ふたたび、文維くんのこいびと
「煜瑾!煜瑾!」
唐家には、一流と呼ばれる医者から、占い師、道士、僧侶など次々と呼ばれたが、どれほど手を尽くしても、煜瑾が目覚めることは無かった。
この残酷な状況に、唐煜瓔はそう遠くない苦い過去を思い出した。
最愛の弟が、信頼するカウンセラーに利用され、裏切られたと知り、激しく傷付いた時、こんな風に寝付いてしまい、病み衰え、まるで幽霊のような姿になってしまったことがあった。あれほど弱り、惨めな姿の弟を見たことも、それに対して何も出来ない自分の無力さを痛感したことも、唐煜瓔には初めてのことだった。
もう一度、あの苦しみを味わうことになろうとは、唐煜瓔も思いもよらなかった。
唐煜瓔は、大切な弟のベッドに寄り添い、その小さな手を取り、なんとか呼び戻そうと繰り返し声を掛けた。
「煜瑾…お願いだから、目覚めておくれ。このお兄さまのために…」
どれほどその名を呼ぼうとも、その愛らしい瞼はピクリとも動かず、スヤスヤと穏やかな寝息のまま幼い姿の煜瑾は眠っていた。
そんな様子に、この愛らしく、賢く、穢れない天使のような子が2度とその美しく澄んだ黒瞳で自分を見返してくれないのではないかと、胸が締め付けられる思いの唐煜瓔だった。
じっとしていられず、唐煜瓔は、煜瑾に言葉を掛け続ける。
「お前が生れた時、私は本当に我が家に天使がやって来たのだと思った。小さくて、白くて、柔らかくて…とても美しかった」
当時を思い出し、唐煜瓔の怜悧な美貌も、ふっと緩んだ。
「お前は生まれてすぐから、もう私のことがお気に入りだったのだよ。これよりも小さな手で、私の指を握って放さないんだ。それに、どんなに泣いている時でも私が来ると、すぐに泣き止んで、ニコニコと可愛い笑顔になってくれた。お母さまがいつもおっしゃっていたよ、煜瓔はどんなベビーシッターよりも役に立つ、とね」
両親に囲まれ、小さな天使を見守っていた幸せな時間を煜瓔は思い出していた。あの頃はまだ、何の憂いも無く、煜瓔自身、留学を控えて未来への夢や希望に溢れていた。この天使こそが、唐家に幸せをもたらし、みんなを幸せにするのだと信じられた。
「お父さまとお母さまが突然亡くなられて、私には煜瑾しか遺されなかった。お前は、私の何よりも大切な唯一の『家族』なのだ」
唐煜瑾は、慈愛に満ち、煜瑾とよく似た黒く深い瞳で小さな天使を見つめ、長く清潔な指先で煜瑾の額に掛かる髪をかき上げた。
「お前は、私にとって、本当の宝物なのだ。両親に代わって、お前を大切に育てる事こそが私の生きがいだった…。それなのに…」
ここで唐煜瓔は、悲しそうに眉を寄せた。
「お前は知らない間に大人になり、私の手元から巣立ってしまったのだね…」
そう言って、唐煜瓔は穏やかに眠り続ける弟の髪や頬に優しく触れた。
だが、次の瞬間、彼の上品な顔立ちが歪んだ。
「お前がいなければ、私はたった1人になってしまう…。私は、お前だけは失いたくないのだ…」
上海でその名を知られた名家である唐家の当主として、常に威厳を持ち、泰然として若年ながらも尊敬を集める唐煜瓔が、人知れず泣いた。
「煜瑾…、私を1人にしないでおくれ…」
幼くして両親を喪い、純粋無垢のままの、稚く、美しい弟を、慈しみ、守り、ひたすら大切に育てることだけが唐煜瓔にとっての生きる意味だった。その大事な「宝物」を他の人間に奪われてしまったのだ。煜瓔の絶望は誰にも理解されない、深い苦しみだった。
「1人では…いたくない…」
唐煜瓔は、煜瑾の小さな手を自分の両手で包み、そこに祈るように額づくとそのまま静かに涙をこぼした。
唐家には、一流と呼ばれる医者から、占い師、道士、僧侶など次々と呼ばれたが、どれほど手を尽くしても、煜瑾が目覚めることは無かった。
この残酷な状況に、唐煜瓔はそう遠くない苦い過去を思い出した。
最愛の弟が、信頼するカウンセラーに利用され、裏切られたと知り、激しく傷付いた時、こんな風に寝付いてしまい、病み衰え、まるで幽霊のような姿になってしまったことがあった。あれほど弱り、惨めな姿の弟を見たことも、それに対して何も出来ない自分の無力さを痛感したことも、唐煜瓔には初めてのことだった。
もう一度、あの苦しみを味わうことになろうとは、唐煜瓔も思いもよらなかった。
唐煜瓔は、大切な弟のベッドに寄り添い、その小さな手を取り、なんとか呼び戻そうと繰り返し声を掛けた。
「煜瑾…お願いだから、目覚めておくれ。このお兄さまのために…」
どれほどその名を呼ぼうとも、その愛らしい瞼はピクリとも動かず、スヤスヤと穏やかな寝息のまま幼い姿の煜瑾は眠っていた。
そんな様子に、この愛らしく、賢く、穢れない天使のような子が2度とその美しく澄んだ黒瞳で自分を見返してくれないのではないかと、胸が締め付けられる思いの唐煜瓔だった。
じっとしていられず、唐煜瓔は、煜瑾に言葉を掛け続ける。
「お前が生れた時、私は本当に我が家に天使がやって来たのだと思った。小さくて、白くて、柔らかくて…とても美しかった」
当時を思い出し、唐煜瓔の怜悧な美貌も、ふっと緩んだ。
「お前は生まれてすぐから、もう私のことがお気に入りだったのだよ。これよりも小さな手で、私の指を握って放さないんだ。それに、どんなに泣いている時でも私が来ると、すぐに泣き止んで、ニコニコと可愛い笑顔になってくれた。お母さまがいつもおっしゃっていたよ、煜瓔はどんなベビーシッターよりも役に立つ、とね」
両親に囲まれ、小さな天使を見守っていた幸せな時間を煜瓔は思い出していた。あの頃はまだ、何の憂いも無く、煜瓔自身、留学を控えて未来への夢や希望に溢れていた。この天使こそが、唐家に幸せをもたらし、みんなを幸せにするのだと信じられた。
「お父さまとお母さまが突然亡くなられて、私には煜瑾しか遺されなかった。お前は、私の何よりも大切な唯一の『家族』なのだ」
唐煜瑾は、慈愛に満ち、煜瑾とよく似た黒く深い瞳で小さな天使を見つめ、長く清潔な指先で煜瑾の額に掛かる髪をかき上げた。
「お前は、私にとって、本当の宝物なのだ。両親に代わって、お前を大切に育てる事こそが私の生きがいだった…。それなのに…」
ここで唐煜瓔は、悲しそうに眉を寄せた。
「お前は知らない間に大人になり、私の手元から巣立ってしまったのだね…」
そう言って、唐煜瓔は穏やかに眠り続ける弟の髪や頬に優しく触れた。
だが、次の瞬間、彼の上品な顔立ちが歪んだ。
「お前がいなければ、私はたった1人になってしまう…。私は、お前だけは失いたくないのだ…」
上海でその名を知られた名家である唐家の当主として、常に威厳を持ち、泰然として若年ながらも尊敬を集める唐煜瓔が、人知れず泣いた。
「煜瑾…、私を1人にしないでおくれ…」
幼くして両親を喪い、純粋無垢のままの、稚く、美しい弟を、慈しみ、守り、ひたすら大切に育てることだけが唐煜瓔にとっての生きる意味だった。その大事な「宝物」を他の人間に奪われてしまったのだ。煜瓔の絶望は誰にも理解されない、深い苦しみだった。
「1人では…いたくない…」
唐煜瓔は、煜瑾の小さな手を自分の両手で包み、そこに祈るように額づくとそのまま静かに涙をこぼした。