おかあさまといっしょ

「どうしたの、煜瑾ちゃん?」

 心配そうに見つめるお母さまに、煜瑾は黒く澄んだ瞳に、涙をいっぱい浮かべ、悲しそうに俯きながら答えた。

「煜瑾は…、楊シェフに『ごめんなしゃい』って言いましゅ…」
「煜瑾ちゃん?」

 お母さまに顔を上げた煜瑾は、こちらの胸まで痛むような悲しそうな顔をして、ポロポロと涙をこぼしていた。

「あのね、楊シェフは煜瑾にこんなに美味しいお食事をちゅくってくれたのに、煜瑾はオバケがコワくて食べられなかったの。楊シェフが、煜瑾がオバケになるようなお食事を作るはずないのに…」

 もう我慢が出来なくなったのか、煜瑾は恭安楽の胸に縋りつき、声を上げて泣き出した。

「あ~ん、あ~ん、ごめんなしゃい…。せっかく、…楊シェフが、せっかく美味しいミドリのおやしゃいを…、いっぱいちゅくってくれたのに…。煜瑾は…、たくさん残して、ごめんなしゃい…。あ~ん、あ~ん」
「まあ、煜瑾ちゃん!」

 恭安楽は、煜瑾の素直さと他人への労わりと感謝を忘れない美しい心に感激して、煜瑾と同じくその瞳を潤ませた。

「まあ、煜瑾ちゃん、なんてお利口さんなの。こんなにお利口な煜瑾ちゃんを、楊シェフが怒ったりするはずないわ。あとで、お母さまといっしょに、楊シェフに『ごめんなさい』と『ありがとう』を言いに行きましょうね」
「あ~ん、おかあしゃま~」

 煜瑾もまた、自分の気持ちをすぐに理解してくれるお母さまが嬉しくて、頼もしくて、ますます好きになってしまう。

「おかあしゃま~」
「なんですか、煜瑾ちゃん?」
「あのね、ずっと、ずっと煜瑾といっしょにいてくだしゃいね」

 切実な目をして言う、真剣な煜瑾に、恭安楽もまた嬉しくなって、その幼子をギュッと抱き締めた。

「もちろんよ。煜瑾ちゃんとお母さまは、いつまでも、ずっと一緒ですよ」

 その言葉に安心したのか、煜瑾は涙で濡れた頬を、ようやく緩めた。

***

 煜瑾のご機嫌が直ったところで、煜瓔お兄さまの出勤時間になった。

 いつものように、煜瑾は大好きな煜瓔お兄さまに抱っこされて玄関まで向かう。

「煜瓔お兄しゃま、お仕事行ってらっしゃい」

 子供らしい可愛い声で煜瑾はそう言って、チュっと煜瓔お兄さまの頬に口付けた。お兄さまのお肌も、煜瑾にソックリでツルツル、スベスベしていて、柔らかくて気持ちが良い。

「煜瑾は、お母さまの言うことをよく聞いて、好きな遊びをたくさんするのが今日のお仕事だよ」

 大好きな煜瓔お兄さまの言葉に、無垢な心の煜瑾は、真剣な表情で大きく頷く。

「はい!煜瑾は、お母しゃまの言うことをよく聞いて、いっぱい楽しく遊びましゅ!」

 無邪気な煜瑾の返事に、唐煜瓔や恭安楽だけでなく、見送りに出てきた胡娘や、唐煜瓔の秘書である宣格までが穏やかな笑顔を浮かべた。

 その時、煜瑾は幼いながらにふと違和感を覚えた。

(どうして煜瓔お兄しゃまは、王運転手の車でお出掛けにならないの?)

 煜瑾の疑問の通り、いつもであれば王運転手が唐煜瓔の送迎を担当するのだが、なぜか今日は宣秘書が車のハンドルを握っていた。

 それでも、たまにはそんなこともあるのだろう、と子供なりに納得して、煜瑾は抱かれていた煜瓔お兄さまから下ろされ、自分の足で玄関ポーチに立つと、すぐにお母さまと手を繋いだ。

「煜瓔さん、行ってらっしゃい!お気を付けになって」
「お兄しゃま、行ってらっしゃい!」
「旦那様、行ってらっしゃいませ」

 それらの見送りの声を受け、鷹揚に頷いた唐煜瓔は車に乗り込んだ。そして、ふと思い出して煜瑾を振り返る。

「お土産を買って来るから、イイ子にしているんだよ」
「は~い!わあ~、お母しゃま!お土産でしゅよ~」

 煜瑾は嬉しそうにお母さまに報告すると、お母さまも楽しそうに笑って頷いて下さったのでした。






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