第2章 事件勃発
「さあ、コチラをどうぞ」
にこやかに、親切に、Dr.Hooは「特別」なシャンパンとして、無味無臭、無色透明のミネラルウォーターが入ったグラスを趙局長に手渡した。
「これは『特別』なシャンパンで、実は白酒 並にアルコール度数が高いのです。くれぐれもお気をつけて…」
真剣な表情でDr.Hooが言い添えると、趙局長は一瞬呆気にとられた顔をして、すぐに腑に落ちたのか、人の良さそうな顔をして言った。
「こう見えても私は酒豪と呼ばれているのですよ、胡双。こんなグラスの1杯くらいでは、酔うこともできませんな」
自信満々に言う趙局長に、会場内からは小さな笑いがあちこちから起きる。
「では、私たちもグラスを持たせていただきます」
そしてDr.Hooも、ヴィヴィからグラスを受け取り、そのヴィヴィもまたグラスを掲げた。
「それでは、グラスをお持ちの皆さま、ご一緒に…」
会場の一部の観客が、Dr.Hooの呼びかけに合わせてシャンパンの入ったグラスを持ち上げた。
「ゴメンね、煜瑾。この席には飲み物が無くて…」
文維が笑いながら言うと、煜瑾も輝く笑顔で応える。
「小敏みたいに欲しがったりしませんよ」
そう言って、2人は顔を見合わせてクスクス笑った。
そんな様子を遠くから見守りながら、包伯言と恭安楽は暖かい眼差しで配られたグラスを合わせた。
桟敷席の唐煜瓔と羽小敏もまた、シャンパンに満たされたグラスを持ち上げた。
Dr.Hooの隣では、元モデルだという美しいヴィヴィが、嫣然と微笑んでいた。
「では、趙局長のご栄光に。会場にお越しの皆さまの幸せに…」
グラスの無い文維と煜瑾は、ただ黙って見つめ合った。それだけで充分だった。
「乾杯!」
Dr.Hooこと天才マジシャンの胡双の掛け声に合わせ、会場が一体となり、趙局長は「特別」な、それ以外は口当たりの良い、美味しいシャンパンを口にした。胡双、ヴィヴィ、そして趙局長のグラスが空になった。
「あら、これ、すごく美味しいわね。スパークリングワインじゃなくて、本物の『シャンパン』よ」
お酒の味には詳しい恭安楽がペロリと飲み干して、そう言った。
そもそも、発砲ワインを「シャンパン」と呼ぶのは間違いで、元来はフランスのシャンパーニュ地方の指定ワイナリーで作られたものだけが「シャンパン」と名乗れるのだ。
「そんなに気に入ったのなら、これも飲むかね?」
優しく紳士的な包教授は、自分がひと口だけ飲んだグラスの残りを、愛妻に勧めた。
「まあ、いいの?嬉しいわ!」
屈託のない恭安楽は、夫が口をつけたグラスを気にすることもなく、グイグイと飲み干した。包教授は、そんな愛らしい妻を、満足そうに見つめていた。
「さあ、趙局長。『特別』なシャンパンのお味はいかがですか?アルコール分が高いので、1杯でも酔ってしまわれたのでは?」
そう言われた途端に、趙局長の足元がふらついた。会場では驚嘆の声が上がる。
「酔ってしまわれたのですね、『エビアン』で」
楽しそうに煜瑾がクスクスと笑いながら言った。それを受けて、文維も和やかに笑っている。
「もちろん。『特別』な『エビアン』ですからね」
2人は顔を見合わせると、声を出さぬよう気を付けながら笑った。
「きゃーっ!」「わー!」「ええっ?」
その時だった。
会場中から異様な声が上がった。
それは、催眠術の暗示に踊らされるお役人や、圧巻の天才マジシャンの腕に人々が歓声をあげたのではなかった。
「ヴィヴィっ!」
一番大きな声を上げたのは、ワゴンの脇に所在なさげに立っていた若いアシスタントのジョニーだった。
「ちょっと、あれって!」
驚いた恭安楽は、思わず席を立ちあがりステージの上で苦しむヴィヴィの様子を窺った。
「あれって、演出…じゃないよね」
2階の桟敷席でもまた、小敏が立ち上がり、手すりを乗り越えんばかりの勢いでステージを覗き込んでいる。
隣の唐煜瓔は冷静に、ただ手にしたグラスをテーブルに戻し、麗しい顔の眉間に皺を寄せた。
「な、なんだ。なんだ~?」
酔っぱらったと思っている趙徳輝は、自分のすぐ近くで何が起きているか分からない様子で、とろんとした目つきでいた。
「ヴィヴィ…」
あまりのことに、さすがの天才マジシャンも虚を突かれたのか、ただ見つめていることしか出来なかった。
ステージの上では、先ほどまで輝くような生気を振りまいていた美しいヴィヴィが、喉をかきむしるようにしてステージ上に倒れ、苦しんでいた。
「幕を!幕を降ろせ!」
男性の金切り声のようなものが聞こえた。
「キャーっ」
絹を裂くような女性の悲鳴が客席中に響き渡ると、それを合図にしたように、怯えた観客たちが立ち上がった。
「動かないで!動かないで下さい」
「Please be quiet! Please do not move!」
先ほどの男性の声はこの劇場の支配人である孫浩然で、観客に呼び掛けているのは、このショーの主催者にあたる、王淑芬とハワード・ベネットだ。
「文維…。ど、どうなっているのですか」
世の中の醜悪な現実に近付くことの無いよう、大切に育てられた煜瑾は、不安を隠せずに文維の腕に縋った。
にこやかに、親切に、Dr.Hooは「特別」なシャンパンとして、無味無臭、無色透明のミネラルウォーターが入ったグラスを趙局長に手渡した。
「これは『特別』なシャンパンで、実は
真剣な表情でDr.Hooが言い添えると、趙局長は一瞬呆気にとられた顔をして、すぐに腑に落ちたのか、人の良さそうな顔をして言った。
「こう見えても私は酒豪と呼ばれているのですよ、胡双。こんなグラスの1杯くらいでは、酔うこともできませんな」
自信満々に言う趙局長に、会場内からは小さな笑いがあちこちから起きる。
「では、私たちもグラスを持たせていただきます」
そしてDr.Hooも、ヴィヴィからグラスを受け取り、そのヴィヴィもまたグラスを掲げた。
「それでは、グラスをお持ちの皆さま、ご一緒に…」
会場の一部の観客が、Dr.Hooの呼びかけに合わせてシャンパンの入ったグラスを持ち上げた。
「ゴメンね、煜瑾。この席には飲み物が無くて…」
文維が笑いながら言うと、煜瑾も輝く笑顔で応える。
「小敏みたいに欲しがったりしませんよ」
そう言って、2人は顔を見合わせてクスクス笑った。
そんな様子を遠くから見守りながら、包伯言と恭安楽は暖かい眼差しで配られたグラスを合わせた。
桟敷席の唐煜瓔と羽小敏もまた、シャンパンに満たされたグラスを持ち上げた。
Dr.Hooの隣では、元モデルだという美しいヴィヴィが、嫣然と微笑んでいた。
「では、趙局長のご栄光に。会場にお越しの皆さまの幸せに…」
グラスの無い文維と煜瑾は、ただ黙って見つめ合った。それだけで充分だった。
「乾杯!」
Dr.Hooこと天才マジシャンの胡双の掛け声に合わせ、会場が一体となり、趙局長は「特別」な、それ以外は口当たりの良い、美味しいシャンパンを口にした。胡双、ヴィヴィ、そして趙局長のグラスが空になった。
「あら、これ、すごく美味しいわね。スパークリングワインじゃなくて、本物の『シャンパン』よ」
お酒の味には詳しい恭安楽がペロリと飲み干して、そう言った。
そもそも、発砲ワインを「シャンパン」と呼ぶのは間違いで、元来はフランスのシャンパーニュ地方の指定ワイナリーで作られたものだけが「シャンパン」と名乗れるのだ。
「そんなに気に入ったのなら、これも飲むかね?」
優しく紳士的な包教授は、自分がひと口だけ飲んだグラスの残りを、愛妻に勧めた。
「まあ、いいの?嬉しいわ!」
屈託のない恭安楽は、夫が口をつけたグラスを気にすることもなく、グイグイと飲み干した。包教授は、そんな愛らしい妻を、満足そうに見つめていた。
「さあ、趙局長。『特別』なシャンパンのお味はいかがですか?アルコール分が高いので、1杯でも酔ってしまわれたのでは?」
そう言われた途端に、趙局長の足元がふらついた。会場では驚嘆の声が上がる。
「酔ってしまわれたのですね、『エビアン』で」
楽しそうに煜瑾がクスクスと笑いながら言った。それを受けて、文維も和やかに笑っている。
「もちろん。『特別』な『エビアン』ですからね」
2人は顔を見合わせると、声を出さぬよう気を付けながら笑った。
「きゃーっ!」「わー!」「ええっ?」
その時だった。
会場中から異様な声が上がった。
それは、催眠術の暗示に踊らされるお役人や、圧巻の天才マジシャンの腕に人々が歓声をあげたのではなかった。
「ヴィヴィっ!」
一番大きな声を上げたのは、ワゴンの脇に所在なさげに立っていた若いアシスタントのジョニーだった。
「ちょっと、あれって!」
驚いた恭安楽は、思わず席を立ちあがりステージの上で苦しむヴィヴィの様子を窺った。
「あれって、演出…じゃないよね」
2階の桟敷席でもまた、小敏が立ち上がり、手すりを乗り越えんばかりの勢いでステージを覗き込んでいる。
隣の唐煜瓔は冷静に、ただ手にしたグラスをテーブルに戻し、麗しい顔の眉間に皺を寄せた。
「な、なんだ。なんだ~?」
酔っぱらったと思っている趙徳輝は、自分のすぐ近くで何が起きているか分からない様子で、とろんとした目つきでいた。
「ヴィヴィ…」
あまりのことに、さすがの天才マジシャンも虚を突かれたのか、ただ見つめていることしか出来なかった。
ステージの上では、先ほどまで輝くような生気を振りまいていた美しいヴィヴィが、喉をかきむしるようにしてステージ上に倒れ、苦しんでいた。
「幕を!幕を降ろせ!」
男性の金切り声のようなものが聞こえた。
「キャーっ」
絹を裂くような女性の悲鳴が客席中に響き渡ると、それを合図にしたように、怯えた観客たちが立ち上がった。
「動かないで!動かないで下さい」
「Please be quiet! Please do not move!」
先ほどの男性の声はこの劇場の支配人である孫浩然で、観客に呼び掛けているのは、このショーの主催者にあたる、王淑芬とハワード・ベネットだ。
「文維…。ど、どうなっているのですか」
世の中の醜悪な現実に近付くことの無いよう、大切に育てられた煜瑾は、不安を隠せずに文維の腕に縋った。
