第3章 第2の事件

 静安署の顧警部と方萌巡査は、まだ警察の規制線が残る、上海華茂麗都大酒店内の金煌麗都劇場にやってきた。2人は、劇場の入口で警備をしているホテルのガードマンに身分証を見せ、会釈をして劇場ロビーに入った。

「こんなにステキな劇場なのに、事件現場だなんて残念ですね~」

 顧警部の後ろにくっつくようにして歩いていた方萌が、呟いた。ヨーロッパのオペラ座をイメージした豪華な装飾の中にも、中国らしいデザインも取り入れた、海外からの観光客が喜びそうな内装だ。

「どこであっても、『現場』は残念なもんやろ」

 シレっと顧警部も返すが、そこに犯罪を憎む顧警部の正義感を感じて、方萌も気持ちを引き締めた。
 ロビーを抜け、客席に通じるドアを通り過ぎ、ステージの横手にあるスタッフ専用の通用口から、顧警部と方萌は楽屋に向かった。

「ここに入ったのは…、初めてですね」

 キョロキョロしながら方萌が言うが、顧警部は答えない。
 楽屋口から真っ直ぐに狭い廊下を進むと、ネームプレートが付いたドアが右手に4つ並んでいる。
 一番手前の1号室には、何も書かれていない。
 顧警部がノブを握ると、鍵が掛かっていた。

「ショーの間は、楽屋はどこも鍵を掛けるらしいですよ。マジックのタネとか細工されたり、盗まれたりしたら困るから、ですって」

 自分の得た情報に、自信満々に答える方萌に対し、顧警部は胡散臭そうな視線を送る。

「お前、なんでそんなことを知ってんねん?」
「ジョニーくんに聞いたんです、英語で」

 最後の一言に、顧警部はウッと言葉を詰まらせた。自分にはできない芸当をやって見せた方萌に、複雑な感情を抱いたからだ。

「中国語が話せるとは言え、やはり母国語の英語の方が彼も話しやすいみたいなんですよね。ルーツがこっちでも、やっぱり初めて来た国で、心細いみたいで…」

 経験が少ない方萌の、自身の能力を最大限に生かした捜査方法に、顧警部は口には出さないが、驚いていた。

「この1号室はマジックで使う道具入れに使っていた用具室で、2号室はヴィヴィとジョニーの相部屋で、3号室は、ベネットさんの部屋ということになっていますが、主に接客用に使うことが多かったようです。そして一番奥が、一番広くて上級の特別室で、ここが胡双さんの楽屋だったそうです」

 顧警部は念のため、2号室、3号室も施錠されていることを確認した。

「あん?」

 顧警部が変な声を上げたので、ジョニーとこれまでにやり取りしたメールを確認していた方萌は、何事かと急いで顔を上げた。

「え?」

 顧警部同様、それを目にした方萌も、ビックリしてその場に固まった。

***

 浦東第3分署の徐凱は、先輩刑事たちと合流し、現場である金塔套房の1室を隈なく調べていた。
 被害者の周囲に散らばっていたメモを集め、スイートルームの居間では彼の遺した物を探したが、徐凱はすぐに違和感を覚えた。

「このメモからして…、被害者はこの上海で何かを追っていたみたいだな」

 先輩刑事の意見に、徐凱も頷いた。
 メモには、上海各地の地名や、誰かの連絡先などが何枚もあった。
 部屋のセキュリティーボックスの中からは、被害者のパスポートとアメリカでの身分証が見つかった。
 彼の名は、トーマス・カオ。ハワイ出身の中国系アメリカ人で、職業は…。

「私立探偵か…」

***

「じゃあ、ボクが、あなたが欲しがっている証言をしてあげる」

 小敏の言葉に、煜瑾は驚いて、大きな黒い瞳をさらに見開いた。

「小敏、あなた…」

 恭安楽は、大事な甥が余計なことに首を突っ込むことに、不安を感じて何かを言いかけたが、それを小敏が目で制した。

「羽厳将軍からも伺っています。1人息子の小敏さんは、子供向きの物書きにしておくには、惜しいほどの観察眼がある、と」

 楊偉の言葉に、小敏も無邪気に笑顔を浮かべた。父親が、そんな風に自分を評価しているとは、ここで聞くまで知らなかったからだ。
 その時、楊偉が自分のスマホが震えたことに気付いた。

「失礼」

 それは通話の着信ではなく、メールだったらしく、楊偉は仕事が出来る男らしい様子で手早く内容を確認した。

「被害者の検死が終わったようです。死因は毒殺。使われたのは、植物性アルカロイドのオレアンドリン」

 楊偉がそこまで言うと、文維がハッとして呟く。

「夾竹桃?」

 楊偉は言葉尻を奪われたことも不快ではないといった顔つきで、知的で洗練された表情で頷いた。

「さすが優秀なお医者様ですね。その通り、夾竹桃を精製して抽出した毒でしょう」
「ならば、やはり遅効性の毒のはずです。ステージ上で服毒した可能性はないのでは?」

 どこか挑むような口調の文維に、楊偉はフッと口元に余裕の笑みを見せた。





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