第3章 第2の事件

 昼休みに、静安署近くにある、馴染みの食堂に入った顧警部は、うっかり露骨にイヤそうな顔をしてしまった。

「あ!警部!ココ、空いてますよ!」

 この店は、署から近いとはいえ、味の方は不評で、そのせいで署内の人間はほとんど立ち寄らない。おかげで知り合いに会うことなく、気楽に食事が出来ることが顧警部は気に入っていた。
 言ってみれば、顧警部の大事な隠れ家に、ずかずかと踏み込んできたのは、やはり、あの怖いもの知らずの方萌巡査だった。

「何をしてんねん」

 なんとか気持ちを抑えながらも、渋々と顧警部は、方萌が陣取った壁際のお気に入りの席についた。

「何って、もちろん昼食ですよ。署で聞いてきたんです。顧警部のお気に入りのお店はここだって」

 ニコニコしながら、薄汚れたテーブルの上にある、使い古された箸入れから、警部の分の箸を取り出し、手渡した。

「ここって、署からは近いし、24時間営業なんですってね~。便利なのに、どうしてみんな来ないんですかね。あ、警部が怖いからですか」

 適当なことを言いながら、方萌巡査は、先に来ていた自分の麺を食べ始めた。薄い肉が一枚と、刻んだネギを散らしただけの、薄い味で、評判の悪い麺だった。

「お先にいただきます」

 遠慮もなく、方萌は麺をすすり始めた。

「あ~、噂通りに美味しくないですね」

 屈託のない方萌だが、長年の付き合いがある店主に申し訳なくて、顧警部は眉を寄せる。

「でも、コレを入れたら、美味しいはず!」

 テーブルの隅に目敏く見つけた、この店オリジナルの麻辣醤を、方萌は迷うことなく麺の入った器に一気に投入した。

(おいおい、味見もせんと、そんなに…)

 内心、苦々しく思うが、顧警部は何も言わずに呆れたように見守っていた。
 そんな顧警部には気付かない様子で、方萌はズルズルと麺を口に運ぶ。

「うわ~、やっぱり、美味しい!ここの麺が不味いなんて嘘よ。こうやって自分で調節して食べるようになってるんですね!なんて合理的なの!」

 絶賛する方萌に、店主も、奥さんもニヤニヤしている。

「顧警部、エエ部下が付いたな~」

 厨房内の店主にからかわれ、顧警部は困ったように頭を掻いた。

「まあ、な」
「はい、お待たせ!いつものやつ」

 そう言って奥さんが運んで来た汁無し涼拌麺を前に、武骨な会釈をした。
 そして、方萌と同じく、自家製のタレをかける。

「警部は、いつも涼拌麵なんですか?それがこの店のおススメ?」

 無邪気で、好奇心いっぱいで、素直な方萌に、店主夫婦はすっかり丸め込まれたようだ。

「これは、店からのオマケ。これからも、警部と一緒に来てや」

 そう言って、奥さんは店主が手早く作った野菜炒めと、作り置きの冷菜の豚レバーの煮込みの皿を置いた。

「わ~、すっごいサービス!ありがとうございます!」

 元気いっぱいの方萌は、早くもこの店のアイドルとなりつつあった。それを呆れたようにチラ見しながら、好物の涼拌麺に集中しようとする顧警部だった。

「あ、そう言えば警部。例のシャンパングラスから採取された毒って、彼女の口から転移した物らしいですけど…。つまり、彼女はシャンパンを飲む前に、すでに毒を飲んでいたってことですよね」
「…そやな」

 せっかく誰にも邪魔されずに、1人で事件をじっくり考える場を奪われた顧警部は、不服そうに相槌を打つ。

「じゃあ、彼女は、ステージに上がる前に、毒を飲んだってことですよね」
「そうなるな」

 不機嫌そうな顧平警部は、ヤケクソのように野菜炒めやレバーの煮物をガツガツとかき込んだ。

「じゃあ、ステージの外で、彼女が何を口にしたのか、もう一度、胡双さんたちに聞きに行かないといけませんよね」

 真面目というより、どこか浮かれたように方萌巡査は言った。それはもう一度、あの五つ星ホテルのスイートルームに行けるという期待に他ならないことくらい、顧警部にはお見通しだ。

「そんなんは、呉警部が行くんちゃうか?」
「呉警部?」

 警部につられて豚レバーに箸をつけようとしていた方萌が、理由が分からずに手を止めた。

「ま、アイツは分かりやすいヤツやからな」
「?」

 方萌を煙に巻くような言い方をして、それ以降は、顧警部は黙々と美味しくなった涼拌麵を食べ続けた。

「そういえば、そろそろ毒の分析も終わる頃ですね」
「毒の成分が分かったからって、そこから犯人が見つかるとは限らんからな」

 釘をさすように、顧警部が呟くと、方萌は明るかった表情を、さっと引き締めた。

「まだまだ捜査は始まったばかりですよね!気を抜かないよう、頑張ります!」

 新人の見習い刑事の張り切りぶりに、期待よりも不安が先立つ、顧平警部だった。



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