プロローグ

 包伯言のインタビューが終わり、テレビの画面では、例の女性司会者が、Dr.Hooこと、「サイコロジカルイリュージョン」を扱うスター・マジシャンの胡双が映し出された。俳優かモデルかのような端正で甘い顔立ち、それでいて、どこか孤高を感じさせるハンサムだ。

《まずは、Dr.Hooの、華やかなステージの一部をご覧いただきましょう!》

 女性司会者の言葉と同時に、Dr.Hooこと、胡双のプロフィールビデオと共に、昨年のラスベガスデビューしたショーの一部が放映された。
 ショーの構成は、オープニングは、心理的な錯覚を利用した簡単なテーブルマジック。それはユーモラスで、まずは観客の気持ちをリラックスさせる。次は、胡双が得意とする催眠術で、煜瑾は大きな瞳を見開いて、興味深そうに見入っていた。

「催眠術って、本当に不思議だね~」

 隣で小敏も感動したように言った。

「本当にあんなことができるのでしょうか…」

 画面では、その場で選ばれた観客が催眠術をかけられ、ただのミネラルウォーターを白ワインと思いこまされて、ワインソムリエのように味わったり、評価したりしていた。

「文維も、催眠術ってできるんだっけ?」

 ふと思い出したように、小敏が文維を振り返って声を掛けた。その発言に、煜瑾はギョッとする。

「そうなのですか!文維も、催眠術ができるのですか!」

 驚いた煜瑾の様子に、むしろ文維の方が意外そうに見つめ返す。

「ええ、まあ、一応アメリカの大学院では臨床の一環として習得しましたが…。言っておきますが、煜瑾にそれを悪用しようとしたことはありませんからね!」

 煜瑾の表情に不安を感じ取った文維は、慌てて言い添えた。
 その言葉に、煜瑾は一瞬キョトンとしたものの、すぐにニッコリと微笑んだ。

「ふふふ。私に対して、文維は催眠術なんて使わなくても、いつでも意のままに操れますよ」

 なんとなく意味ありげな言葉に、小敏は飲みかけのコーラを吹き出しそうになり、包夫妻は落ち着いた表情で2人のやり取りを見守っていた。

 テレビ画面は、再びDr.Hooこと、胡双のチャーミングな笑顔に切り替わった。

「面白いわよね、催眠術って。誰でも言うことを聞かせることができるのでしょう?」

 お母さまも、大好きな包教授の手料理を楽しみながら、幸せそうに言った。
 そんな満足そうな愛妻の様子に、包教授もまた幸せそうだった。

「じゃあさ、欲しい物を買ってもらうとか、気に入らないヤツを代わりに殴ってもらうとかさ…」

 いたずら好きの小敏らしい発言を、文維は笑って否定した。

「催眠術は、そんな都合の良いものじゃない。どんなに強く催眠術をかけようとしても、本人がかかりたくないと思えば無理だし、かかったとしても、本人がやりたくないことはさせられないよ」
「え~、でも、みんなの前で恥ずかしいこととかさせられてるじゃん!」

 そう言って小敏はちゅっと唇を尖らせるが、そんな顔が自分を可愛く見せると知っている、小悪魔な羽小敏である。

「これは、どこかでお遊びだって分かっているから抵抗なく受け入れるんだよ。観客から選ぶにしても、サービス精神がありそうな人を選ぶのがポイントだしね」

 スラスラと自分の専門分野を語る文維だが、決して嫌味がなく、煜瑾はウットリと陶酔したような熱い視線で見つめていた。

「だったら、誰かを殺してくれとか、自殺しろとかは、命令できないのか~」

 なぜか不満そうに小敏が言うと、ハッと驚いた様子で煜瑾は小敏を振り返った。

「そ、そんなことを催眠術でしようと思ったのですか!」

 どこまでも清純で、天使のような煜瑾は、小敏が口にしたような邪悪なことが受け入れられなかった。

「いや、別にしたいわけじゃなくて…。そういうことが出来たら面白いな~って」
「ダメです!人の命にかかわることを『面白い』とか言っちゃいけません!」

 真面目な煜瑾は、親友の小敏を思わず叱りつけた。真剣な煜瑾の目つきに、小敏もこれ以上ふざけてはいけないと、すぐに気付いた。

「ゴメン…。そういうつもりじゃなくて…」

 タジタジとなった小敏は、救いを求めるように文維を見た。

「煜瑾の言うことが正しいよ、小敏。人の命を軽んじるような冗談は良くない」
「は~い。ごめんなさい」

 すっかり萎れた小敏だったが、その姿に反省を認め、煜瑾が癒しの笑顔を浮かべた。

「第一、文維がそんな催眠術を使うはずがありませんよ」

 愛する人を心から信じる煜瑾は、優雅にそう言って文維を見つめたまま頷いた。その高貴さに、包夫妻も穏やかな気持ちになった。

「殺人や自殺など、人間が本能的に拒絶反応を抱くようなことは、どんな催眠術を使っても実行させることは出来ませんよ」

 文維がそう言って締めくくると、ポツリと包夫人が呟いた。

「催眠術に掛けられたとしても、やりたくないことは、しなくていいのね」
「そうですよ、お母さま。大勢の観客の前で恥ずかしいことをさせられる心配は無用です」

 聡明な息子にからかわれ、包夫人はパッと目の色を変えた。

「私が選ばれて、ステージに上がるなんてこと、あるかしら!」

 その目は、少女のように期待にキラキラ輝いている。確かに、年齢不詳で若々しく、愛らしささえある上にスラリとした恭安楽は、ステージ映えする見た目ではある。

「おかあさまが、ステージに?わ~ステキですね~」

 素直な煜瑾だけが同じようにキラキラした瞳で、お母さまと共感している。包教授はニコニコとしているが相変わらず無口で、小敏はクツクツ笑いながら肩を震わせているし、文維は呆れたように視線を外した。




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