ふたたび、文維くんのこいびと

 長身を活かした文維は、玄関に春節を祝う「春聯しゅんれん」と呼ばれる赤い紙を貼る作業を任された。
 玄関ドアの左右に「対聯ついれん」と呼ばれる、縁起の良い詩のようなものを書きつけた縦書きの紙を貼る。赤い紙に黒々とした墨でしたためたそれは、毎年父である包伯言ほう・はくげん教授による手書きの物だ。今では安価で手に入るため、わざわざ手書きをする家庭も減っているのだが、包家では見事な手書き文字で新年を迎えるのが恒例となっていた。
 ドアの上にはその「対聯」の句に合うような、横書きの「横批おうひ」と呼ばれる言葉が貼られる。
 これらを貼る作業を終え、改めて父の手書き文字を見た文維は、その文字の美しさに敬意を覚える。ただ美しく整った文字なのではなく、品性を感じるのだ。高い教養と高潔な人格、それらがあってこその、この文字だとよく分かる。
 決して字が下手な文維ではないが、これほどの文字を書けるようになるには、今の父の年齢になっても難しいだろうと思った。

(結局、お父さまにはかなわないな)

 苦笑しながら自宅へ入ると、リビングを中心に小敏が飾り付けを手伝っていた。
 窓には来年の干支である兎うさぎをモチーフにした赤い切り紙が貼られ、壁には母のお気に入りの年画が貼られている。何気なく貼られた、子供たちが遊ぶ吉祥柄の年画ではあるが、実はこれは清代から続く恭家の家宝の1つで、今では値段がつけられないほど高価なものだという。そんな貴重な名画でさえ、母・恭安楽は頓着しない。ただ、子供の頃から見慣れた、お気に入りの年画だというだけで、紙が劣化しようが、汚れようがお構いないしで毎年飾っている。実際、この程度の家宝であれば、恭家の実家にはまだまだ溢れるほどあるのだ。

(お母さまの大らかさには、誰にもかなわないかもしれないが…)

 吉祥文字である「福」をリビングのドアに貼ると、小敏は成果を問うように恭安楽を振り返った。

「これで、全部だよ、叔母おばさま?」
「ええ。ありがとう。これで例年通りに収まったわ。今夜の年夜飯年越し料理と餃子の仕度はパパが担当してくれているし、文維も手伝ってくれるでしょう?」

 柔らかい笑みであるが、決して逆らえない威力のようなものを感じさせて母が言うと、文維は慌てて頷いた。

「もちろんです、お母さま」

 それを満足そうに受け止め、恭安楽はキッチンの方へと向かった。

「あとは果物と、子供たちのオヤツくらいだと思うけど、パパにも何か追加で買ってくるものが無いか、聞いてくるわ」

 キッチンに居るらしい包伯言の元へと消えた恭安楽を見送り、小敏はクスリと笑いながら、大きなソファに座り込み、またもテーブルのお菓子に手を出した。
 文維もまた、はあと深い息をしてソファに腰を下ろした。

「で、結局…。お前は、これは誰の夢だと思う、小敏?」
「安楽叔母おばさま」

 これっぽっちの逡巡も無く、小敏は即座に言い切った。

「お母さま?」

 あ然とする文維に、小敏はだらしなくソファに凭れ、テレビを点けるとダラダラとお菓子を食べ続ける。

「ボクらとの楽しい家族団らん、愛する叔父さま手作りの年夜飯、カワイイ子供たち…なにもかも、叔母さまの好み通りじゃない?」
「う~ん」

 確かに、小敏の言う通りかもしれない。けれども、文維はなんとなく納得できない。

「確かに、お母さまの好みのように見えるが…、何かが違うんだ」
「具体的に、何が?」
「それが…今はまだ、はっきりとはしないが…。どこか母の好みとは違っているような気がする」

 珍しく理屈ではなく、文維の直感的な発言に、小敏もお菓子を食べる手を止めた。

「言っとくけど、ボクの夢じゃないからね」
「分かってる。私のでもない」

 2人は顔を見合わせた。
 じゃあ、一体誰の夢の中で忙しく迎春準備などしているのだろうか。文維はすぐそこに答えがあるようで、手が届かないもどかしさに、その端整な顔を歪めた。






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