おかあさまといっしょ
厨房から居心地の良いリビングに戻った小さい煜瑾とお母さまは、それぞれ好きなことを始めた。
煜瑾は、ねえやに用意してもらった色鉛筆とクレヨンを手に、リビングに続く明るいサンルームでお絵描きを、お母さまは花柄の可愛らしいお裁縫箱を取り出した。
そんなお母さまを見つめ、煜瑾は嬉しそうにニッコリする。それを受け止め、お母さまも優しい笑みを浮かべていた。
リビングで煜瑾のハンカチの刺繍を始めた恭安楽は、とても幸せそうだった。
上海一の神童と呼ばれた息子を育てるのも、楽しかった。誰もが愛息の才能を褒め称え、母である恭安楽までもがもてはやされた。その上、初めての子育てだというのに、ほとんど手の掛からない子であることが、結婚を反対した実家から見放され、子育ての手助けを期待できない恭安楽には救いだった。夫である包伯言の積極的なアシスタントにも、随分と助けられた。
その後すぐに、生まれたと同時に母を喪った、甥の羽小敏の世話を時折頼まれるようになったが、文維とは1つ違いとは言え、さほど子育てに苦労を感じることも無く、すぐに引き取って育てることにした。
2人は兄弟のように育ち、大人しく聡明な自慢の息子と、無邪気で愛想のよい可愛らしい甥との暮らしは、恭安楽にとってバタバタと慌ただしいものではあったが、楽しい思い出だった。
だが、幼い煜瑾との触れ合いはそれらとは全く違う楽しさがある。
文維は知性が高すぎるゆえなのか、幼くとも達観したところがあり、母親に甘えるということをしなかった。
小敏は小敏で、無邪気に甘える一面、どこか警戒心が強く、心の奥底を誰にも見せない。自分を素直に見せることだけは知っていて、それでも本当に素直な自分をさらけ出すというようなことをしない子だった。
どちらも物分かりが良く、いい子というよりはすでに優等生で、手が掛からない分、甘えたり、感情をすぐに顔に出したり、そんな子供らしい一面に欠けていたように、今さらながら恭安楽は思う。
けれど、煜瑾は違う。
素直で、清純で、屈託がない子どもらしい煜瑾と一緒にいると、本当に幼子の愛らしさというものを痛感する。
可愛らしさを心から楽しむ余裕が恭安楽にもある、ということかもしれない。
「さあ、お待たせしました。煜瑾さま、オヤツですよ」
そこへ、胡娘が桃をたっぷりと使ったジェラートというよりは、もはやパフェのようなデザートを運んで来た。すでに周囲には甘い香りが漂っている。
ご機嫌な煜瑾はお気に入りのサンルームの床に直接座り込んで、大人しく絵を描いていた。それを覗き込むようにして、胡娘は声を上げた。
「まあ!煜瑾さまは、本当に絵がお上手ですね。これは、そこに飾ってある胡蝶蘭でしょう?」
「これは、おかあしゃまの大しゅきなお花なのでしゅよ?」
煜瑾はお母さまの大好きなお花を覚えている自分を自慢するように、胸を張って答えた。
「そうですよ。よく覚えていてくれたのね。お母さまも、とっても嬉しいわ」
大好きなお母さまにも褒められて、煜瑾は恥ずかしそうにする。それがまた、あどけなく、愛らしくて恭安楽も胡娘も破顔する。
「こんなにお上手なら、奥様の絵も描いて差し上げればよろしいのに?」
胡娘がそう言うと、煜瑾は明るくキラキラした表情を、一瞬のうちに曇らせた。
「…それは…。ダメなのでしゅ…」
煜瑾は困り切った様子で、画用紙とお母さまと胡娘の顔を見くらべている。
「どうしてですか?」
不思議に思った胡娘が煜瑾の手を取り、立ち上がらせると、煜瑾はひどくはにかんで俯いてしまった。
「おかあしゃまは、お花よりも、もっと、ずっとおキレイだから、煜瑾には描けないの」
「まあ、煜瑾ちゃんったら」
恭安楽と胡娘は顔を見合わせてクスクスと笑った。
煜瑾は、ねえやに用意してもらった色鉛筆とクレヨンを手に、リビングに続く明るいサンルームでお絵描きを、お母さまは花柄の可愛らしいお裁縫箱を取り出した。
そんなお母さまを見つめ、煜瑾は嬉しそうにニッコリする。それを受け止め、お母さまも優しい笑みを浮かべていた。
リビングで煜瑾のハンカチの刺繍を始めた恭安楽は、とても幸せそうだった。
上海一の神童と呼ばれた息子を育てるのも、楽しかった。誰もが愛息の才能を褒め称え、母である恭安楽までもがもてはやされた。その上、初めての子育てだというのに、ほとんど手の掛からない子であることが、結婚を反対した実家から見放され、子育ての手助けを期待できない恭安楽には救いだった。夫である包伯言の積極的なアシスタントにも、随分と助けられた。
その後すぐに、生まれたと同時に母を喪った、甥の羽小敏の世話を時折頼まれるようになったが、文維とは1つ違いとは言え、さほど子育てに苦労を感じることも無く、すぐに引き取って育てることにした。
2人は兄弟のように育ち、大人しく聡明な自慢の息子と、無邪気で愛想のよい可愛らしい甥との暮らしは、恭安楽にとってバタバタと慌ただしいものではあったが、楽しい思い出だった。
だが、幼い煜瑾との触れ合いはそれらとは全く違う楽しさがある。
文維は知性が高すぎるゆえなのか、幼くとも達観したところがあり、母親に甘えるということをしなかった。
小敏は小敏で、無邪気に甘える一面、どこか警戒心が強く、心の奥底を誰にも見せない。自分を素直に見せることだけは知っていて、それでも本当に素直な自分をさらけ出すというようなことをしない子だった。
どちらも物分かりが良く、いい子というよりはすでに優等生で、手が掛からない分、甘えたり、感情をすぐに顔に出したり、そんな子供らしい一面に欠けていたように、今さらながら恭安楽は思う。
けれど、煜瑾は違う。
素直で、清純で、屈託がない子どもらしい煜瑾と一緒にいると、本当に幼子の愛らしさというものを痛感する。
可愛らしさを心から楽しむ余裕が恭安楽にもある、ということかもしれない。
「さあ、お待たせしました。煜瑾さま、オヤツですよ」
そこへ、胡娘が桃をたっぷりと使ったジェラートというよりは、もはやパフェのようなデザートを運んで来た。すでに周囲には甘い香りが漂っている。
ご機嫌な煜瑾はお気に入りのサンルームの床に直接座り込んで、大人しく絵を描いていた。それを覗き込むようにして、胡娘は声を上げた。
「まあ!煜瑾さまは、本当に絵がお上手ですね。これは、そこに飾ってある胡蝶蘭でしょう?」
「これは、おかあしゃまの大しゅきなお花なのでしゅよ?」
煜瑾はお母さまの大好きなお花を覚えている自分を自慢するように、胸を張って答えた。
「そうですよ。よく覚えていてくれたのね。お母さまも、とっても嬉しいわ」
大好きなお母さまにも褒められて、煜瑾は恥ずかしそうにする。それがまた、あどけなく、愛らしくて恭安楽も胡娘も破顔する。
「こんなにお上手なら、奥様の絵も描いて差し上げればよろしいのに?」
胡娘がそう言うと、煜瑾は明るくキラキラした表情を、一瞬のうちに曇らせた。
「…それは…。ダメなのでしゅ…」
煜瑾は困り切った様子で、画用紙とお母さまと胡娘の顔を見くらべている。
「どうしてですか?」
不思議に思った胡娘が煜瑾の手を取り、立ち上がらせると、煜瑾はひどくはにかんで俯いてしまった。
「おかあしゃまは、お花よりも、もっと、ずっとおキレイだから、煜瑾には描けないの」
「まあ、煜瑾ちゃんったら」
恭安楽と胡娘は顔を見合わせてクスクスと笑った。