第2章 事件勃発

 そこへ、スプーンを用意した恭安楽が、キッチンから戻って会話に参加してきた。

「懐かしいわ。こう見えて、小敏も、文維も小さな頃はよく熱を出したのよ。特に小敏はお薬を飲ませようとしても嫌がって…。ご褒美のアイスがないとお薬を飲んでくれなかったの…」

 クスクス笑うお母さまに、煜瑾はとても和やかな気持ちになった。幼い小敏や文維が、恭安楽にアイスクリームを食べさせてもらっている情景が目に浮かぶようだった。
 滋養のある温かいお粥を食べ、その後に期間限定のヒンヤリしたチェリーショコラのアイスを食べ終え、煜瑾はすっかり元気になっていた。

「あら、熱も下がったようね。解熱剤はもういらないわね」

 念のため、お母さまが体温計で煜瑾の熱を測ると、すでに体温は平熱まで下がっていた。
 煜瑾、恭安楽、そして小敏がホッとしたように笑顔を交わした、ちょうど同じタイミングで、またも玄関のチャイムが鳴った。

「お客様の予定でも?」

 お母様に聞かれ、煜瑾は何も言わずに首を横に振った。

「いいわ。心配しないで。私が見てきますね」

 お母様は、優しく微笑んで煜瑾を安心させると、足早に玄関に向かった。

「あら、まあ!」

 お母様の声が聞こえ、煜瑾は小敏と顔を見合わせた。
 だが、それ以降、お母様が誰かと話しているのは分かったが、内容までは聞き取れない。

(誰だろう、いったい?)

 煜瑾が、ついにベッドから出ようとした、その時、寝室のドアが開いた。

「心配したよ、煜瑾!」
「お兄様!」

 お母様と共に寝室に入って来たのは、煜瑾の実兄の唐煜瓔だった。

「文維によると、風邪などのウィルス性の発熱ではなく、昨日の事件による心因性の熱なので、安静にしていれば大丈夫ということよ」

 お母様が唐煜瓔の動揺を静めるように、落ち着いた口調で説明すると、お兄さまは安心したように、何度も頷いた。

「昨夜から何度メールをしても、電話をしても返事が無いので心配していたのだよ」

 深刻な表情のお兄さまに、煜瑾はハッとしたような顔に変わった。

「あ、申し訳ありません、お兄さま。昨夜は熱のせいですぐに寝てしまい、スマホはリビングに置きっぱなしでした」

 素直に謝る弟を慈愛に満ちた眼差しで見つめ、ホッとしたように唐煜瓔は笑った。

「ごめんなさいね、煜瓔さん。文維の気が利かなくて連絡もしないで。でも、2人とも唐家に心配をかけまいとしたのだと思うわ。叱らないでやってね」

 息子と、その恋人を庇うために、恭安楽はそう言って唐煜瓔の背中に手を当てた。そうして落ち着かせるようにして、心配性の兄を煜瑾の近くに座らせた。
 その気持ちを汲んだ唐煜瓔は、それ以上何も言わず、煜瑾の手を取り、熱が無いのを確かめた。

「失礼いたします」

 そこへ、唐家の有能な執事が、お皿を乗せたトレイを持って現れた。

「美味しそうなお粥の用意がしてありましたので、お粥以外の物をお持ちしました」

 唐煜瓔とは違い、微塵の動揺も見せず、いつも通りの冷静沈着な態度で、茅執事がリンゴのすりおろしたものと、イチゴを潰したものをそれぞれ小さな小皿に入れて運んできた。

「わあ~」

 煜瑾は屈託の無い笑顔で声を上げた。
 子供の頃から煜瑾が熱を出すと、茅執事自らがリンゴをすりおろし、煜瑾のもとへと運んできたのだった。
 それが懐かしく、嬉しくて、煜瑾の大きな黒い瞳が潤んだ。

「皆さまの分は、煜瑾坊ちゃま用とは別に、あちらにご用意させていただきました」

 執事の言葉に、唐煜瓔はすぐに彼の意図を察した。

「大勢で騒いで煜瑾を疲れさせてもいけない。ここは茅執事に任せて、あちらでお茶でもいただきましょう」

 あくまでも煜瑾の健康面を優先する唐家の考えに、恭安楽も、羽小敏も同意した。

「じゃあ、煜瑾ちゃん、少し休んでね。私は文維が戻るまでは必ずいますからね。何か欲しい物があったら言ってちょうだいね」

 お母さまはそう言って、お兄さまと小敏と一緒に、一旦寝室から出た。

「さあ、煜瑾坊ちゃま。少しだけでも、リンゴとイチゴを召し上がりませんか。アイスクリームでスッキリしたとは思いますが、ほんの少しでもビタミンを補給しておきましょう」

 決して、包家の習慣であるアイスクリームを否定することはなく、それでも唐家の習慣を押し通そうとする忠実な執事に、煜瑾は素直に従った。
 幼い頃に両親を亡くし、特に母親の愛情を知らずに育った煜瑾だったが、こうして細やかな気遣いのできる執事によって、何不自由なく育てられた。大事に育てられた自分の幼少期に感謝をしつつ、煜瑾は子供の頃のように、あ~んと、口を開いた。
 それを「大人げない」と非難することも無く、茅執事も幼い頃の煜瑾を思い出しながら、いつまでも大切な坊ちゃまの口へとリンゴのすりおろしを運んだ。





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