しばらくは困惑していた文維だったが、ハッと気づいた。

「玄紀は？玄紀は、まだ寝ているのですか」

　文維は、煜瑾を、小敏を、母を、父を、そして、自分の部屋のドアを見た。

「何を言っているの？玄紀くんがどうかして？」

　息子の言動に戸惑いながらも近付いて、恭安楽は文維の足元で愚図る小敏を抱き上げた。不満そうだった小敏も、自分も抱き上げられて安心したのか笑いながら煜瑾に手を伸ばした。今度は煜瑾の方が不満そうな顔をする。

「え？申玄紀はここに居ないのですか？」

　新たな展開に、文維はまたも状況を理解できずに頭を痛める。

「玄紀くんがウチに居るわけがないでしょう？煜瑾ちゃんの実家の唐家ならいざ知らず、どうしてウチに？」
「玄紀がいない？」
「文維おにいちゃまっ！」

　母の言葉に、余りに驚いた文維は、もう少しで抱いていた小さな煜瑾を取り落としそうになり、煜瑾が悲鳴を上げた。

「あ、ああ！ゴメンなさい、煜瑾。驚かせてしまいましたね」

　慌てて文維は煜瑾をしっかりと抱えなおした。そして、改めて母である恭安楽の顔を見直す。

「では、子供は煜瑾と小敏の2人だけなのですか？」
「ええ」

　そっと近づいた夫の包教授に小敏を渡すと、恭安楽は手を伸ばして煜瑾を受け取った。
　煜瑾も、小敏に取られそうになった母が恋しくなったのか、落されそうになった文維が不安なのか、急いで恭安楽に抱かれる。そして安心したように、ギュッと頬を寄せて子供らしい仕草をした。

「玄紀が…、いない…」
「それがどうかして？」

　文維は、何がなんだか分からなくなる。

　この世界は、基本的に煜瑾の夢で、そこへ煜瑾が愛する人、愛されていると確信を持てる人だけを招いているはずだ。
　そして、煜瑾は知らないと言っていたが、おそらくは煜瑾が、家族仲が良くない玄紀が賑やかな春節に1人でいるのが可哀想だと思って、この楽しい夢に招いたのではないかと、文維は思っていた。

　だが、玄紀は消えてしまった。そこに煜瑾の意思があるとは思えない。
　当初は、煜瑾の夢の世界を邪魔しているのは、玄紀かと思われたが、今回はここに居ないということで、それが違うと分かった。

　先ほどの世界で、文維は玄紀だと思っていた子供の前で、大人の玄紀と電話で話している。一体どちらの玄紀が本物で、なぜ今回は姿を消してしまったのか、文維には分からない。

　そして、もう1つ理解できないのが、小敏が子供に戻ってしまった理由だった。

「おじしゃま～ボク、お腹がしゅいたよ～」

　包教授に抱かれた小敏が大きな声で言った。

「ああ、支度は出来ている。みんなで一緒に食べよう」
「わ～い」

　はしゃぎながらダイニングテーブルに向かう父と小敏の後ろ姿を、文維は複雑な気持ちで見つめた。

「文維おにいちゃま…」

　大好きな文維の様子がおかしいことに気付いた煜瑾は、心配そうに文維を見詰めた。

「ああ、煜瑾…」

　煜瑾が手を伸ばし、恭安楽から文維の腕の中へ戻ろうとする。それを受け止め、癒しを求めるように小さな煜瑾を抱き締めた。

「おにいちゃま」
「なんですか？」
「煜瑾と一緒に、朝ごはん、食べてあげましゅか？」

　遠慮がちな煜瑾に、文維は破顔した。

「もちろんですよ。私は、煜瑾と朝ご飯が食べたかったのです」

　文維がそう言うと、煜瑾は心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。それがあまりにも高雅で純真で、文維は魅了され、幸せな気持ちになった。

「煜瑾、早く来ないと、小敏が全部食べてしまうよ！」
「は～い」
「まあ、大変。急ぎましょう」

　恭安楽にも言われ、煜瑾はくすぐったそうに肩を竦めて笑った。
　
　この穏やかさ、和やかさに、文維はこの夢が煜瑾のものだと信じられた。