第2章 事件勃発
楊偉は、優雅に龍井茶の最上の新茶を味わい、おもむろに口を開いた。
「この場にいらっしゃらないのは、包伯言教授と、包文維先生ですね。親子で優秀でいらっしゃる」
敬意を込めた楊偉の言い方に、まんざらでもない様子で、恭安楽も微笑み返した。
「教授は今、ちょうど大学で教鞭をお取りになっている時間でしょう。文維先生は、ご自身のクリニックかな」
サラリと詳しい情報を楊偉が漏らした途端、煜瑾が慌てた。
「クリニックに行くのはやめて下さい!」
「え?」
意外な反応に、楊偉だけでなく、唐煜瓔や小敏も煜瑾の表情を窺う。恭安楽と茅執事だけが、悠然としていた。
煜瑾は、文維にとって、クリニックがどれほど大切で神聖な場所であるか知っていた。それに、自分自身がかつて文維のクリニックのクライアントであったことからも、利用者サイドの気持ちになって、昨夜のようなセンセーショナルな事件を、クリニックに持ち込んで欲しくはなかったのだ。
「多分、文維はお昼休みには戻ってくるはずです。だから、お話なら、ここで…」
純真な煜瑾は、文維が自分を心配してお昼には帰ると言ったことを信じていた。文維が、自分との約束を破るはずがないと、心から信じているのだ。
もちろん、クリニックという「敵」の「砦」に「奇襲」することは、兵法としては有効だ。思いがけない行動や証言を聞き出す隙が出来ることがある。だが、楊偉は考えを改めた。
「では、お言葉に甘えて、こちらで待たせていただいて、よろしいのですか?」
美しすぎる造形の楊偉に優しく言われて、煜瑾はドキリとして頬を染めた。もともと人見知りで、初対面の人が苦手な煜瑾だ。
「は、はい…」
小さな声で答え、煜瑾はそのまま俯いてしまった。
内気で繊細な弟が愛しい唐煜瓔は、優しく、励ますかのようにその背中に手を当てた。
「あ、文維は、煜瑾とのランチのために帰ってくるんでしょう?ボクらも一緒に食べようよ!叔母さまあ~美味しいもの作ってよ~」
子供の頃のように、小敏が甘えた声を出すと、恭安楽は呆れたように、そして少し嬉しそうに笑った。
「ご心配は無用です。すでにご用意は出来ております」
有能な唐家の執事が、静かに申し出た。さすがの手腕に、主である唐煜瓔は満足そうだ。
「そうじゃないかと思ってたわ。ちょっと楽しみだったの、唐家のお食事が」
そう言って、若い娘のように、茶目っ気たっぷりに恭安楽が言うと、煜瑾も嬉しそうに微笑んだ。
「今朝は昨日の今日で、慌てて出てきたから、私からのお土産のお菓子が無いのよ。デザートの方も、用意していただける?」
「もちろんでございます、包家の奥様」
小娘のような蓮っ葉なところを見せても、どこか上流階級出身の高雅さを忘れない恭安楽を、伝統的な考え方の執事である茅執事は一目置いていた。
「奥様のお口に合うかどうかは分かりませんが、唐家のチーフ・シェフが作ったアップルパイに、パティシエの焼き菓子が数種類。それに、和食担当シェフが遊びで作った日本の『鯛焼き』をお持ちしております」
「ええっ!鯛焼き?」
日本に留学経験のある小敏は、「鯛焼き」と聞いて目を輝かせた。
「デザートに、お魚料理ですか?」
煜瑾が無邪気に聞き返すと、小敏は笑った。
「違うよ、鯛の形をした甘いお菓子なんだよ。中に小豆餡がぎっしり詰まってるんだよ」
「紅豆 ?美味しそうじゃない。楽しみね、煜瑾ちゃん」
「はい、お母さま」
しばらくの間、楊偉はこれらのやり取りを穏やかな様子で見守っていたが、もちろん、それは微笑ましい家族愛を堪能するためではない。楊偉は、それぞれの人となり、人間性を見極めていたのだった。
才色兼備で、王気さえ感じさせる唐煜瓔。
容姿端麗で、魂のレベルで清純な唐煜瑾。
明朗快活で、母性に満ちた恭安楽。
そして…。
天真爛漫な笑顔で他人の心に入り込み、それでいて冷静な観察眼や熱い正義感も持つ、羽小敏。
(さすがに、羽将軍の愛息は複雑だな)
心の中で楊偉は呟く。かつての上司だった羽厳将軍もまた、多面性があり、なかなか本心を見せない曲者だった。
だが、そんな彼の下で働いた経験が、今の楊偉の立場を支えているのも確かだ。
「楊偉さんも、ご一緒に。その方が二度手間にならなくていいでしょ?」
生真面目な軍人気質であれば、一旦昼食時には席を外し、その後に事情聴取を再開するなどと言いかねないと思った恭安楽は、先手を打って声を掛けた。だが、楊偉はそう言われることを計算済みだった。
「ご迷惑でなければ…」
「うふふ。こんなハンサムさんに囲まれてのランチなんて、とんでもないラッキーね」
恭安楽の楽しそうな声に、誰しもが笑顔で穏やかな昼食を待ち望んだ。
「この場にいらっしゃらないのは、包伯言教授と、包文維先生ですね。親子で優秀でいらっしゃる」
敬意を込めた楊偉の言い方に、まんざらでもない様子で、恭安楽も微笑み返した。
「教授は今、ちょうど大学で教鞭をお取りになっている時間でしょう。文維先生は、ご自身のクリニックかな」
サラリと詳しい情報を楊偉が漏らした途端、煜瑾が慌てた。
「クリニックに行くのはやめて下さい!」
「え?」
意外な反応に、楊偉だけでなく、唐煜瓔や小敏も煜瑾の表情を窺う。恭安楽と茅執事だけが、悠然としていた。
煜瑾は、文維にとって、クリニックがどれほど大切で神聖な場所であるか知っていた。それに、自分自身がかつて文維のクリニックのクライアントであったことからも、利用者サイドの気持ちになって、昨夜のようなセンセーショナルな事件を、クリニックに持ち込んで欲しくはなかったのだ。
「多分、文維はお昼休みには戻ってくるはずです。だから、お話なら、ここで…」
純真な煜瑾は、文維が自分を心配してお昼には帰ると言ったことを信じていた。文維が、自分との約束を破るはずがないと、心から信じているのだ。
もちろん、クリニックという「敵」の「砦」に「奇襲」することは、兵法としては有効だ。思いがけない行動や証言を聞き出す隙が出来ることがある。だが、楊偉は考えを改めた。
「では、お言葉に甘えて、こちらで待たせていただいて、よろしいのですか?」
美しすぎる造形の楊偉に優しく言われて、煜瑾はドキリとして頬を染めた。もともと人見知りで、初対面の人が苦手な煜瑾だ。
「は、はい…」
小さな声で答え、煜瑾はそのまま俯いてしまった。
内気で繊細な弟が愛しい唐煜瓔は、優しく、励ますかのようにその背中に手を当てた。
「あ、文維は、煜瑾とのランチのために帰ってくるんでしょう?ボクらも一緒に食べようよ!叔母さまあ~美味しいもの作ってよ~」
子供の頃のように、小敏が甘えた声を出すと、恭安楽は呆れたように、そして少し嬉しそうに笑った。
「ご心配は無用です。すでにご用意は出来ております」
有能な唐家の執事が、静かに申し出た。さすがの手腕に、主である唐煜瓔は満足そうだ。
「そうじゃないかと思ってたわ。ちょっと楽しみだったの、唐家のお食事が」
そう言って、若い娘のように、茶目っ気たっぷりに恭安楽が言うと、煜瑾も嬉しそうに微笑んだ。
「今朝は昨日の今日で、慌てて出てきたから、私からのお土産のお菓子が無いのよ。デザートの方も、用意していただける?」
「もちろんでございます、包家の奥様」
小娘のような蓮っ葉なところを見せても、どこか上流階級出身の高雅さを忘れない恭安楽を、伝統的な考え方の執事である茅執事は一目置いていた。
「奥様のお口に合うかどうかは分かりませんが、唐家のチーフ・シェフが作ったアップルパイに、パティシエの焼き菓子が数種類。それに、和食担当シェフが遊びで作った日本の『鯛焼き』をお持ちしております」
「ええっ!鯛焼き?」
日本に留学経験のある小敏は、「鯛焼き」と聞いて目を輝かせた。
「デザートに、お魚料理ですか?」
煜瑾が無邪気に聞き返すと、小敏は笑った。
「違うよ、鯛の形をした甘いお菓子なんだよ。中に小豆餡がぎっしり詰まってるんだよ」
「
「はい、お母さま」
しばらくの間、楊偉はこれらのやり取りを穏やかな様子で見守っていたが、もちろん、それは微笑ましい家族愛を堪能するためではない。楊偉は、それぞれの人となり、人間性を見極めていたのだった。
才色兼備で、王気さえ感じさせる唐煜瓔。
容姿端麗で、魂のレベルで清純な唐煜瑾。
明朗快活で、母性に満ちた恭安楽。
そして…。
天真爛漫な笑顔で他人の心に入り込み、それでいて冷静な観察眼や熱い正義感も持つ、羽小敏。
(さすがに、羽将軍の愛息は複雑だな)
心の中で楊偉は呟く。かつての上司だった羽厳将軍もまた、多面性があり、なかなか本心を見せない曲者だった。
だが、そんな彼の下で働いた経験が、今の楊偉の立場を支えているのも確かだ。
「楊偉さんも、ご一緒に。その方が二度手間にならなくていいでしょ?」
生真面目な軍人気質であれば、一旦昼食時には席を外し、その後に事情聴取を再開するなどと言いかねないと思った恭安楽は、先手を打って声を掛けた。だが、楊偉はそう言われることを計算済みだった。
「ご迷惑でなければ…」
「うふふ。こんなハンサムさんに囲まれてのランチなんて、とんでもないラッキーね」
恭安楽の楽しそうな声に、誰しもが笑顔で穏やかな昼食を待ち望んだ。
