上海夜曲01

======
###(10)###

「…和…卑酒、両瓶(…それと、ビールを2本)」
「昼間からビールですか」

 中国語が出来ないはずの日本人の加瀬志津真が中国語で注文し、中国人の郎威軍が完璧な日本語でそれを諫めた。

「せっかくの特別休暇や。楽しまな損やで」
 ニヤリと笑う加瀬志津真は、大人の男としてのセクシーさと、無邪気な少年っぽさが相まって、老若男女問わずに魅了する。そんなチャーミングな恋人に心をざわつかせながら、それを微塵も表情に出さず、郎威軍は視線を逸らせた。

「ここのローストダック、好きやねん。ビールも合うし」
 その横顔を追いかけるように、志津真はテーブルに肘をついて郎威軍の美貌をのぞき込む。

「お前も、やろ?」
 問いかける表情が魅惑的で、威軍の心も掻き乱される。

「午後から、クライアントのアテンドがあったはずですよ」
 結局、強引に上司から休暇を取らされた主任は、気持ちを誤魔化すように、不満そうに睨みつけた。

 その険しい表情ですら、整いすぎていて志津真は魅せられる。じっと真剣な眼差しで郎威軍を見つめ返すと、意味ありげに小さく囁く。

「『あの』クライアントやけどな」

 それだけで、郎威軍には意味が通じた。





 結局、加瀬部長は、クライアントの立場を利用した理不尽な申し出から恋人を守るために、自らも休暇を取って、2人して逃げ出したのだ。

 だが、加瀬志津真にとっては、これはロマンティックな意味合いの、恋の逃避行であり、デートでもあった。せっかくの機会だ。楽しまなければ損をする。

「…それ、は…」
 自分を守るためだと知っているからこそ、これ以上恋人を責められない。

 愛されているから、彼は守ってくれているのだ。無表情だった郎威軍の顔に、ほんの少し、喜びの明るさが差した。恋人以外には気付かせない僅かな変化が、健気で可愛いと思う。

「あんなアホなクライアントは、馬マー主任のチームに任せとけ。ハニートラップにでも引っかかって、会社の情報流してクビになったらええねん」
 デート気分が嬉しくて、いかにも楽し気に軽口をたたく。

「そうならないように、うちの会社がアテンドするものだと思いましたが」
 動揺するまいと感情を抑えるが、郎威軍も自然に頬が緩んでしまう

「美青年に振られたんやから、美女でも当てがってやったらええやんけ」


 何もかもを冗談にしてしまおうとしている志津真を、ふざけていると苛立ちを感じながらも、傷ついた自分の気持ちを和らげようとしているのだ、と郎威軍は恋人の優しさを悟った。

3/5ページ
スキ