プロローグ
「ただいま」
玄関のドアが開き、リビングにいた一同が注目するテレビ画面で温柔な笑みを浮かべている当人である、包伯言が飄々と入って来た。
「え!お、おとうさま?今、テレビで…」
その印象的な大きな目を丸くしているのは、純粋無垢な煜瑾だけで、恭安楽、包文維、羽小敏の3人は、平然として笑っていた。
「ほら、お父さまですよ、煜瑾ちゃん」
いかにも楽しそうに、恭安楽がテレビ画面を指さした。そこには確かに今しがた玄関に現れたばかりの包伯言、その人が居た。
「え?」
あどけない表情でキョロキョロと周囲を見回す煜瑾に、文維が優しい眼差しを向け、そっと近付いた。そして、その肩を抱きよせ、耳元で囁いた。
「テレビは、午前中に録画されたものなんだよ。生放送じゃない」
文維の言葉にやっと納得した煜瑾は、自分の勘違いが恥ずかしくなったのか、照れ臭そうに笑った。
「なんだか、妙な気分だね。自分がテレビに出ているのを、こうして観るというのは」
包教授もまた面白そうに目を細め、着替えと手荷物を置きに、一度、自室としている書斎へと姿を消した。
「本当に、魔法みたいだよね。叔父さまはボクらと一緒にここにいるのに、同時にテレビの中にも存在する…なんだか変な感じ」
小敏がそう言って、煜瑾の大好きな紅焼肉を頬張るのを見て、煜瑾も慌てて料理に手を出した。
「変な感じがするのは、心理的な錯覚のせいだよ。理論的には理解していても、脳は違和感を認識し、感情が付いていかないだけだ」
専門家らしい文維の解説に、煜瑾は尊敬の眼差しで見つめた。小敏のほうは、そんなことはもう、どうでもいいとでも言うようにお箸を動かしていた。
《お噂によると、とてもお若くてお美しい奥様だそうですね》
女性司会者の言葉に、包夫人は嬉しそうに声を上げた。
「や~ん。若くて美しいですって!ご近所の奥様達もこの番組を観ているのに、恥ずかしいわ~」
少女のように頬を染めながらも、恭安楽は晴れやかな表情だ。
《噂はよく分かりませんが、私にとって、最高の妻だとは言えます》
夫の優しい言葉に、恭安楽は両頬を手で押さえ、照れ臭そうに言った。
「も~、伯言ったら~」
甘えるような妻の言葉に、伯言も照れくさそうにたしなめた。
「落ち着いて、安楽」
照れている両親を冷静にするつもりで、文維が淡々と問いかけた。
「午前中にこの収録を終えて、今までどこに行ってらしたんですか、お父さま」
「ああ。私の後に、話題のマジシャンがインタビューを受けるというので紹介されてね。彼のショーの招待券を貰ったよ」
我に返ったように、包教授は頷きながら静かに妻の隣に腰を掛けた。
「あ~ん。もう終わりなの~?もっと、私たちのなれそめとか聞いて欲しかったわ!」
「叔母さまったら。叔父さまが公共の電波を使ってそんな話をするわけないじゃん」
「だって~」
妻である恭安楽の方は、隣の包教授本人よりも、テレビの中の方が気になるようで、インタビューの終了を名残惜しそうにしていた。呆れたような小敏の言葉にも、包夫人は拗ねたように言い返す。
「マジックショーですか。実は私たちも…」
父の言葉に返すように口を開きかけた文維だったが、次の瞬間、小敏が悲鳴のような声を上げた。
「うっそ~!Dr.Hooじゃん!叔父さま、胡双 に会ったの?」
「ああ。テレビ局の楽屋でね。とてもハンサムで、感じの良い男性だった。カナダ国籍らしいが、北京語も美しくてね」
上海出身だが、一時は北京に住んでいたこともあり、また北京育ちの恭安楽の言葉も耳に心地よい包教授は、胡双と呼ばれるカナダ人の北京語も気に入ったようだった。
「え?今、出てるこの人?ん~、確かにハンサムね」
最愛の夫の時とはまるで違う関心の薄さで、包夫人は画面を見直した。それに対して、好奇心旺盛な小敏は目を輝かせている。
「うわ!今話題の『サイコロジカルイリュージョン』のチケットじゃん!」
だが、文維は涼しい顔をして父や小敏の顔を見た。
「そのチケットなら、私も持っていますよ」
そんな文維に対して、小敏は信じられないという様子で問い返す。
「え~!なんで~?なかなか手に入らなくて、転売ですごい値段になってるんだよ~」
不満タラタラの小敏を前に、文維は柔らかく微笑んで説明をした。
「そのショーの企画をしたプロモーターが、ショーを見て、心理学や精神医学の見地から私の意見を聞きたいと言って招待してくれたのですよ。もちろん、煜瑾と2人で行きます」
それに煜瑾が嬉しそうに付け加える。
「このショーに出資をしている煜瓔お兄さまからも、チケットがあるからとお誘いがあったのですけれど、文維と行くのでお断りしました」
小敏は、心から羨ましそうに、
「いいな~」
と、呟いた。
そんなしょんぼりした小敏に、煜瑾が何かに気付き、パッと明るい顔になった。
「だったらちょうどいいですよ、小敏。お兄さまからは、文維と行きなさいってチケットを2枚いただいたのですが、まだお返ししていないのです」
「え!じゃあ…」
見る見るうちに小敏の顔が期待のこもった笑顔になる。
「ええ、小敏にお譲りします。お兄さまにもそうお伝えして…」
「やった~!」
煜瑾の言葉に、小敏は満面の笑みでソファーからも立ち上がった。それを大げさだとでもというように、包教授も夫人も破顔する。
ふと気付いて煜瑾が訊ねた。
「小敏は、一緒に行く人は決まっていますか?」
煜瑾の質問の意図を深読みすることなく、小敏は少し考えた。
「ううん。まだだけど…。これだけ話題のショーだからね、誘えばすぐに見つかるよ」
「だったら…お願いがあるのですけれど」
と、煜瑾は少し遠慮がちに切り出した。
「何?煜瑾のお願いなら、何でも聞いちゃうよ」
その一言にホッとした煜瑾は嬉しそうに口を開いた。
「良かったら、煜瓔お兄さまと一緒に行っていただきたいのです」
思わぬ申し出に、小敏も目を丸くする。
「煜瓔お兄さまと?でも、文維と行くようにってチケットをくださったんでしょう?ご自分は行かれないか、他の人と行く予定なんじゃないの?」
不思議そうな小敏に、煜瑾はクスリと可憐に笑った。
「ん~多分、違うと思います」
そう言って、煜瑾は少し恥ずかしそうに、そして少し誇らしげに答えた。
「お兄さまなら、もしも文維がお仕事で行けないとなった時に、私と行って下さるはずです。そのためにご予定は空けて下さっていると思います。煜瓔お兄さまなら…きっとそうして下さるはず」
兄からの愛情を微塵も疑うことを知らない煜瑾は、幸せそうに微笑んだ。それを見て、包夫妻や小敏はにこやかだった。だが、文維だけは一瞬だけ不愉快そうに眉を顰め、煜瑾に気付かれる前にすぐに穏やかな笑顔に戻った。
それが例え実兄の煜瓔であったとしても、自分以外に煜瑾に愛情を注ぐ相手には、さすがにクールな文維であっても嫉妬の感情は抑えきれないのだった。
小敏はすぐに楽しそうに答えた。
「そういうことなら、ボクは喜んで煜瓔お兄さまとご一緒させていただくよ」
煜瑾も安堵したように、無邪気に喜んだ
「ありがとう、小敏。じゃあ、このショーには、私と文維だけでなく、お父さまもお母さまも小敏も煜瓔お兄さまも一緒に行けますね!」
そんな2人のやり取りに、お母さまがウキウキした様子で提案した。
「席は離れていても、行きと帰りは一緒になるでしょう?みんなでお食事に行きましょうよ」
その楽しい提案に、小敏はすかさず言った
「じゃあ、煜瓔さんの奢りだな」
「小敏、なんてことを」
相変わらず調子のよい小敏を、息子と同じく可愛いと思いながらも、包教授は真面目な顔をして窘めた。
「そうですね!いい考えです。お兄さまに近くのレストランを予約していただきましょう。両家揃ってのお食事なんて、本当に久しぶりですね。兄も喜ぶと思います」
素直な煜瑾は、家族揃ってのイベントとなったことを、本当に嬉しそうにしていた。
玄関のドアが開き、リビングにいた一同が注目するテレビ画面で温柔な笑みを浮かべている当人である、包伯言が飄々と入って来た。
「え!お、おとうさま?今、テレビで…」
その印象的な大きな目を丸くしているのは、純粋無垢な煜瑾だけで、恭安楽、包文維、羽小敏の3人は、平然として笑っていた。
「ほら、お父さまですよ、煜瑾ちゃん」
いかにも楽しそうに、恭安楽がテレビ画面を指さした。そこには確かに今しがた玄関に現れたばかりの包伯言、その人が居た。
「え?」
あどけない表情でキョロキョロと周囲を見回す煜瑾に、文維が優しい眼差しを向け、そっと近付いた。そして、その肩を抱きよせ、耳元で囁いた。
「テレビは、午前中に録画されたものなんだよ。生放送じゃない」
文維の言葉にやっと納得した煜瑾は、自分の勘違いが恥ずかしくなったのか、照れ臭そうに笑った。
「なんだか、妙な気分だね。自分がテレビに出ているのを、こうして観るというのは」
包教授もまた面白そうに目を細め、着替えと手荷物を置きに、一度、自室としている書斎へと姿を消した。
「本当に、魔法みたいだよね。叔父さまはボクらと一緒にここにいるのに、同時にテレビの中にも存在する…なんだか変な感じ」
小敏がそう言って、煜瑾の大好きな紅焼肉を頬張るのを見て、煜瑾も慌てて料理に手を出した。
「変な感じがするのは、心理的な錯覚のせいだよ。理論的には理解していても、脳は違和感を認識し、感情が付いていかないだけだ」
専門家らしい文維の解説に、煜瑾は尊敬の眼差しで見つめた。小敏のほうは、そんなことはもう、どうでもいいとでも言うようにお箸を動かしていた。
《お噂によると、とてもお若くてお美しい奥様だそうですね》
女性司会者の言葉に、包夫人は嬉しそうに声を上げた。
「や~ん。若くて美しいですって!ご近所の奥様達もこの番組を観ているのに、恥ずかしいわ~」
少女のように頬を染めながらも、恭安楽は晴れやかな表情だ。
《噂はよく分かりませんが、私にとって、最高の妻だとは言えます》
夫の優しい言葉に、恭安楽は両頬を手で押さえ、照れ臭そうに言った。
「も~、伯言ったら~」
甘えるような妻の言葉に、伯言も照れくさそうにたしなめた。
「落ち着いて、安楽」
照れている両親を冷静にするつもりで、文維が淡々と問いかけた。
「午前中にこの収録を終えて、今までどこに行ってらしたんですか、お父さま」
「ああ。私の後に、話題のマジシャンがインタビューを受けるというので紹介されてね。彼のショーの招待券を貰ったよ」
我に返ったように、包教授は頷きながら静かに妻の隣に腰を掛けた。
「あ~ん。もう終わりなの~?もっと、私たちのなれそめとか聞いて欲しかったわ!」
「叔母さまったら。叔父さまが公共の電波を使ってそんな話をするわけないじゃん」
「だって~」
妻である恭安楽の方は、隣の包教授本人よりも、テレビの中の方が気になるようで、インタビューの終了を名残惜しそうにしていた。呆れたような小敏の言葉にも、包夫人は拗ねたように言い返す。
「マジックショーですか。実は私たちも…」
父の言葉に返すように口を開きかけた文維だったが、次の瞬間、小敏が悲鳴のような声を上げた。
「うっそ~!Dr.Hooじゃん!叔父さま、
「ああ。テレビ局の楽屋でね。とてもハンサムで、感じの良い男性だった。カナダ国籍らしいが、北京語も美しくてね」
上海出身だが、一時は北京に住んでいたこともあり、また北京育ちの恭安楽の言葉も耳に心地よい包教授は、胡双と呼ばれるカナダ人の北京語も気に入ったようだった。
「え?今、出てるこの人?ん~、確かにハンサムね」
最愛の夫の時とはまるで違う関心の薄さで、包夫人は画面を見直した。それに対して、好奇心旺盛な小敏は目を輝かせている。
「うわ!今話題の『サイコロジカルイリュージョン』のチケットじゃん!」
だが、文維は涼しい顔をして父や小敏の顔を見た。
「そのチケットなら、私も持っていますよ」
そんな文維に対して、小敏は信じられないという様子で問い返す。
「え~!なんで~?なかなか手に入らなくて、転売ですごい値段になってるんだよ~」
不満タラタラの小敏を前に、文維は柔らかく微笑んで説明をした。
「そのショーの企画をしたプロモーターが、ショーを見て、心理学や精神医学の見地から私の意見を聞きたいと言って招待してくれたのですよ。もちろん、煜瑾と2人で行きます」
それに煜瑾が嬉しそうに付け加える。
「このショーに出資をしている煜瓔お兄さまからも、チケットがあるからとお誘いがあったのですけれど、文維と行くのでお断りしました」
小敏は、心から羨ましそうに、
「いいな~」
と、呟いた。
そんなしょんぼりした小敏に、煜瑾が何かに気付き、パッと明るい顔になった。
「だったらちょうどいいですよ、小敏。お兄さまからは、文維と行きなさいってチケットを2枚いただいたのですが、まだお返ししていないのです」
「え!じゃあ…」
見る見るうちに小敏の顔が期待のこもった笑顔になる。
「ええ、小敏にお譲りします。お兄さまにもそうお伝えして…」
「やった~!」
煜瑾の言葉に、小敏は満面の笑みでソファーからも立ち上がった。それを大げさだとでもというように、包教授も夫人も破顔する。
ふと気付いて煜瑾が訊ねた。
「小敏は、一緒に行く人は決まっていますか?」
煜瑾の質問の意図を深読みすることなく、小敏は少し考えた。
「ううん。まだだけど…。これだけ話題のショーだからね、誘えばすぐに見つかるよ」
「だったら…お願いがあるのですけれど」
と、煜瑾は少し遠慮がちに切り出した。
「何?煜瑾のお願いなら、何でも聞いちゃうよ」
その一言にホッとした煜瑾は嬉しそうに口を開いた。
「良かったら、煜瓔お兄さまと一緒に行っていただきたいのです」
思わぬ申し出に、小敏も目を丸くする。
「煜瓔お兄さまと?でも、文維と行くようにってチケットをくださったんでしょう?ご自分は行かれないか、他の人と行く予定なんじゃないの?」
不思議そうな小敏に、煜瑾はクスリと可憐に笑った。
「ん~多分、違うと思います」
そう言って、煜瑾は少し恥ずかしそうに、そして少し誇らしげに答えた。
「お兄さまなら、もしも文維がお仕事で行けないとなった時に、私と行って下さるはずです。そのためにご予定は空けて下さっていると思います。煜瓔お兄さまなら…きっとそうして下さるはず」
兄からの愛情を微塵も疑うことを知らない煜瑾は、幸せそうに微笑んだ。それを見て、包夫妻や小敏はにこやかだった。だが、文維だけは一瞬だけ不愉快そうに眉を顰め、煜瑾に気付かれる前にすぐに穏やかな笑顔に戻った。
それが例え実兄の煜瓔であったとしても、自分以外に煜瑾に愛情を注ぐ相手には、さすがにクールな文維であっても嫉妬の感情は抑えきれないのだった。
小敏はすぐに楽しそうに答えた。
「そういうことなら、ボクは喜んで煜瓔お兄さまとご一緒させていただくよ」
煜瑾も安堵したように、無邪気に喜んだ
「ありがとう、小敏。じゃあ、このショーには、私と文維だけでなく、お父さまもお母さまも小敏も煜瓔お兄さまも一緒に行けますね!」
そんな2人のやり取りに、お母さまがウキウキした様子で提案した。
「席は離れていても、行きと帰りは一緒になるでしょう?みんなでお食事に行きましょうよ」
その楽しい提案に、小敏はすかさず言った
「じゃあ、煜瓔さんの奢りだな」
「小敏、なんてことを」
相変わらず調子のよい小敏を、息子と同じく可愛いと思いながらも、包教授は真面目な顔をして窘めた。
「そうですね!いい考えです。お兄さまに近くのレストランを予約していただきましょう。両家揃ってのお食事なんて、本当に久しぶりですね。兄も喜ぶと思います」
素直な煜瑾は、家族揃ってのイベントとなったことを、本当に嬉しそうにしていた。
