ふたたび、文維くんのこいびと

「:唐(とう)家のシェフが、今年は郷里へ帰っていて、フレンチやイタリアンの作り置きはあるらしいのですが、伝統的な春節の:年夜飯(年越し料理)は、唐家では用意が出来ないそうなのです」
「それで、私の料理を、:唐煜瓔(とう・いくえい)さんが召し上がりたい、と?」

「兄ももちろんなのですが…。なんでも私に会わせたい方がいて、その方がイギリスの本家から来られたようなのです。それで中国らしい、伝統的な春節を楽しみたいとおっしゃっているとかで…」

 唐家と言えば、この上海有数の大富豪だ。その気になれば、上海中の中華レストランから極上の料理を取り寄せることもできるだろう。それなのに、料理人でもない包教授の、伝統的な手料理を所望とは、なかなか無いことだ。日頃、寡黙で謙虚な包教授も、少しはプライドをくすぐられた。

「今から下手なレストランに注文するくらいなら、もちろんお父さまのお料理の方が断然に美味しいわよ」

 愛妻の最上の誉め言葉に、包教授の目尻もますます下がる。

「おとうさまにはご迷惑をおかけすることになるのですが、明日の新年の食事は、唐家で振る舞っていただけますか?」
「ああ、構わないとも。唐家のご当主が召し上がったとなれば、私の料理の評判も上がるというものだ」

 包教授はニコニコしながらリビングのソファから立ち上がった。

「そうと決まれば、昼食を食べて、餃子づくりを始めようか」

 餃子づくりと聞いて、グータラしていた小敏の目が輝いた。

「ボク、餃子作り大好き!煜瑾は?したことある?」
「私も、一度だけしたことがあります。でも、上手に出来なくて…おとうさまに、ちゃんと教えていただきたいです!」

 煜瑾も、初めての家族での共同作業に期待を隠せない。

「叔父さま~、お昼は何?」

 気忙しく小敏がメニューを確認する。

「お前の好きな、北京風の:炸酱麺(ジャージャンめん)だよ」

 その一言で、小敏は子供のように無邪気な笑顔で飛び起きた。

「やった!お手伝いするね、叔父さま」
「結局、あなただって小敏には甘いんだから」

 恭安楽が夫をからかうように言って笑うと、文維と煜瑾も顔を見合わせて笑顔を交わした。

「煜瑾もおいで。簡単な料理だから、教えてあげよう」
「はい!ありがとうございます、おとうさま」

 初めての経験が多く、何でも勉強しておきたい好奇心旺盛な煜瑾は、嬉々として包伯言と小敏を追ってキッチンへ急いだ。
 それを見送った文維は、ホッとしたように息を:吐(つ)き、煜瑾が:淹(い)れてくれたジャスミンティーを改めて味わう。

「本当に、煜瑾ちゃんはいい子ね。唐家では家事なんてしたことも無かったでしょうに…」

 しみじみとそう言った母の顔を、文維は見た。すると意外にも真剣な母の視線と合った。

「あなたの選んだ人が、唐煜瑾で良かった」

 そう言って母は、珍しく真面目に息子と向き合った。

「私も、お父さまも、あなたには幸せになって欲しいと、心から願っているの。でもそれも、もう安心ね。あなたには、煜瑾ちゃんが傍に居てくれる。あなたのために、これまでの生活を捨てて、新しい生活のために努力を惜しまない、素晴らしいパートナーですよ」

 母の言葉に、文維は穏やかに微笑み、大きく頷いた。

「分かっています。煜瑾は、私にもたらされた天使だと思っています。何よりも煜瑾を大切にして生きていきます」
「分かっているなら、いいの」

 安心したように笑った母に、文維は少し意地悪な質問をした。

「それは、お母さまの結婚と重なるからですか?」
「え?」

 息子の思わぬ反撃に、一瞬戸惑った様子の恭安楽だったが、すぐに文維の意図を察して笑い飛ばした。

「お父さまとあなたとでは、人間としての出来が違うわよ」
「はいはい、分かりました」

 年齢も、身分も、何もかも不釣り合いだと言われた包伯言と恭安楽だった。
 名家のお嬢様として何不自由なく暮らしていた恭安楽だったが、運命の恋のために、何もかもを捨てて、貧乏教員であった包伯言の元へと走ったのだ。反対され、実際の生活も厳しく、おそらくはお嬢様育ちの恭安楽にとっては言い知れない苦労があっただろう。それでも、愛するがゆえに自分の選んだ人を信じて今日まで来たのだ。
 そんな強い母を文維もまた尊敬している。

「お父さまとお母さまの息子として生まれてきたことを、天に感謝します」







47/51ページ
スキ