紅蘭夫人エンディング

 ある気持ちのいい午後のこと。

 誰かが、私たちの西の庭園に入り込んだ。私たちは、また何者かが危害を加えに来たのではないかと怯えた。

 だが、やって来たのは、馬に乗った青年1人だった。

 その青年を見て、私はハッとした。
 初めて見る青年は、双子の姉である私とよく似た女性的な面差しを残した竹蘭と、どこか似ていた。けれど竹蘭のような弱々しさは無く、武人のような凛々しさも兼ね備えている。

 私は、ふと竹蘭の最期を思い出した。きつく抱き合い、誰にも引き剥がすことが出来なかった美しい竹蘭と凛々しい将軍…。
 この青年は、引き離すことが出来ない竹蘭と将軍が1つとなって生まれ変わった存在なのではないかと、私は思った。

 以来、時折見かけるこの青年が弟に思えて愛しくてならなかった。

 ある時、また1人で西の庭園に来た青年は、珍しく馬から下りて、私たちの潜む「紅蘭亭」に近付いて来た。
 近くで見れば、やはり竹蘭に似た美貌だ。それに加えて逞しく雄々しい、青年らしい美しさも備えている。生前の姿を知らないが、竹蘭が愛した将軍もきっとこのように清廉とした凛々しい方だったに違いない。

 青年は、無遠慮に紅蘭亭に入り込むとジロジロと検分する。
 寝室に飾られていた、私の姿を描いた掛け軸は、とうの昔に朽ちてしまい、私たちは身の置き場を失っていた。陽の気が強い昼間は、天井に描かれた百花図の間に身を潜ませていた。

「ふむ…」

 青年はしばらく何事か考えこんでいた。

「紅蘭夫人!あの方ですよ。あれこそ、この別荘の新しい主の顧廷振王子ですわ」

 陽の気を得て、こっそりと母屋の様子を見に行った侍女が、私に耳打ちした。
 今、目の前にいる竹蘭に似た青年が、廷振王子だったのか。私は、まるで竹蘭がこの別荘を、西の庭園を、私たちを守ってくれるような気がして嬉しくなった。

「あの百花図は、見事だな。残しておこう」

 廷振王子はそう言うと、1人頷き、納得したように馬の方へと戻って行った。

「どういうことでしょう、紅蘭夫人」
「もしかして、この紅蘭亭を壊してしまうのでは?」
「でも、この百花図は残すと言いましたよ」

 相変わらず口さがない侍女たちのおしゃべりに、私は耳を貸さなかった。そして、そんな私の期待は、裏切られることは無かった。

 数日して、職人らしい男たちが数人、ビクビクしながら、この紅蘭亭へやってきた。その先頭にあったのは、あの廷振王子だ。

「豪勢に作り直すつもりはない。ただ、頑丈で、冬は温かく、夏は涼しく過ごせる、気持ちのいい離れにして欲しいのだ。あの貴重な飾り窓の細工や、天井の百花図は残しておくように。ええっと…と、特に寝台は大きく丈夫なものに替えてくれ」

 廷振王子は、自ら指示を与えながら、この紅蘭亭を修繕してくれるらしかった。
 幽鬼である私たちは、どのようなあばら家であろうと住むことはできる。だが、それが居心地の良い美しい建物であれば、それはそれで嬉しいものなのだ。

「殿下、こ、こんな幽霊でも出そうな森の中の廃屋に手を着けずとも、あちらの明るい東の庭園に新しい離れをお建ていたしますが…」

 職人は周囲に私たちの気配を感じるのか、キョロキョロとしながら王子に申し立てた。

「何を言っておるのだか。幽霊などおらぬわ。私が、『ここがいい』と言っておるのだから、文句を言わずに早く仕事をしろ」

 王子は、幽霊に怯える職人たちに呆れたように言った。

 何と陽の気の強い青年なのだろう。明るく、熱く、私たちには近寄ることさえ出来ないほど、廷振王子は輝いて見えた。
 確かに彼ほどの強い陽の気を持つものは、私たちの気配など感じることすらないだろう。その潔さが、私は頼もしく、また、嬉しかった。
 本当にこの王子が竹蘭の生まれ変わりであるならば、これほど強く、穢れなく、美しくなってくれて、本当に嬉しかった。

 それから毎日、王子は職人たちを連れて、この西の庭園を訪れた。
 始めこそ王子の強い陽の気に、直視することさえ難しかった私たちだったが、少しずつ王子の陽の気に暖められ、穏やかな気持ちで遠くからその姿を眺めていることが出来た。

 やがて、紅蘭亭はその華麗さよりも、住み心地を優先した、実直な王子そのもののような建物になった。それでも、かつての名工による凝った造りの飾り窓や、私たちが身を潜める天井の百花図などを残し、決して安っぽくは見られない。

 私は、生まれ変わった竹蘭が、私のためにこうして紅蘭亭を居心地の良いものに変えてくれたようで嬉しかった。

 大きな寝台には、高級な絹で作った布団が運び込まれ、食糧庫には、上等な酒が何甕も並んだ。
 おそらくは、王子が1人になって寛ぐための特別な場所として用意されているのだと、私たちは思った。

 私の「紅蘭亭」が新しく調えられた日の夜遅くのことだった。
 遠くから馬の蹄の音が近付いて来た。
 今夜から、あの王子がこの新しく生まれ変わった「紅蘭亭」で過ごすのだと思うと、私は胸が高鳴った。

 私にとって王子は、最愛の弟・竹蘭の身代わりで、男女の情愛など感じる対象ではなかったが、侍女の中には王子に召されて陽の気を賜り、生きた女のように過ごしたいと夢見るものさえいた。
 それは、私の大切な王子が陰の気に触れることになり、私は好い気はしなかったが、もしも王子がお相手を望むのであれば、知らぬ女よりも、気心の知れた私の侍女であれば、とも下心を抱いていた。

 馬が、「紅蘭亭」の前に止まったが、その気配は廷振王子のものでは無かった。





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