第2章 事件勃発
会場には、全ての桟敷席の9組、12あるテーブル席のうち3テーブル、そして一般の観客席には、今や文維と煜瑾しか居なかった。
彼らは落ち着いて、それぞれ気に入った飲み物を口にしながら、劇場側からの説明を待っていた。
幕の下りた舞台の内側では、警察の鑑識係が作業をしている。それを少し離れたところから、プロモーターの王淑芬、孫支配人、そして上海市政府文化局長である趙氏とその夫人が、関係者として事情を聴かれるために立っていた。
舞台の袖には、すっかり虚脱状態になったジョニーを守るように、マネージャーのハワード・ベネットが抱き寄せ、その隣に打ちひしがれた様子の胡双が立っていた。
その横を通って、静安署の警部が到着した。
「死因は?」
高慢な態度で、地道に作業をする鑑識課員に声を掛けたのは、静安署で一番のエリートと呼ばれる呉志浩警部だ。その隣には、若手刑事が敬愛する警部を守る番犬のような目で付き従っている。
「検視をしてみないと断定できません」
鑑識が帯同した監察医が慎重に答える。
「何をぬるいことを言ってる!呉警部が訊かれてるんだ!さっさと答えろ!」
血気盛んな張毅刑事が監察医に迫る。だが若い張毅の威嚇など、壮年の監察医は歯牙にもかけていないようだ。
「何か、報告は?」
不機嫌そうにしながら、チラリとヴィヴィの方を一瞥しただけで、すぐに目を逸らして呉警部は言葉少なく言った。
「なんや、あんたらも来てたんかいな。ほな、俺の出る幕は無いな」
何を考えているのか、相手に読ませない複雑な顔をして、そこに顧警部が割り込んだ。
「毒殺か?」
不愉快そうな呉警部の前をスッと通り過ぎ、顧警部は鑑識課員に軽く会釈をして、監察医の隣に並んだ。
「おそらくは。ただ、毒の種類や摂取の方法は…」
「分かってる。後は、任せたで。キッチリ頼むわ」
呉警部の態度が不満だった監察医だったが、多くを語らせること無く、顧警部はねぎらった。
そのまま顧警部はヴィヴィの、今は「死体」となった体の傍に片膝をついて観察した。
「目撃者は大勢いる。誰もが、そのグラスのシャンパンを飲んですぐに苦しみだしたと言っているんだ。犯人は明確だろう」
じっくりと調べようとする、年上の顧警部をバカにするように、呉警部は言い放った。
「ま、グラスから毒が出たら、そうやろな」
顧警部は死体を損なうことの無いように、捜査用の使い捨て手袋を鑑識課員から受け取り、ヴィヴィの美貌にかかった乱れた髪を、そっと払った。
「まだ、若いのになあ…」
明らかに哀れな姿を気の毒に思っている様子で、顧警部は呟いた。
「アシスタントのヴィヴィこと、ヴィヴィアン・カン。国籍はアメリカで、韓国系アメリカ人だそうです。年齢は、29歳。家族はアメリカに母親と弟がいるそうです」
キビキビと報告したのは、若い女性巡査の方萌だった。
「誰かね、君は?どこからそんな情報を?」
呉警部は、胡散臭そうに方萌を見ながらそう言った。だが、そんな視線にも気付かぬのか、それとも気付いていても気にならないのか、方萌巡査は呉警部の冷ややかな態度に臆することなく、相変わらず元気に報告を続ける。
「はいっ!自分は、方萌巡査でありますっ!顧警部のお手伝いをさせていただいております!この情報は、あちらにいる、被害者の同僚たちから聞いたものです!」
どこまでも、元気で、明るくて、真っ直ぐな方萌に、呉警部も、隣の張毅も呆気に取られてものも言えない。そんな彼らを放置して、一途な方萌は、尊敬する顧警部に報告を続けた。
「被害者は、この劇場で開催されていたマジックショーのアシスタントで、マジシャンの胡双とは5年ほどの付き合いだそうです」
「胡双?5年?」
顧警部はそれを聞き、ゆっくりと立ち上がった。
「その胡双とやらと話し、できるか?」
「はい!あちらに待たせております!」
ほんの少しでも警部の助けになったかもしれないと思った方萌は満面の笑みで、大きく頷いた。
「何が嬉しいねん。人、1人死んでるんやぞ」
晴れやかな方萌の耳元で、顧警部は小さな声で厳しく戒め、何事もなかったようにシレっとして舞台の袖へと向かおうとした。
「こっちは誰や?」
途中、立ち尽くしている、王淑芬たちに気付いた顧警部は、遠慮なくジロジロと彼らを検分する。
「あの、こちらは市政府の文化局長の趙徳輝局長と、その奥様の金瑶夫人です。私は、このショーのプロモーターの王淑芬」
それだけ言って黙り込んだ王淑芬に、慌てて孫支配人が言い添えた。
「私は、この劇場の支配人の孫浩然です。この『事故』のことは、何でも私にお聞きください」
支配人としての面子のためか、必死の形相で孫支配人は自分を売り込むが、少なくとも顧警部の目には、物の数に入っていなかった。
彼らは落ち着いて、それぞれ気に入った飲み物を口にしながら、劇場側からの説明を待っていた。
幕の下りた舞台の内側では、警察の鑑識係が作業をしている。それを少し離れたところから、プロモーターの王淑芬、孫支配人、そして上海市政府文化局長である趙氏とその夫人が、関係者として事情を聴かれるために立っていた。
舞台の袖には、すっかり虚脱状態になったジョニーを守るように、マネージャーのハワード・ベネットが抱き寄せ、その隣に打ちひしがれた様子の胡双が立っていた。
その横を通って、静安署の警部が到着した。
「死因は?」
高慢な態度で、地道に作業をする鑑識課員に声を掛けたのは、静安署で一番のエリートと呼ばれる呉志浩警部だ。その隣には、若手刑事が敬愛する警部を守る番犬のような目で付き従っている。
「検視をしてみないと断定できません」
鑑識が帯同した監察医が慎重に答える。
「何をぬるいことを言ってる!呉警部が訊かれてるんだ!さっさと答えろ!」
血気盛んな張毅刑事が監察医に迫る。だが若い張毅の威嚇など、壮年の監察医は歯牙にもかけていないようだ。
「何か、報告は?」
不機嫌そうにしながら、チラリとヴィヴィの方を一瞥しただけで、すぐに目を逸らして呉警部は言葉少なく言った。
「なんや、あんたらも来てたんかいな。ほな、俺の出る幕は無いな」
何を考えているのか、相手に読ませない複雑な顔をして、そこに顧警部が割り込んだ。
「毒殺か?」
不愉快そうな呉警部の前をスッと通り過ぎ、顧警部は鑑識課員に軽く会釈をして、監察医の隣に並んだ。
「おそらくは。ただ、毒の種類や摂取の方法は…」
「分かってる。後は、任せたで。キッチリ頼むわ」
呉警部の態度が不満だった監察医だったが、多くを語らせること無く、顧警部はねぎらった。
そのまま顧警部はヴィヴィの、今は「死体」となった体の傍に片膝をついて観察した。
「目撃者は大勢いる。誰もが、そのグラスのシャンパンを飲んですぐに苦しみだしたと言っているんだ。犯人は明確だろう」
じっくりと調べようとする、年上の顧警部をバカにするように、呉警部は言い放った。
「ま、グラスから毒が出たら、そうやろな」
顧警部は死体を損なうことの無いように、捜査用の使い捨て手袋を鑑識課員から受け取り、ヴィヴィの美貌にかかった乱れた髪を、そっと払った。
「まだ、若いのになあ…」
明らかに哀れな姿を気の毒に思っている様子で、顧警部は呟いた。
「アシスタントのヴィヴィこと、ヴィヴィアン・カン。国籍はアメリカで、韓国系アメリカ人だそうです。年齢は、29歳。家族はアメリカに母親と弟がいるそうです」
キビキビと報告したのは、若い女性巡査の方萌だった。
「誰かね、君は?どこからそんな情報を?」
呉警部は、胡散臭そうに方萌を見ながらそう言った。だが、そんな視線にも気付かぬのか、それとも気付いていても気にならないのか、方萌巡査は呉警部の冷ややかな態度に臆することなく、相変わらず元気に報告を続ける。
「はいっ!自分は、方萌巡査でありますっ!顧警部のお手伝いをさせていただいております!この情報は、あちらにいる、被害者の同僚たちから聞いたものです!」
どこまでも、元気で、明るくて、真っ直ぐな方萌に、呉警部も、隣の張毅も呆気に取られてものも言えない。そんな彼らを放置して、一途な方萌は、尊敬する顧警部に報告を続けた。
「被害者は、この劇場で開催されていたマジックショーのアシスタントで、マジシャンの胡双とは5年ほどの付き合いだそうです」
「胡双?5年?」
顧警部はそれを聞き、ゆっくりと立ち上がった。
「その胡双とやらと話し、できるか?」
「はい!あちらに待たせております!」
ほんの少しでも警部の助けになったかもしれないと思った方萌は満面の笑みで、大きく頷いた。
「何が嬉しいねん。人、1人死んでるんやぞ」
晴れやかな方萌の耳元で、顧警部は小さな声で厳しく戒め、何事もなかったようにシレっとして舞台の袖へと向かおうとした。
「こっちは誰や?」
途中、立ち尽くしている、王淑芬たちに気付いた顧警部は、遠慮なくジロジロと彼らを検分する。
「あの、こちらは市政府の文化局長の趙徳輝局長と、その奥様の金瑶夫人です。私は、このショーのプロモーターの王淑芬」
それだけ言って黙り込んだ王淑芬に、慌てて孫支配人が言い添えた。
「私は、この劇場の支配人の孫浩然です。この『事故』のことは、何でも私にお聞きください」
支配人としての面子のためか、必死の形相で孫支配人は自分を売り込むが、少なくとも顧警部の目には、物の数に入っていなかった。
