第1章 華麗なるマジックショー

 Dr.Hooが、趙局長の右肩に触れた一瞬後のことだった。Dr.Hooは素早く趙局長の左手を取り、その掌を彼の頭のてっぺんに乗せた。

「もう、取れませんよ」

 そんな風に、穏やかな口調でDr.Hooが囁くと、笑って本気にしなかった趙局長が、次の瞬間慌てだした。

「こ、これは…」

 確かに趙局長は、頭から手を外そうとしているようだが、思うようにいかないらしく、動揺している。その慌てっぷりに、観客は大笑いだ。

「ぶ、文維?催眠術でも、やりたくないことは強制できないのでしょう?趙さんは手を外そうとしているのに、どうしてできないのですか?」

 純真無垢な煜瑾は、驚いて文維に疑問をぶつけた。

「それだけDr.Hooとの信頼関係が出来ているのでしょう。それに、頭から手が離れない程度では、命にかかわるわけでもないし、彼のプライドも邪魔しないから、暗示にかかっている方が心地よいのだと思いますよ」

 そう言って、文維は優しくほほ笑んだ。
 煜瑾はその理路整然とした説明に納得して、笑顔になってステージに視線を戻した。

「おそらく深層心理では、趙局長も楽しんでいると思いますよ」

 続けて文維が言うと、煜瑾は楽しそうに笑った。

「ふふふ。趙さんも楽しいのなら、良かったですね」

 無邪気にそう言って、煜瑾はさらにステージに夢中になった。
 煜瑾同様に、観客たちもステージに注目していたその時、Dr.Hooが再び趙局長の頭に乗った左手に触れた。

「もう外れますよ」

 そんな簡単な一言で、趙局長の左手はスルリと頭から離れた。

「あ?お、おお」

 まだ動揺しているらしく、趙局長は言葉にならないようだった。

「大丈夫ですか?」

と、Dr.Hooはまたも彼の左肩に触れる。するとお約束のように趙局長は、自分の鼻の頭をかいた。
 ここでまた、会場が湧く。それを、不思議そうに見回した趙局長だったが、すぐに照れ隠しのように笑った。

「いや~、驚いたよ」

 全ての観客が、趙徳輝に惜しみない拍手を送った。

「ご協力ありがとうございました。緊張されたのでは?ここで、少し息抜きに、お飲み物でも…」

 Dr.Hooが趙局長を労わりながら、左肩に触れ、

「もう、鼻が痒くなることはありません」

と、言って、ポンと1つ肩を叩いた。
 すると、もう一度、Dr.Hooが趙局長の左肩に触れても、局長が鼻をかくことはなくなった。
 これで、趙局長が催眠術の暗示から解放されたのだと全ての観客が理解した。

「ふふふ。私は、趙局長のお鼻が赤くなるのではないかと心配していました」

 天使のように清らかな心の煜瑾は、そう言ってウキウキしながら言った。それが愛らしく、あまりに清純過ぎて、文維はこの天使を恋人に出来た自分の幸運を噛み締めていた。

 観客たちは、Dr.Hooが本当に催眠術による暗示で人を操れるのだと思い知らされた。

「さあ、最高級のシャンパンをご用意させましょう。皆さまも、ご一緒に」

 その一言で、テーブル席と桟敷席にはホテルの配膳係たちが一斉にシャンパンの入ったストローグラスを運んで来た。
 ステージ上にも、ワインクーラーを乗せたワゴンを、ジョニーが運んで来る。ワインクーラーには2本の瓶がたっぷりの氷と共に入っている。
 その中の1本を、ヴィヴィが取り出した。脇にあった白い布で水滴を拭い、その瓶を客席に見せつけるように差し出した。

「あれ?」

 小敏が思わず漏らした一言は、観客の誰しもが思ったことだった。その瓶の中身はシャンパンゴールドの液体ではなく、無色透明だったからだ。

「あれって、ミネラルウォーターのエビアンの瓶ですよね?」

 明かな違いに、おっとりした煜瑾までもが気が付いた。

「ほら、あのテレビで見た…」

 文維が煜瑾の耳元で囁くと、煜瑾はパッと明るい顔になった。

「ねえ、伯言?これって、テレビで観たラスベガスのショーと同じやつじゃない?」
「そうらしいね」

 包伯言と恭安楽は、本物のシャンパンが満ちたグラスを前に、互いに顔を寄せ合い、小さな声でクスクス笑っていた。

「趙局長には、ただ今ヴィヴィが皆さんにお見せした、『特別』なシャンパンを差し上げます」

 Dr.Hooの言葉を受け、ヴィヴィが瓶の蓋をキュッと捻って開け、観客たちと同じグラスに透明な「水」を注いだ。
 それをDr.Hooに手渡し、今度はワインクーラーに残った本物のシャンパンを取り上げ、観客たちに見せた。手慣れたワインのソムリエのように、ヴィヴィは封を切った。

〈ポン!〉

 シャンパンのコルクが心地よい音を立てて飛んだ。間違い無く、高級シャンパンだというように、瓶の口からは泡が溢れた。

 それを自分の後ろにあるワゴンの上に乗ったグラスに注ぐため、ヴィヴィが観客たちに対して後ろを向いた時だった。

「あれ?」

 小敏が思わず呟いた。

(あんなキレイな人なのに、随分とお行儀が悪いんだな)

 目端の利く小敏が、舞台を見下ろす桟敷席だからこそ気付いた一瞬だった。





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