第3章 第2の事件

 被害者が私立探偵だと分かって、徐凱はますます違和感が増した。この部屋には、私立探偵であれば持っているはずの、モバイルや資料が無いのだ。恐らくは、犯人が持ち去ったと思われる。が、犯人に繋がる痕跡は何一つ無かった。

「これは…」

 セキュリティーボックスを調べていた先輩に、手渡されたパスポートを預かった徐凱が調べていた時だった。紺色のパスポートケースの中に一枚の名刺を見つけたのだ。それは英字で書かれたネームカードで、そこに書かれていた名前を、徐凱は読み上げた。

「Dr.Hoo's manager…Howard Bennett(Dr.Hooのマネージャー/ハワード・ベネット)」

***

 ヴィヴィの検死の結果を説明する楊偉の言葉を、小敏たちは静かに聞いていた。彼女は、夾竹桃という植物から抽出された遅効性の毒によって、毒殺されたということだった。

「ただ、被害者は降圧剤を服用していたようですよ」

 楊偉の言葉に、文維は言葉を失った。

「まあ!若い女性だと思ったけど、血圧が高かったの?」

 夫である包伯言の血圧には気を付けている恭安楽は、驚いて声を上げた。

「降圧剤は、ごく一般的な処方薬ですが、被害者の持ち物には無かったそうです」
「どういうことなの?」

 高すぎる血圧をコントロールする降圧剤は、一過性ではなく恒常的に処方されることが多い。それなのに、残りの降圧剤を被害者が持っていなかったというのは、不自然だ。それは、医療の資格を持たない恭安楽でさえ知っていた。
 だが、医師である文維だけは、その意味を察していた。

「オレアンドリンは、確かに遅効性の毒物ですが、降圧剤などと一緒に服用すると、その特性が変わりますね」
「その通りです。今の報告書にも、その相乗効果について書かれていました」

 その重要性が理解できない、煜瑾と恭安楽は顔を見合わせる。しかし、ひとり小敏は難しい顔をして考え込んでいたが、ハッとして口を開いた。

「つまり、遅効性だと思われていた毒だけど、即効性に変わってるってこと?」

 小敏の核心を突く問いにも慌てることなく、穏やかに楊偉は答える。

「それは、あくまでも可能性の話ですが…」

 そう言いながらも、楊偉の表情は小敏の推理が正しいと語っている。

「じゃあ、ヴィヴィがステージ上で口にしたものに、毒が含まれていた、ってことだね?」

 硬い表情で、小敏が楊偉に確認した。

「思い当たることでも?」

 薄い笑顔を浮かべて、楊偉が質問を質問で返した。
 そんな楊偉の期待に応えるかのように、小敏は余裕タップリの態度でニヤリと笑った。

「だから、ボクが、あなたが欲しがっている証言をするって、言ってるじゃん」

 小敏の意図するところが分からずに、煜瑾は心配そうに親友を見つめていた。文維も、冷静な眼差しで、従弟と謎めいた訪問者とのやり取りを見ている。

「ぜひ、小敏さんのご協力を仰ぎたいのです」

 洗練された優雅さで楊偉は立ち上がり、年下の小敏に対して頭を下げた。

「小敏、いい加減に意地悪はおよしなさい」

 堪りかねて、恭安楽が声を掛けた。

「小敏。知っていることがあるなら、出し惜しみをせずに、彼に協力したまえ。煜瑾をいつまでも不安にさせることはあるまい?」

 さすがに唐煜瓔にまでそう言われては、小敏もいつまでも楊偉の人となりを探ってもいられない。

「分かったよ。もう悪ふざけはやめる。ボクが、あの劇場で見たのはね」

 小敏は、思わせぶりに間を取り、お得意の人タラシの笑顔で、ついに言った。

「あの時ヴィヴィは、客席に向かってシャンパンの瓶の栓を抜き、それを自分とDr.Hooのグラスに注ぐために、一度後ろを振り返ったよね。みんなはDr.Hooと趙局長に注目してたと思うけど、ボクは2階から彼女を見下ろす位置だったから、彼女がしたことが、偶然見えたんだ」

 煜瑾は、小敏がヴィヴィの死の直前に何を目撃したのか、急に不安になってきた。何か恐ろしいものを見たのではないかと、思うと、また気分が悪くなり、無意識のうちに文維に身を寄せ、文維もまた、多感な煜瑾の手を力強く握った。

「彼女、客席に背を向けた状態で…」

***

「Dr.Hooと言えば…。昨日、南京西路のホテルでショーをしていたマジシャンじゃないのか?」
「確か、そうです。そのマネージメントをしている外国人のようですね」

 先輩刑事の言葉に、徐凱は頷いた。ふと思いついて、自分のスマホで検索をする。

「やはり昨日、静安署であった事件の関係者のようです」

 徐凱が報告すると、先輩刑事は頷いた。

「で、次はどうする?」

 先輩刑事たちに注目され、徐凱はプレッシャーを感じながらも、冷静に判断をしようと務めていた。
 刑事2年目の徐凱に対し、先輩たちは捜査を主導させることで、徐凱を教育するつもりだった。



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