知識を、この捜査官は持っているのだろうか。
 煜瑾は、状況が理解できずに、文維の手を握り返し、救いを求めるような目をした。

「つまり、氷食症でも無いのに氷を口にし、高血圧でも無いのに降圧剤を服用していたと?」

 あまりにも意外な展開に、唐煜瓔も驚愕を隠せず、気が付けば立ち上がっていた。

「私の考えはこうです」

 小敏の証言を得て、確信を持った楊偉は、ここまでの状況証拠だけで積み上げた自分の推理を打ち明けた。

***

 静安署の顧警部と方萌巡査は、金煌麗都劇場の楽屋の廊下で顔を見合わせていた。

「開いてるで」

 4つある楽屋は、全てショーが開催されていた当時のまま、施錠してあるはずだった。だが、一番奥の特別室のノブに手を掛けた顧警部が、驚いて手を放し、声を漏らした。

「開いてますね」

 方萌も元々大きくクリクリした瞳を、さらに見開いた。そして、そのまま迷う暇もなく警部が放したドアノブに手を掛ける。

「おいおい!」

 あまりの方萌の大胆さに、またも顧警部は慌てるが、彼女が躊躇なくドアを開け、中に入ろうとした時には、さすがに肩を掴んで止めた。

「待て!」
「へ?」

 小柄な方萌は、顧警部に力任せを引っ張られて、クルリと廊下側へ見事なまでのターンを見せた。

「な、何なんですか?」
「あのな~。閉まってるはずのドアが開いてるってことは、中に誰かがいるかもしれへんやろ。それが不審者やったら、どないすんねん」
「あ~、なるほど~」

 親心さえ感じさせる顧警部の言葉にも、方萌はどこか他人事でキョトンとしている。

「お前な~。警察学校で何を勉強してきたんや」
「ええ~っと、逮捕術とか、犯罪心理とか…」

 あまりにも鈍感な方萌に、顧警部は呆れかえり、これ以上何か言うのはムダだと悟った。

「気ぃつけて、ドアを開けろ」

 方萌巡査がソッとノブを握ってドアを押すと、その隙間から、顧警部がするりと警戒しつつ部屋の中に入った。

「ん?」

 部屋に入ったと同時に、警部は何かを感じたが、その時はそれが何かは分からなかった。

「ん?」

 横から覗き込んだ方萌も、何かに気付いた様子で、顧警部を振り返った。

「なんか、イイ匂いしますね?」
「エエ匂い?」

 室内に誰も居ないことを目視して、警部は警戒を解いた。

「おい、新人」

 不満そうに顧警部を睨み返す方萌だが、顧警部は気にもしていない。

「お前、手品師ご一行と連絡付くんやろ?」
「ん?手品師…。ああ、胡双さんたちですね?ええ。ジョニーくんとは、割と頻繁にチャットのやりとりをしてますけど?」

 無頓着なのか、仕事が出来るのか、方萌の活躍ぶりに、顧警部は内心、首をかしげていた。

「すぐ、ここへ呼べ。鍵が掛かってるはずが、開いてたんや。盗難の可能性があるやろ。すぐここに呼んで、確認してもらえ」
「はい!」

 賢い方萌は、余計なことを聞かずに、素早くスマホを取り出し、おそらくはジョニー・レイに連絡を入れた。






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