おかあさまといっしょ

「煜瑾さま!」

 胡娘は、泣いている煜瑾とそれをしっかりと抱き締める恭安楽を庇うようにして、鬼気迫る表情の少年から距離を取るようにドアへと向かう。
 そんな3人を追うように、少年がゆっくりと近づいてくる。

「煜瑾!俺だよ!忘れるはず、ないだろう?」

 思い詰めたような少年の真剣な声に、煜瑾は恐れをなしてビクリとする。

「煜瑾は、知らないの~。知らない人なのでしゅ~。あ~ん、あ~ん」

 急に煜瑾は火が点いたように激しく泣き出し、ギュッとお母さまに抱き付いた。

「煜瑾…」

 その呟きに、少年の失望が感じられ、恭安楽は不思議そうに柳眉を寄せた。

「煜瑾さま!包夫人!」

 その時、廊下から威勢の良い声が聞こえ、次の瞬間には勢いよくドアが開いた。

「侵入者よ!」

 煜瑾をしっかりと抱き止める恭安楽が叫ぶと、先頭に居たのはイタリアン担当の呉シェフで、その手には大きな肉切り包丁を構えていた。
 その後ろに控え、刃渡りの大きな自慢の中華包丁を握って一同を率いていた楊シェフが、目敏く煜瑾と恭安楽を見つけ、さっと自分の後ろに庇った。
 そこに居並ぶのは厨房スタッフ一同で、特に下働きではなく、それぞれ担当を持つ上位のシェフばかりなのが目立つ。

「誰や、お前!ココがどこか分かっとんのか、ええ!」

 フランス留学の経験もあるフレンチ担当の張シェフは、普段は優しく上品だが、今は怒りのためか、出身地であるコテコテの上海訛で凄みを利かせている。
 そんな張シェフの迫力に恐れをなしたのか、侵入者である少年は足を止め、未練を残した視線を煜瑾に送った。
 すっかり怯えた煜瑾は少年のほうなど見るわけもなく、楊シェフに守られながらリビングを出て行く。

「煜瑾さまを守れ!」「侵入者を捕えろ!」「不審者だ、やっちまえ!」

 手にはそれぞれの調理道具を持ち、口々に荒々しく叫ぶシェフたちに、少年は恐れをなしたのか、小さな煜瑾に心を残しながら、入って来たサンルームのフランス窓から飛び出した。

「半数は追え!残りは煜瑾さまをお守りするんだ」

 常日頃から、楊シェフの命令にはそれがどんな内容であれ、厨房スタッフは絶対服従だ。10数名のスタッフは、すぐに肉切り包丁を持った呉シェフを先頭に少年を追う者たちと、蕎麦打ち用の長い麺棒を持った和食担当の陳シェフを中心とした居残り組に分かれた。

「奥様、2階の煜瑾さまのお部屋へ」

 楊シェフの勧めで、恭安楽は煜瑾を抱いたまま、胡娘に支えられ、陳シェフたちに守られながら、2階にある安全な煜瑾の寝室へと向かった。



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