プロローグ

 恭安楽が持ち帰った北京の伝統菓子に、手作りの洋菓子、そして美味しいお茶を楽しんでいた時だった。

「そろそろ…じゃ、ないですか」

 そう言って文維がソファの正面にあるテレビをつけた。

「もうすぐ、お父さまのインタビュー番組が始まるわ。それを見ながらお父さまが作っておいて下さったお料理をいただきましょうよ」

 今日、文維や煜瑾たちが包家に集まったのは、清明節だからというだけではなく、恭安楽の最愛の夫で文維の父である包伯言ほう・はくげん教授がテレビに出演するからだった。
 ウキウキした様子の恭安楽が言うと、文維が苦笑しながら立ち上がった。

「じゃあ、温めてきます」
「私もお手伝いを!」

 慌てて煜瑾が立ち上がろうとすると、包夫人が引き留めた。

「ダメよ、煜瑾ちゃん!お父さまのインタビューを見逃したらどうするの?」
「で、でも…」

 最愛の文維と離れるのが耐え難い煜瑾だったが、大好きなお母さまの言葉に、煜瑾はどうしたものかと戸惑って動けなくなる。

「いいよ、煜瑾。文維の手伝いはボクがするから、叔母さまと煜瑾は座っててよ」

 誰よりも心の美しい親友が大好きな小敏は、煜瑾の代わりに立ち上がった。

「でも…」
「いいから、いいから。煜瑾は、叔母さまのお相手を頼むよ」

 そう言った小敏に、煜瑾も申し訳なさそうにしながらも、ホッとした様子で恭安楽の隣に座り直した。

「おとうさまのインタビューは、どういう内容なのですか?」

 包夫人と2人になった煜瑾は、素直に気持ちを切り替えて、お母さまに気になっていたことを質問した。

「ええ。お父さまが大学の次期学科主任に決まったので、今注目の研究者の紹介ということで、割と軽めの番組でのインタビューらしいのよ」
「軽め?」

 なんとなく嬉しそうなお母さまの説明に、煜瑾は好奇心いっぱいに、その印象的な黒い瞳をキラキラと輝かせた。

「これまでのお父さまのテレビインタビューといえば、専門的な内容の番組ばかりだったのだけど…。今回は女性司会者の、ちょっとした娯楽番組なのよ」

 そういう包夫人はテレビ画面をチラチラ確認しながら、煜瑾にお菓子を勧めたり、自身もお茶を飲んだりしている。期待にソワソワしているのが、誰の目にも分かる。
 以前の包伯言のテレビ出演は専門的な教養番組ばかりで、恭安楽は少し退屈だと思っていた。しかし、今回は主婦にも人気のある女性司会者のインタビュー番組なのだ。恭安楽自身も楽しみにしているが、主婦仲間も注目しているとあって、少し自慢に思っていた。

「私は、お父さまのテレビ出演を拝見するのは初めてです。とっても楽しみにしていたのです」

 ワクワクした気持ちを抑えきれない煜瑾は、お菓子を食べる手を止めて、お母さまに話しかけた。

「伯言ってば、案外テレビ映りがいいのよ」

 少女のように茶目っ気たっぷりにクスクス笑って恭安楽は言った。
 その時、賑やかな音楽と共に番組が始まった。
 最初は人気の女性司会者が、今日の話題について案内をしながら、番組アシスタントたちの紹介をしている。

「文維~、小敏~。番組が始まったわよ~」

 画面から視線を外さず、恭安楽が大きな声でキッチンで活躍中の息子たちに声を掛けた。
 その時になって煜瑾は、キッチンの方から自分の大好きな紅焼肉ホンシャオローの甘辛い匂いがするのに気付いた。お父さまが、自分の好物を覚えていて、わざわざ用意してくださったのだと思い至り、嬉しくて胸が熱くなった。

「はいはい、お待たせ~。どれも温めるだけだったから、すぐだったよ」

 そう言いながら、小敏がそれぞれの食器を運んで来た。煜瑾はすぐにそれを受け取り、個々に配り始める。その様子に安心した小敏は、何も言わずにテーブルセッティングは煜瑾に任せ、急いでキッチンに料理を取りに戻る。
 それと入れ違いに、文維が海老とトマトの玉子炒めと、煜瑾が期待していた紅焼肉を運んで来た。

「ほら、煜瑾の大好きな料理ですよ」

 文維に言われて、煜瑾は瞳をキラキラさせて微笑んだ。

「はい、こちらは空心菜と黒木耳きくらげの炒めものに、揚げた白身魚の甘酢あんかけだよ」
「お茶を淹れ直してきます」

 文維と小敏は、入れ代わり立ち代わりキッチンからリビングへと料理を運んだ。それを受け取り、テーブルに並べるのは煜瑾の仕事で、ちょっと迷った時は恭安楽が的確にアドバイスした。

「さあ、このCMの後のコーナーよ!」

 しっかりと番組をチェックをしていた包夫人の言葉に、ようやく文維と小敏も席に着いた。

《今日のゲストは、包伯言教授です。大学では歴史学科の次期主任と決まった、今、話題の歴史学者です》

 CM明けに、少し大げさに思えるほどにこやかに女性司会者が紹介すると、後ろのカーテンが開き、落ち着いた様子の包伯言教授が姿を見せた。

「わ~。おとうさま、テレビだと、いつもよりお若く見えますね」

 煜瑾が感心したように言うと、恭安楽も浮かれた調子で答えた。

「そうね。やっぱり教養番組と違って、メイクとかされたみたい」
「もともと叔父さまは若々しくて、イケメンだよ」

 横から、取り皿に白身魚を取りながら、小敏が言うと、包夫人は自信満々に言い返した。

「もちろんよ。若い頃の伯言は、今の文維よりもイケメンだったんだから!」

 そんなお母さまの意外な言葉に、煜瑾はますます目を輝かせていた。

「私、ずっと文維はおかあさま似の顔立ちだと思っていました。でも、こうして見ると、やはりおとうさまにも似ているのですね」
「だよね、だいたいの人は文維を叔母さまに似てるって思うけど、しっかり叔父さまのイケメンな部分を引き継いでるし。まさに良いとこ取りだね」

 小敏にまでからかわれ、文維は苦笑いをするしかなかった。

《包教授は、もちろん同僚の信頼があっての、今回の主任就任ですが、学生からの人気も高いそうですね》
《ありがとう。授業は、同僚たちに評価されるためではなく、学生たちに正しい理解をしてもらうものだと思っています》

 ゆったりとした態度で、分かりやすい口調で話す包伯言だが、その高い知性や人格の高さは充分に通じる。人間としての魅力に、誰もが好感を持つ、包教授の語り口だった。

《そんな、大学での教授の人気を支えるものが、実は奥様だとか。有名な愛妻家であると伺っています》

「やだ~。愛妻家ですって!」

 自分のことを取り上げられると、包夫人は歓声を上げた。その様子を3人の息子たちは微笑ましく思い、穏やかな笑顔を浮かべた。

 その時だった。



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