上海夜曲01

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「珍しいよね、部長と主任の2人が休みだなんて」

 急ぎの仕事が無い、現地採用の契約社員である百瀬が、10時のお茶会にと{南京西路|ナンジン・ウェストロード}で売っている有名な{鳳梨酥|パイナップルケーキ}を出しながら、チームのメンバーたちに声を掛けた。

 このパイナップルケーキは、本店は台湾にある有名スイーツの店のもので、その素材にこだわった品質と、甘すぎないパイナップル餡の自然な味わいで知られていた。

 台湾発信ではあったが、今や上海や東京にも支店がある。

 庶民的なスイーツもたくさんある上海にあって、それはかなり高価なお菓子ではあったが、オシャレな上海のホワイトカラーには特に人気だった。

 それを知る、上海に営業所を持つ日系企業のクライアントから、先日まとまった契約のお礼にと、郎主任が率いる百瀬たちのチームへ、昨日差し入れされたものだった。

〈今日の午後のクライアントのアテンド、第4班の{馬|マー}主任に譲ったらしいよ〉

 日本のアニメっぽい絵が描かれたマグカップに、ミルクたっぷりのコーヒーを入れた石一海くんが答えた。

 中国語を解さない加瀬部長が居ない時は、スタッフたちも自然と中国語を使いがちだ。

〈ああ、あの差し入れの無い会社?〉

 主任が休んだ分、1つ余った鳳梨酥を手にして、皮肉たっぷりに百瀬が言った。

「東京から来る、あの会社の副社長?なんかイヤな感じじゃない?」

 百瀬同様の契約社員ではあるが、日本語だけでなく英語も堪能な才女で、しかもかなり垢ぬけた美人の{白|パイ}{志蘭|チーラン}が、自分の分の鳳梨酥までも百瀬に渡してそう言った。彼女は強い意志を持っていて、この美しいボディラインをキープする{術|すべ}をよく心得ていた。

「分かる、分かる!」

 手元に、高級なパイナップルケーキが3個も入って、ホクホクした表情で百瀬が相槌を打つ。

「なんか、こう偉そうで、人を下に見てるし、しかも、なんか下卑た笑い方するんだよね」

 その副社長は、特に中国人を軽視しているらしく、最初は日本語の上手な中国人だと思われていた百瀬は、何度か不快な態度に接している。

 しかも、その後、現地採用とは言え日本人だと分かった途端に、態度を変えてきたのが気に入らない。

〈アテンドって言っても、自社のオフィスに行って、契約相手との夕食会のセッティングしろ、ってだけでしょ?馬主任のチームに譲って、悔しいクライアントじゃないよ〉

 上海訛の中国語で冷静に分析して、若いというよりも、幼いところがある石一海は、百瀬の手の中の鳳梨酥を羨ましそうにチラリと見た。

〈差し入れも無いし〉

 石一海の視線に気づき、百瀬の手の中の1つを取り上げ、チームのリーダー的な立場の{余安徳|アンディ・ユー}先輩が、からかうように会話に入ってきた。アメリカ国籍で、台湾系クオーターのイケメンだ。

 そのアンディから鳳梨酥を貰って、嬉しそうな石一海と、取り上げられて不服そうな百瀬を見比べながら、美人の志蘭は呆れたように言った。

〈でも、仕事は仕事でしょう?取られたようで残念じゃない?〉

 意識の高い志蘭は、敗北感を感じているようだ。

〈それにしても、郎主任が今日になって急に休むだなんて、彼らしくないよな〉

 アンディは、チラリと主任のデスクの方を見ながらそう言った。

〈風邪でも引いたのかな〉

 人の良い石一海は、素直に心配している。

「主任も、あのクライアントがキライだった、とか」
 だが百瀬は、あの合理主義の「アンドロイド」に好き嫌いの感情があるとは想像も出来ないと言いたげだった。

「まさか~!」

 全員が同じ思いだったのか、声を揃えてそう言って大笑いした。

 どこまでも厳格な郎主任がいなければ、楽し気で、のどかな{桜花企画活動公司|サクライベントオフィス}だった。

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