恭王殿下エンディング
西の庭園へ続く、荒れるに任せた森のような木立の中で、迷っていた公子たちを無事に発見し、屋敷に連れ帰り、ようやく寝かしつけた世話係の李豊は、ホッと一息ついた。
だが、これで終わったわけでは無いのだ。
急いで母屋の客室に戻ると、王弟・恭王殿下と酒を酌み交わす、廷振王子の元へ報告に向かった。
「恭王殿下、廷振王子、公子がたは無事に、それぞれのお部屋でお休みになられました。お部屋の前には従者が付き添っております」
李豊はそう言って、先ほどまで公子たちと同じように姿を消していた廷振王子に冷ややかな視線を送った。
その視線を気まずそうに受け止めながらも、次の瞬間にはツイっと見なかったふりをして顔を背ける廷振王子のあざとさにも、李豊は慣れている。
「恭王殿下もお疲れでございましょう」
この別荘が廷振王子のものとなる以前、まだ戴王の息子である顧参緯の所有物で会った頃に、恭王は訪れたことがあるという。
この別荘一番の自慢である馬球場で開催された試合が、何よりも楽しみだったと恭王は懐かしんだ。それが忘れられずに、恭王自身、毎年王府での馬球大会を主催しているのだ、とも添えた。
「すまぬのう。外孫の包文維の話を聞いて、懐かしさに我慢が出来ずに腰を上げて参った」
そう言って恭王は自ら持参した、珍しい南国の果実酒を、甥の廷振にも勧めた。
「ただ、夕方には到着の予定であったのに、途中で馬が進むのを嫌がったり、馬丁が道を間違ったり、とんでもなく時間がかかってしまい、こんな真夜中の到着で申し訳ないな」
と、口では言っているが、さして悪びれた様子がない恭王に、廷振は違和感を持った。
政治的な野心や野望を持たない、馬球と芝居を愛する平和的な叔父は、いつまでも青年のように純真で正直なところがあり、そんなところも廷振の父である国王に信頼されている理由だ。
そんな叔父は、自分に非があれば、周りが何と言おうと素直に謝罪するような人であるのに、今夜に限っては、こんな深夜の訪問を本気で詫びる様子が無い。
そんな廷振の気持ちをその眼に読み取ったのか、恭王は意味ありげな笑いを浮かべながら酒杯を進めた。
「ようやく来てみれば、公子たちが行方不明などと…」
「申し訳ございません。公子たちのお世話をお任せいただきながら、このような事態となり、誠に申し訳ございません」
李豊は、主人である廷振王子が責められることが無いよう、先んじて頭を下げた。
「いやいや、あれくらいの年頃は好奇心が抑えきれぬもの。まさか慎重な文維が付いていながら、このようなことになるとは遺憾であるがな」
「いえ、文維公子は、年下の公子がたをしっかりと庇われてご立派でございました」
慌てて恭王の外孫を持ち上げるが、大らかな恭王は、そのような些末なことは気にも掛けない。
そして、もうひと口、甘い果実酒を飲んで、酒杯を置くと、恭王はよくよく得心した様子で思わぬことを言った。
「余が遅れたのは、紅蘭夫人に嫌われておるからだし、子供たちが迷ったのも、紅蘭夫人が呼んだのであろうから、仕方あるまい」
「はい?」
それまで黙って美味しい果実酒を大切そうに舐めていた廷振王子が、驚いて恭王の顔をマジマジと見た。
「恭叔王 には、何を仰せですか?」
その問いに、むしろ恭王が不思議そうに聞き返す。
「そなた、紅蘭夫人を知らんのか?」
余りに自然に聞き返す恭王に、廷振の方が動揺して、李豊を振り返る。
しかし、李豊も何のことかと目を白黒させている。
「あの…恭王殿下。失礼かと存じますが、紅蘭夫人とは、顧参緯さまの、『あの』、紅蘭夫人で?」
「他に、どの紅蘭夫人がいる?」
平然と答える恭王に、李豊は息を飲み、廷振王子を振り仰いだ。
「え?誰?」
信じられないことに、この別荘の主でありながら、廷振はこの地にまつわる因縁話を知らないらしい。
そんな、自分のこと以外に関心の無い主人に、李豊も毎度手を焼いているのだが、今はそんなことを意見している場合ではなかった。
「では、使用人たちがしている『噂』は…?」
恐る恐る李豊が訊ねると、恭王には苦笑いをしながらさも当たり前と言うように応えた。
「ま、それがどんな『噂』なのかは知らぬが、紅蘭夫人が成仏できずに、現世で迷っているのは間違い無かろうな」
「は?恭叔王、何のお話でございましょう?」
本気で驚いたように、ここで初めて廷振が身を乗り出した。
「まさか、恭叔王?この別荘に、成仏できずにいる…いわゆる…その…幽霊がいるとおっしゃるのですか?」
「まあ、そんなことを申しては子供たちが恐がるだろうと思って、本当の事は言わずにいたが、紅蘭夫人は見逃さぬな」
そこで恭王がカラカラと笑いだしたことに、廷振はむしろゾッとした。
「恭叔王、その幽霊と言うのが『紅蘭夫人』というのですか?」
「そうだ。顧参緯は私にとっては叔父のような方だったが、とても裕福な方で奥様が何人もおられてなあ。その中でも一番大切にされていたのが紅蘭夫人だった」
遠い昔を見るような目つきで、恭王はまた酒杯を手に取った。何かを思い出しながらなのか、コクコクと1人頷くようにして、口当たりの良い果実酒を味わった。
「恭叔王、何があったのか、お話して下さい」
幽霊などと思いもよらなかった話に、廷振王子は当惑して叔父である恭王に迫った。
だが、これで終わったわけでは無いのだ。
急いで母屋の客室に戻ると、王弟・恭王殿下と酒を酌み交わす、廷振王子の元へ報告に向かった。
「恭王殿下、廷振王子、公子がたは無事に、それぞれのお部屋でお休みになられました。お部屋の前には従者が付き添っております」
李豊はそう言って、先ほどまで公子たちと同じように姿を消していた廷振王子に冷ややかな視線を送った。
その視線を気まずそうに受け止めながらも、次の瞬間にはツイっと見なかったふりをして顔を背ける廷振王子のあざとさにも、李豊は慣れている。
「恭王殿下もお疲れでございましょう」
この別荘が廷振王子のものとなる以前、まだ戴王の息子である顧参緯の所有物で会った頃に、恭王は訪れたことがあるという。
この別荘一番の自慢である馬球場で開催された試合が、何よりも楽しみだったと恭王は懐かしんだ。それが忘れられずに、恭王自身、毎年王府での馬球大会を主催しているのだ、とも添えた。
「すまぬのう。外孫の包文維の話を聞いて、懐かしさに我慢が出来ずに腰を上げて参った」
そう言って恭王は自ら持参した、珍しい南国の果実酒を、甥の廷振にも勧めた。
「ただ、夕方には到着の予定であったのに、途中で馬が進むのを嫌がったり、馬丁が道を間違ったり、とんでもなく時間がかかってしまい、こんな真夜中の到着で申し訳ないな」
と、口では言っているが、さして悪びれた様子がない恭王に、廷振は違和感を持った。
政治的な野心や野望を持たない、馬球と芝居を愛する平和的な叔父は、いつまでも青年のように純真で正直なところがあり、そんなところも廷振の父である国王に信頼されている理由だ。
そんな叔父は、自分に非があれば、周りが何と言おうと素直に謝罪するような人であるのに、今夜に限っては、こんな深夜の訪問を本気で詫びる様子が無い。
そんな廷振の気持ちをその眼に読み取ったのか、恭王は意味ありげな笑いを浮かべながら酒杯を進めた。
「ようやく来てみれば、公子たちが行方不明などと…」
「申し訳ございません。公子たちのお世話をお任せいただきながら、このような事態となり、誠に申し訳ございません」
李豊は、主人である廷振王子が責められることが無いよう、先んじて頭を下げた。
「いやいや、あれくらいの年頃は好奇心が抑えきれぬもの。まさか慎重な文維が付いていながら、このようなことになるとは遺憾であるがな」
「いえ、文維公子は、年下の公子がたをしっかりと庇われてご立派でございました」
慌てて恭王の外孫を持ち上げるが、大らかな恭王は、そのような些末なことは気にも掛けない。
そして、もうひと口、甘い果実酒を飲んで、酒杯を置くと、恭王はよくよく得心した様子で思わぬことを言った。
「余が遅れたのは、紅蘭夫人に嫌われておるからだし、子供たちが迷ったのも、紅蘭夫人が呼んだのであろうから、仕方あるまい」
「はい?」
それまで黙って美味しい果実酒を大切そうに舐めていた廷振王子が、驚いて恭王の顔をマジマジと見た。
「恭
その問いに、むしろ恭王が不思議そうに聞き返す。
「そなた、紅蘭夫人を知らんのか?」
余りに自然に聞き返す恭王に、廷振の方が動揺して、李豊を振り返る。
しかし、李豊も何のことかと目を白黒させている。
「あの…恭王殿下。失礼かと存じますが、紅蘭夫人とは、顧参緯さまの、『あの』、紅蘭夫人で?」
「他に、どの紅蘭夫人がいる?」
平然と答える恭王に、李豊は息を飲み、廷振王子を振り仰いだ。
「え?誰?」
信じられないことに、この別荘の主でありながら、廷振はこの地にまつわる因縁話を知らないらしい。
そんな、自分のこと以外に関心の無い主人に、李豊も毎度手を焼いているのだが、今はそんなことを意見している場合ではなかった。
「では、使用人たちがしている『噂』は…?」
恐る恐る李豊が訊ねると、恭王には苦笑いをしながらさも当たり前と言うように応えた。
「ま、それがどんな『噂』なのかは知らぬが、紅蘭夫人が成仏できずに、現世で迷っているのは間違い無かろうな」
「は?恭叔王、何のお話でございましょう?」
本気で驚いたように、ここで初めて廷振が身を乗り出した。
「まさか、恭叔王?この別荘に、成仏できずにいる…いわゆる…その…幽霊がいるとおっしゃるのですか?」
「まあ、そんなことを申しては子供たちが恐がるだろうと思って、本当の事は言わずにいたが、紅蘭夫人は見逃さぬな」
そこで恭王がカラカラと笑いだしたことに、廷振はむしろゾッとした。
「恭叔王、その幽霊と言うのが『紅蘭夫人』というのですか?」
「そうだ。顧参緯は私にとっては叔父のような方だったが、とても裕福な方で奥様が何人もおられてなあ。その中でも一番大切にされていたのが紅蘭夫人だった」
遠い昔を見るような目つきで、恭王はまた酒杯を手に取った。何かを思い出しながらなのか、コクコクと1人頷くようにして、口当たりの良い果実酒を味わった。
「恭叔王、何があったのか、お話して下さい」
幽霊などと思いもよらなかった話に、廷振王子は当惑して叔父である恭王に迫った。
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