第1章 華麗なるマジックショー

「とっても!とっても楽しいです」

 素直な煜瑾はそう言って大きく頷き、ハッと気が付いて、先ほどまで小敏がいた2階の桟敷席に目をやった。

「お兄さまは?」

 思っていた場所に兄の姿が無いことに、煜瑾はガッカリしたように小敏に訊ねる。

「ずっと座っていると疲れるから」って、廊下で誰かとお話されてたよ」

 上海のセレブの1人である唐煜瓔と、お近づきになりたいと願うものは多い。幕間の話し相手程度に、不自由することは無いだろう。

「ねえねえ、今、催眠術かけてるんだろう?文維も出来るんだから、何やってるか分かる?」

 好奇心に満ち満ちた小敏が、ステージ上のカーテンの向こうを気にしながら、文維をチラチラと見て話し掛けた。
 それには煜瑾も興味があるようで、キラキラした瞳でじっと文維を見つめている。

「催眠術にも、それぞれやり方があってね。彼の手法が私と同じとは限らないし、何とも言えないね」

 文維は知的な笑顔で肩を竦め、煜瑾にも頷いて見せた。

「でも、文維も同じようなことが出来るのですね!」

 煜瑾は、敬愛に満ちた眼差しで恋人を見つめている。

「趙局長は、何をさせられるんだろう?気になるな~」

 小敏は、催眠術が気になって仕方が無いらしい。自分もかかってみたいのか、それとも誰かにかけてみたいのか、好奇心いっぱいの無邪気な顔をしている。

《休憩は、残り5分です》

 ステージ脇の電光掲示板にそのような表示が出た。

「早いな~。ボク、トイレに寄ってから2階に戻るね~」

 そう言うと、小敏はこの上なくチャーミングな人タラシの笑顔を、煜瑾と文維に与え、いそいそと元居た桟敷席へと帰って行った。

「ドキドキしますね。でも…、催眠術って、やりたくないことはしなくていいのでしょう?」

 以前、文維から聞いたことを覚えていた煜瑾が、少し心配そうに質問した。

「そうですね。警戒心を持っていると、なかなかかかりにくいし、本能的に悪いことだと思っていることは、どんなに深く催眠の暗示にかかっていようと、無意識的に拒絶しますからね」

 温柔な文維の笑顔に、煜瑾は心から安心した。

「さあ、何が始まるか、楽しみですね」
「はい!今夜は本当にステキな夜です」

 この上なく幸せそうな煜瑾に、文維も癒された。

 開演のベルがなり、客席の照明も落された。
 全ての観客たちに緊張が走る。

 ステージ上の大きな箱の、赤いカーテンが揺れた。
 中からは、笑顔を交わし、親しげな様子でDr.Hooと趙局長が現れた。

「趙局長。今のご気分はいかがですか?」

 爽やかな口調のDr.Hooに訊ねられ、ニコニコしながら趙徳輝は答える。

「いや~、本当にこれで催眠術にかかっているのかね?ぐっすり寝た後のように爽快な気分だよ」
「何よりです」

 穏やかにDr.Hooは、趙局長に椅子を勧め、悠然として局長は座って、客席に手を振り、愛想を振りまいた。

「ありがとうございます、趙局長」

 そう言ってDr.Hooが、趙局長の左肩を労わるように触れると、趙局長が右手で鼻の頭をかいた。

「これからお見せするチャレンジには、あなたのご協力が欠かせませんよ」
「いや、いや。儂は何もせんよ」

 笑っている趙局長に、またもDr.Hooが彼の左肩に触れる。すると、またも局長が鼻の頭をかく。

「あれって…」

 目敏い小敏はすぐに気付いて、桟敷席から前のめりになって舞台に集中する。

「催眠術の仕業かね?」

 隣に座る唐煜瓔が、面白そうに小敏に声を掛ける。

「ええ。きっとそうです。もう始まってるんですね」

 小敏は夢中になってステージを見つめていた。

「あなたは、何もしなくても結構。そこに居るだけで価値があるのです」

 そう言いながらDr.Hooが趙局長の左肩に触れると、天才マジシャンはわざとらしく観客の方を見て笑った。
 左肩に触れられた趙局長は、大方の予想通り、自分の鼻の頭をかいた。
 その瞬間、客席がドッと沸いた。
 その反応に、不思議そうにしているのは趙局長1人だった。

「お鼻が、痒いのですか?」

 丁寧な口調でDr.Hooが訊ねるが、趙局長はポカンとしている。

「先ほどから、お鼻が痒いようですが?」

 何かを確認するように、Dr.Hooが趙局長に左肩に触れる。

「いや、そんな…」

 否定しようとしつつ、趙局長は鼻の頭をかく。
 この繰り返しに、観客は爆笑する。

「では、先に進みましょうか」

 そう言ったDr.Hooは、今度は趙局長の右肩に触れた。
 次はどうなるのだろうと、会場全体が息を飲む。

「いいだろう」

 威厳をもって答えた趙局長は、またしても観客席全体からの笑いを誘った。




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