ふたたび、文維くんのこいびと

「文維、…おにいちゃま!」

 目の前にいた大好きな文維に、煜瑾は満面の笑顔で抱き付いた。

「煜瑾、:煜瓔(いくえい)お兄さまも、ご心配されていますよ。お顔をお見せしてあげて下さい」
「?」

 キョトンとしたあどけない表情で煜瑾は振り返り、そこに唐煜瓔の姿を見つけ、思いがけない喜びだという顔をした。

「煜瓔お兄ちゃま!」
「煜瑾!」

 キラキラと輝くような煜瑾の笑顔に、唐煜瓔もホッとした様子で笑いかけた。

「文維おにいちゃま!」

 だが煜瑾はすぐに文維の方へ向き直り、甘えるように彼の胸に頬ずりをする。それを、唐煜瓔は寂しく思う。

「あのね、煜瑾はイチゴのアイしゅが食べたいでしゅ」
「じゃあ、茅執事に聞いてみましょうか」

 文維がそう言って寝室のドアの方を見やると、煜瑾もつられたように視線を動かした。
 するとそこにいた茅執事が、笑顔で煜瑾の黒瞳を受け止める。それを見た煜瑾もまた、愛らしく笑いかけるのだ。

「茅執事~、煜瑾にイチゴのアイしゅをあげてくだしゃいね」
「承知いたしました。すぐにご用意いたします」

 この上なく愛らしくお願いされて、茅執事も嬉しそうに厨房へと急いだ。

「文維おにいちゃま~」
「なんですか?」
「あのね、煜瑾は、文維おにいちゃまが大しゅきなのでしゅ」

 さも大事な秘密を打ち明けるように言う煜瑾が可愛らしくて、文維は柔和に微笑んだ。

「ありがとう。私も、誰よりも唐煜瑾が一番大好きですよ」
「うふふ」

 その時、文維に抱かれた煜瑾がハッとした様子で顔を上げ、周囲を見回した。

「おかあしゃま!文維おにいちゃま、おかあしゃまはどちらにいらっしゃるのでしゅか?煜瑾は、おかあしゃまが大しゅきなのでしゅ」

 急に不安そうな顔になり、煜瑾は落ち着かない。そんな煜瑾を安心させてやりたい文維ではあるが、先ほど見知らぬ他人を見る目で睨まれ、犯罪者のように扱われて拒絶された経験をした文維は、母・恭安楽のことを煜瑾にどのように説明すればよいのか分からない。

「ねえ、文維おにいちゃま~、おかあしゃまは~?煜瑾のおかあしゃまはどちらなのでしゅか~」

 気が付くと、煜瑾は大きな黒い瞳いっぱいに涙を浮かべている。

「煜瑾…、お母さまは…」

 文維がようやく口を開いたのと、寝室のドアが開いたのはほとんど同時だった。

「煜瑾ちゃん!ようやくお目めが開きましたか?」
「おかあしゃま!」

 今にも泣きそうだった煜瑾の表情がクルリと一変した。誰もを魅了する愛くるしい天使の笑顔だ。

「まあ、文維おにいさまに抱っこしていただいてご機嫌なのね」
「おかあしゃま~、おかあしゃま~、煜瑾はおかあしゃまのお菓子を召し上がりたいのでしゅ~」

 煜瑾が少し恥ずかしそうに恭安楽に甘えると、いつもと変わらぬ若いお嬢さんのような溌溂とした笑顔で恭安楽が応える。

「あちらに、煜瑾ちゃんの大好きなイチゴクリームを挟んだワッフルサンドが用意出来ていますよ」
「イチゴのワッフル~?」

 煜瑾は大きな眼をさらに大きく見開いて、期待たっぷりに恭安楽を見上げる。

「そうですよ。さあ、文維、何をボンヤリしているの?煜瑾ちゃんを抱っこして、あちらのお部屋まで連れてあげなさい」
「お母さま…」

 文維は、茫然として母を見つめていた。
 あの冷ややかな、侮蔑的な視線を投げかけられた文維は、敬愛する母がいつもと同じ、穏やかで慈しみ深く、そして茶目っ気たっぷりな「恭安楽」に戻ってくれたことが何よりも嬉しかった。

「お母さま!」

 感極まったように文維が言うと、恭安楽は軽く眉を寄せる。

「やあね、大げさな子。どうせあなたは、私の作ったワッフルなんて食べないのでしょう?」
「煜瑾が!煜瑾が、文維おにちゃまの分まで食べてあげましゅ」
「まあ、煜瑾ちゃんは、お母さまの気持ちを分かってくれるのね。なんてイイ子かしら」

 恭安楽はそう言いながら煜瑾の子供らしくふっくらした、白く滑らかな頬に指を伸ばし、それから柔らかな髪を撫でた。されるがままの煜瑾だが、満足そうに目を細めている。

「さあ、あちらのお部屋で、みんなで美味しものをいただきましょう」

 優しい声の母に促され、文維は煜瑾を抱いて立ち上がった。







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