ふたたび、文維くんのこいびと

 申軒撰は、お茶を飲むためにダイニングテーブルに座り、一度玄紀を床に下ろした。

「さあ、子供たちはコチラへいらっしゃい」

 恭安楽がウサギの形に切り抜いたビスケットサンドを、リビングのテーブルに運ぶと、煜瑾と小敏はもちろん、玄紀もオヤツに誘われてやってきた。

「うしゃぎしゃ~ん」
「そうですよ、玄紀。ウサギしゃんですよ。カワイイでしゅね~」
「ボク、2つ食べる~!」

 無邪気にはしゃぐ玄紀に、年上ぶる煜瑾、食欲旺盛な小敏、と、子供たちはどの子も個性的であどけなく、愛らしい。

「うしゃぎのびしゅけ~」
「玄紀、ビしゅケット、でしゅよ」
「おいし~、おいし~」

 それを慈愛深い眼差しで見守っていた恭安楽が、ハッとして顔を上げた。

「文維、お父さまのお料理を運ぶのを手伝って差し上げて」
「はい、分かりました、お母さま」

 子供たちに目を奪われていた文維だったが、母に言われてキッチンへ向かおうとした。その時に何気なく、文維が両親にプレゼントした最高級の龍井茶を味わっているはずの申軒撰を見た。

(あれ?)

 母のお気に入りの日本の有田焼の湯飲みを手にしたまま、申軒撰はボンヤリとしていた。まるで、どうして自分がここに居るのか理解できないという顔だ。

「申家のおじ様?」

 不思議に思った文維が声を掛けた。

「え!あ、ああ…包文維…。すると、ここは包教授の自宅なのか」

 茫然と呟く申軒撰に、文維も驚く。

(え?この夢に割り込んでいたのはこの人のはずでは…)

「ところで、包文維くん。あそこにいる子供たちは、誰だね?一番小さい子が、うちの玄紀の子供の頃にそっくりなんだが…」

 その一言に、文維は衝撃を受けた。今の今まで、小さな玄紀を溺愛している様子だった父親の言葉とは思えない。

「おじ様は、どうしてここに居るのか、お分かりではないのですか?」
「え?あ、ああ、そうなんだ。なんだかボンヤリした状態で、気が付いたらここに居た。まるで…夢を見ているみたいだ…」

 先ほどまでの申軒撰とは、完全に別人に文維には思えた。

(…別人?)

「除夕のようだが、私には仕事があって…」

 先ほどまでの子煩悩な父親よりも、仕事しか考えていないような今の申軒撰の方が、よほど文維の知る彼らしい。

(先ほどまでの申氏は別人で、いま目の前にいるのが本物…?)

 文維がようやく答えに近付こうとしていると思った瞬間、甲高い声に思考を妨害された。

「パパ~」

 いきなり玄紀が父に駆け寄り、ギュッと縋りついたのだ。

「パパ~、うしゃぎしゃん!うしゃぎさんよ~」
「玄紀…?」

 幼く、無邪気な小さな息子に、申氏は明らかに混乱していた。

「さあ、食事にしよう。文維、残りを運んでくれないか」

 包教授がご自慢の料理を持参しながら、息子に命じた。

「あ、はい」

 文維は慌ててキッチンに向かった。

「玄紀くんも、パパと一緒に食べますか?」

 そう言って包教授が料理を並べると、玄紀は鼻をヒクヒクさせ、目を輝かせて、申氏に抱き上げてもらおうとする。

「パパ~、抱っこ~。玄紀もまんま、しゅる~」
「え?あ、ああ…」

 戸惑いながらも、申氏は息子を抱き上げた。
 小さく、柔らかく、あどけない息子を、こんな風に抱き上げたのは、申軒撰は初めてだった。

「玄紀…」
「パパ~」

 子供らしい、高く、甘えるような声が、冷淡なビジネスマンである申軒撰の気持ちを揺さぶった。

「玄紀、パパしゅき~。まんま、あ~ん、しゅるの~」

 包教授が作った料理が、次々とダイニングテーブルに運ばれる。
 リビングのテーブルの上には、ビスケットサンドの他にも、恭安楽が作ったお菓子が溢れるほどに並べられた。
 有り余るほどの料理やお菓子、赤や金の鮮やかな飾り、暖かく、笑顔が絶えない団欒を楽しむ、理想的な中国の除夕だ。

「さあ、申さんも遠慮なく召し上がって下さい」

 こんな家庭的な除夕を体験したことが無い申軒撰は、夢のようだと思いながら箸を取った。







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