第3章 第2の事件

「あ、失礼します!」

 あと少しで、顧警部が涼拌麵を食べ終わる、というところで、方萌巡査の警察支給のスマホが鳴った。

「あ、はい。はい、顧警部も一緒です。はい。あ、毒の成分がわかったんですか?」

 大声を上げる方萌に、顧警部が睨みつけた。ここはあくまでも庶民が利用する食堂だ。事件の詳細を一般人に漏らすような危険は冒せない。
 経験は不足しているが、聡明な方萌はすぐに顧警部が言わんとしていることに気付いた。

「はい、はい。分かりました。警部に伝えます」

 方萌は電話を切ると、顧警部に指示を仰ぐため、しっかり上司の目を見つめた。顧警部の方は、賢い方萌に満足したのか、何も言わずに頷いて立ち上がった。話の続きはここでは出来ないということだ。

「ごちそーさん」

 顧警部は、壁の二次元コードに自分のスマホをかざし、方萌の分まで支払いを済ませると、さっさと食堂を後にした。

「何の毒か分かった、てか?」

 署に向かうまでの道すがら、周囲を確認すると警部が口を開いた。

「はい。植物性アルカロイドのオレアンドリンだそうです」
「あ?おれあ…?なんやって?」

 外来語が苦手な顧警部は、胡散臭そうに顔を歪めた。

「おそらくは、猛毒を持つ夾竹桃から抽出した毒では無いかと、鑑識からの連絡でした」
「夾竹桃?昔の庭園とか、大きな寺院とかにある、アレか?」
「あれ?警部って植物にも、お詳しいんですか?」

 無邪気であるがゆえに、無作法な方萌にも、だんだんと慣れてきた顧警部だった。

「こう見えて、俺にも『教養』があるんでね」
「意外ですね~」
「?あのな~、どういう意味やねん」

 顧警部のツッコミもものともせず、方萌は急に立ち止まって考え込んだ。

「このオレアンドリンという毒は、やはり即効性が無いらしいんです」
「事前に飲まされたか、自分で飲んだか…」

 顧警部も付き合って足を止めるが、意味が無いというように、またすぐに歩き出した。
 だが、方萌は警部の一言を聞き洩らさず、急いで後を追う。

「自分で毒を飲んだって、警部はこれを自殺だってお考えなのですか?」

 声を潜め、緊張した様子の方萌を見ようともせず、顧警部は、ぼそりと言った。

「自分で飲んだからって、自殺とは限らんやろ。そうとは知らんと飲んだかもしれへん」
「そうとは、知らず?」

 さすがの顧警部の多角的な視点に、方萌は心から敬意を感じた。

「やはり、胡双さんたちに…」

 言いかけた方萌を、顧警部は制した。

「呉警部のことや。すぐにでもあの手品師の話を聞きに行くはずや。下手したら、あの手品師か、傍にいた小僧を犯人やと言い出すかもしれへん」
「ええ!胡双さんやジョニーくんが犯人?」

 大声を上げた方萌を、顧警部はまたも睨みつける。

「あ、ゴメンなさい…。でも、顧警部。警部は、あの人たちは犯人では無いとお考えなのでしょう?」

 昨日のホテルのスイートルームでの事情聴取の様子からは、警部は胡双はじめ、彼の「ファミリー」を疑ってはいないようだった。

「少なくとも、今のところは、手品師一家には動機があらへん」

 それだけを言うと、警部は方萌をゆっくりと振り返った。

「そやな、現場もう一遍、見に行こか」

 予想外に、のん気な口調で顧平警部はそう言った。

「現場百回、ですね!」

 キリリと表情を引き締めて、方萌巡査が気合いを入れると、顧警部はむしろ気が抜けたように、

「そんなにりきまんとけや」

と、笑った。

***

 その頃、静安署の殺人課では、鑑識の結果を受けた呉警部が、難しい顔をして考え込んでいた。

「毒は、遅効性の猛毒。舞台の上ではなく、舞台の裏で…いや、それよりも前に飲まされた。被害者は、上海に知人・友人はいない。そうなると、飲ませたのは、身近な人間か…」

 深く思案していた呉警部が、ハッと何かが閃いたように顔を上げた。

「決まりだ!」

 隣で大人しくしていた張毅は、驚いて警部の顔を振り仰いだ。このセリフは呉警部が事件の核心を掴んだ時によく口にするのだ。

「警部!」

 いよいよ事件解決か、と張毅も期待する。

「犯人は、あのマジシャン一味の中にいる!これは、決まりだ!」

 そう言って呉警部は立ち上がると、忠実な部下の張毅を見て、ニヤリとした。

「あのマジシャンを引っ張って来い!」
「え!あ!はい!」

 尊敬する警部の命令に、若い張毅刑事は慌てて、弾けるように殺人課を飛び出していった。

***

「ご協力、ありがとうございました」

 ホテルの関係者への事情聴取も一通り終え、鑑識チームの仕事も終わった。
 この時、浦東第3分署の徐凱刑事は、決断を迫られていた。





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