紅蘭夫人エンディング

 まだ初日だというのに、小敏公子たちは、あれほどにはしゃいで、子供らしいまったくの疲れ知らずだ。

「誰ぞ、子供たちに休むように言っておくれ」

 心配になった私は思わず声を掛けていた。

「ご心配には及びませんよ。梁寧侯爵家と安承伯爵家から従者が来ておりますし、恭王殿下のお孫さまは思慮深い方ですし」
「でも、小敏は?あの子は1人で来たのでしょう?心配してくれる側仕えはいるの?」

 そう言いながらも、私は馬場を駆け抜ける小敏を目で追っていた。

「ああ、あんなに早く走らせては、馬が疲れてしまう…。不機嫌になった馬が、小敏を振り落としたりしないかしら」

 侍女たちに調べさせると、あの子は羽小敏と言って、今のこの国で一番の将軍・羽厳の子息と言うことになっているらしい。
 可哀想に、生まれたと同時に母を喪い、さぞ寂しい想いをして育ったはずだ。それなのに、4人の公子たちの中で、もっとも明るく伸びやかで、健やかな優しい子だ。

 間違いなく、あの子は私と顧参緯の愛し児だ。

 今すぐにでも、手を伸ばし、抱き締めて、母の愛を与えてやりたい。きっとあの子も寂しい想いを抱き、母の存在を求めているはずだ。

「小敏ったら、あんなに砂埃にまみれて…。おほほ…、男の子と言うのは仕方ないことねえ」

 私はいつまでも小敏だけを見守っていた。

「廷振王子だけでなく、年上の公子の言いつけをきちんと聞いて…。小敏はなんて素直で賢い子なの」

 私は小敏の一挙手一投足に感嘆した。それほどに優れた子供なのだ。

「まあ、梁寧侯爵家の公子を心配そうに労わって、なんて優しい子なの。今度は安承伯爵家の公子に注意をしている。あんなに可愛らしい子供なのに、自分より小さい子の面倒も見られるなんて」

 私は小敏に夢中だった。
 それも当然だ。あれは「私たちの子」なのだから。

 夕暮れになり、厩舎に馬を戻すと、廷振王子に率いられるように公子たちは母屋の方へ帰って行った。
 この別荘が廷振王子の持ち物となって以来、陽の気が満ちたとはいえ、私は西の庭園から出られなかった。
 私は侍女たちが母屋に出入りすることを好まなかったが、小敏のことが心配で、侍女たちに小敏の世話をするように命じた。
 独りぼっちの小敏は、夜中にこっそり泣いているのではないかしら。慣れない別荘で食事は口に合うのかしら。
 仲の良い公子たちがいるから心配は無いと侍女たちは言うけれど、母というものはそれでも心配ばかりするものだ。

 真夜中になって、小敏がぐっすり寝入ったのを確かめて侍女が戻った。

「どうだったの?怪我などしてなかった?食事はちゃんと食べていた?」

 私は小敏の事が心配でならなかった。
 私のこの手で世話をしてやりたいのに、ままならないこの身を初めて恨めしいと思った。

「もう廷振王子が呆れかえるほど、公子たちはお元気で。途中、お食事が足りないからと次々運ばせて、もう私たちも駆り出されて大変忙しうございましたわ」
「食事の後は、梁寧侯爵が届けさせたという珍しい水果が供されて、そりゃもう大はしゃぎで賑やかでしたこと」

 母屋へ行った侍女たちは、口々に公子たちの元気な様子を伝えるが、私はそれでも小敏が心配でならなかった。

「寝台に入ってから、あの子は泣いたりしていなかった?母が恋しくて、声を押し殺して泣いていたのではない?」

 心配の余り私が身を乗り出して訊ねると、侍女たちは驚いたような顔をした。

「いいえ。さんざん他の公子たちと笑ったり、ふざけたりして、寝台に入るなり、あっと言う間に眠り込んでしまわれました」
「…そう…。そうなの…」

 けれど、まだ初日の夜。物珍しいことばかりで、楽しいだけなのかもしれない。これから寂しい想いをするかもしれない。私がしっかり見守っていなければ。

「あすの朝餉のあとには、私塾の宿題があるとかで、安承伯爵家の公子がグズグズされていたら、一緒に頑張りましょうねとお言葉を掛けられて…」
「そうよ!あの子はそういう優しい子なの」

「梁寧侯爵家の公子が、小敏さまだけにこっそりと、古筝が得意で持って来たとおっしゃったのですわ。明日はみんなに聞かせて欲しいとお約束されていました」
「さすがに小敏だわ。そういう思いやりがあるのよ」

 私は小敏の事なら何でも聞きたかった。そして聞くことで、小敏のことをより知ることが楽しくてならなかった。
 私は、明日の午後、公子たちがまた馬場に出てくると知って嬉しくて待ち切れなかった。





 翌日、昼餐を終えた公子たちが、馬場へ飛び出してきた。王都・安瑶に比べて、北の郊外にある別荘とは言え、真夏の一番太陽が注ぐ時間に、日陰も無い大きな馬場を駆けまわる小敏を、私は心配していた。

 日に焼け過ぎたりしないかしら。
 暑さに負けて頭が痛くなったりしないかしら。
 眩暈を起こして馬から落ちたりしないかしら。

 今では、うっそうとした森のようになってしまった西の庭園の奥に、日頃は身を潜ませているだけの私だったが、今日は小敏が気がかりで、日傘を差してまでこっそりと馬場が見渡せる庭園の端までやって来た。

「ああ、そんな…」

 今日は広大な馬場の北に整備されたばかりの馬球場で、公子たちは廷振王子に指示を受けながら練習をしている。
 そこは西の庭園から離れていて、私には近寄れない。馬上の小敏が4人のうちのどれかというのが分かるくらいで、その表情までは見えないのだ。

 疲れているのではないかしら。
 苦しそうにしていないかしら。
 苛められてはいないかしら。

 私は心配で、心配で、もう小敏を手の届かないところに置いておくわけにはいかないと思った。





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