第2章 事件勃発

 顧警部は、方萌巡査の手を借りて、ハワード・ベネットとジョニー・レイの事情聴取を済ませた。
 方巡査によると、2人はアメリカ国籍で、ジョニーはアメリカ生まれの生粋の中国系アメリカ人ではあるが、中国語しか話せない祖母に育てられたということで、中国語が話せるのだった。
 ベネット氏は、胡双をマジシャンとして育て上げた敏腕のマネージャーで、彼のデビューに一役買ったのもベネット氏自身だ。

「ベネットさんと、胡双さんは10年以上の付き合いだそうですが、被害者とは、彼女がこのチームに加わった5年前からの付き合いで、それ以前のことは詳しくないそうです。被害者もアメリカ人ですが、韓国系で、中国語も、韓国語もロクに話せないらしく、中国へ来たのも今回が初めてのことでした」

 勇んで報告する方萌巡査だが、顧警部は聞いているのか、聞いていないのか、よく分からない反応だ。

「顧警部、他に聞いておくことは?」

 珍しく弱気になって方巡査が訊ねた。

「今は、もうエエ。こっちの、男前さんが、今日の主役やな?」

 おもむろに、舞台袖の簡易な椅子に座ったベネット氏とジョニーの隣で茫然と立っていた胡双に、顧警部は声を掛けた。

「あんたは、言葉が通じるらしいな」

 念のため、顧警部が確認すると、我に返った胡双がゆっくりと頷いた。

「私は、胡双と言いますが、これはステージネームです。国籍はカナダですが、仕事の拠点はアメリカにあります。マネージャーのベネットがロスに事務所を持っているので」

 先ほどまでショックでボンヤリしていたとは思えぬほど、胡双は簡潔に、的確に答えた。顧警部は、胡双がかなり明晰な人間なのだと悟った。

「言葉が通じるなら話は早い。被害者のことを詳しく教えてもらえませんか」

 顧警部がジッと胡双を見据えた時に、ベネット氏が方巡査の手を引っ張り何かを訴えた。

「あ~、はいはい。あの、顧警部。ベネットさんが、よければ、どこか落ち着いて座れる場所で話をしてもらえないかと。胡双さんもショックを受けているので、一度休ませたいと、言ってます」

 一瞬、気を削がれたように思った顧警部だが、それもそうだと思い直した。現場の近くで、動揺している時こそ、いろいろ話を聞くのも有効なのだが、この3人に関しては、顧警部には犯人とは思えなかったからだ。

「ほな、劇場のロビーにでも行きましょか?」

 決して友好的な顔つきではなく、不承不承と言った様子で顧警部は言った。
 それを方巡査が急いで通訳する。

「え!そうなんですか!」

 そう言って、また嬉しそうに目を輝かせる方巡査を、チラリと横目で見て、顧警部は眉間に皺を寄せた。

「顧警部!胡双さんは、この劇場が付随するホテルのスイートルームにお泊りなんですって!そこでお話を聞くのはどうかって!」

 改装したばかりの、海外からのゲスト向けの高級ホテルのスイートルームに入れるとあって、若い方巡査は嬉しくてならないらしい。
 しかし、ベネット氏のこともあり、来るなとは言えない事情が顧警部にもある。

「ほ、ほな…そうしよか」

 渋々ながら、顧警部は、胡双たちと方巡査と共に、この「金煌麗都劇場」が付随する「上海華茂麗都大酒店」の最上階にあるスイートルームに向かうこととなった。

 呉警部と王淑芬は、真っ直ぐに2階の桟敷席に向かった。その間、王淑芬に命じられた孫支配人が、ステージに上がり、幕前に立った。

「あ、あの…。ゲストの皆さまにはご迷惑をお掛けしました。桟敷席のお客様以外は、これにてお帰りいただいても構わぬと、警察から許可が出ました。どうぞ、お帰り下さい」

 気の小さい孫支配人は、青ざめた顔で、震える声でそれだけを言うと、サッと頭を下げ、逃げるように舞台から去ってしまった。
 それを素直に見つめていた煜瑾は、ホッと大きく息を吐いた。それだけ不安だったのだと察し、文維は優しくほほ笑みかけた。

「さあ、もう帰りましょう、煜瑾。疲れたでしょう?」
「良かった、もう帰っていいのですね」

 煜瑾は力なく笑い返し、文維に支えられながら立ち上がり、後方のテーブル席を振り返った。
 ちょうど包夫妻も帰ろうと立ち上がったところらしく、恭安楽が煜瑾の様子を心配そうに見ていた。

「こんなに遅くなっては、レストランの予約もキャンセルされてますよね。久しぶりに、みんな一緒にお食事が出来ると思っていたのに…」

 家族揃っての食事を心から楽しみにしていた、無邪気な煜瑾は残念そうに言うが、煜瑾自身、とても食事をする気分では無い。

「また改めて機会を持ちましょう。今からなら…、母の日が近いですよ」

 文維の励ましに、煜瑾も少しは元気になり、表情も和らいだ。



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