第2章 事件勃発

「さよか」

 すぐにその場の4人の関係者に興味を失った様子の顧警部だったが、行き過ぎようとして、ふと王淑芬に目を止めた。
 一目で有能で、やり手で、かなり世慣れた「できる」女だと顧警部は思った。この女性なら、冷静に、正確に状況を説明できるのではないかと直感したのだ。

「あんな…、あんた…」

 言いかけた顧警部に、呉警部が割り込んできた。
 スラリと背が高く、エリートらしく外国製のグレーのスーツを着込み、髪も艶やかに撫でつけ、キラリと光るクールな金縁眼鏡をした呉警部に対し、叩き上げの刑事らしい、古びた茶色のジャンパーに紺色の裾が擦り切れたようなスラックス、靴も革靴なのは間違いないが、こすれて古びていて何ともみすぼらしく、スタイルもずんぐりした顧警部が並ぶとどこか滑稽だった。

「顧警部、こちらの趙局長に無礼じゃないか」

 エリートはエリートを庇うとでも言いたそうに、呉警部は趙局長の前に立ち、手を差し出した。

「同僚が失礼な真似をしました。私は静安署の呉志浩警部です。張徳輝文化局長ですね。私は市長とも面識があるんですよ」

 自慢げな呉警部と、一目置かれたことでプライドをくすぐられた趙局長はご満悦だ。

(アホらし…)

 口には出さず、殊勝にも趙局長に会釈だけして、顧警部は舞台の袖で待つ胡双たちの元へ向かった。

「あの…呉警部。会場にお残りいただいているゲストには、もうお帰りいただいてもよろしいでしょうか」

 言葉は丁寧だが、どこか有無を言わせぬ凛とした口調で王淑芬が言った。

「中には、ご迷惑をお掛けしたくないような方々もいらっしゃるので…」

 王淑芬は、呉警部が権威に弱いことをすでに見抜いているようで、まずはやや高圧的に迫った。

「いわゆるセレブと呼ばれるような方もおられるんですよ」

 まさに飴と鞭の使い分けのように、王淑芬は、厳しく迫った後に、呉警部の功名心を煽るような言い方をした。

「たとえば?」

 まさに馬の鼻先にニンジンを与えたように、もったいぶった王淑芬に呉警部は食いついてきた。

「もちろん、こちらの趙局長と、金瑶夫人を筆頭にして、上海都市銀行の頭取や、富豪の唐家のご当主もいらっしゃいますの」

 どちらも、このショーを開催するにあたって、王淑芬自身が交渉に当たった投資元である。

「ほう!あの、唐家の!」

 多くを語らずとも、それがどの「唐家」を指すのか、呉警部にも分かっていた。上海に限らず、全国的にもその名を知られた大富豪であり、元をたどれば清朝貴族の子孫であるという、由緒ある高貴な家柄だった。そのような名門の当主と知り合えるチャンスだとばかりに、呉警部は目を輝かせた。

「分かりました。やはり、セレブの皆さんには無礼があってはいけませんからな。この私自らが事情聴取をいたします。それが済めばお帰りいただいて結構です」
「ありがとう、呉警部。みなさま警部のスマートなお計らいに感謝されますわ」

 王淑芬の巧みな話術に、上昇志向の強い呉警部は期待に胸を膨らませていた。

 一方の顧警部は、すっかり腑抜けになったようにぼんやりしている少年と、恰幅のいい白人が並んで座っている前に立った。

「ええっと、さて…」

 少年といってもすでに18歳にはなっているジョニーと、ハワード・ベネットを前に、顧警部は言葉を探した。

「このたびは…どうも…」
「What did you say?(なんですか?)」
「お、…おお…」

 さしもの歴戦の名警部も、外国語で返されると引けてしまう。

「なんだね、英語での事情聴取もできないというのか、顧警部」

 そこへ王淑芬と共に客席へ向かおうとしていた呉警部が明らかに侮蔑的に言った。

「……」

 それが本当のことだけに、顧警部は言い返せずに、口元を歪めて遠くに視線を送った。

「仕方ない、私が…」

 そう言って、呉警部はハワード・ベネットに手を差し出した。

「Nice too meat yoo!(Nice to meet you)(初めまして)」
「Huh? What?(はあ?なんですって?)」

 どうやら呉警部の英語には訛があるのか、ベネット氏には通じないらしい。

「よろしければ、私が…」

 苦笑をしつつ、王淑芬が前に出ようとした時だった。

「We are police. Let me ask you some questions.(警察です。いくつか質問をさせて下さい)」

 スラスラとよどみのない正確な英語でベネット氏に声を掛けたのは、元気いっぱいで物おじを知らない方萌巡査だった。
 思わず顧警部は二度見してしまい、奇妙なものでも見るような目で、聡明な方萌を見た。
 もう1人、方萌に注目していた者があった。呉警部の忠犬と呼ばれる張毅だ。尊敬するような、うらやむようなウットリした目つきで方萌を眺めていたのだ。
 怪訝な顔つきなのは呉警部1人だけだった。

「じゃあ、我々は観客席のほうへ」

 負けず嫌いの呉警部は、機嫌を損ねた様子で、王淑芬を促して観客たちの方へ向かった。








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