申玄紀&羽小敏エンディング    ※【オマケ】ストーリー付

「あれ?」

 小敏が異変に気付いて急に足を止めたが、勢い余って玄紀は小敏を追い越してしまう。そのまま引っ張られるようにして、小敏は地面に倒れてしまった。

「小敏兄様!」

 慌てて玄紀は小敏に駆け寄って抱き上げた。

「ごめんなさい、小敏兄様。お怪我は?」
「あ…っと、うん、大丈夫みたい」

 小敏は玄紀の手を借りてゆっくりと立ち上がり、膝の辺りや掌の汚れをはたいた。

「小敏兄様…ここは?」

 キョロキョロと周囲を見回しながら、玄紀は小敏に訊ねるが、小敏にも分からない。

「馬場から『紅蘭亭』まで、こんなに遠かったかなあ」
「来る時は、もっと近いように思いましたよ」

 玄紀は急に不安になったのか、小敏の腕に掴まり、ギュッと身を寄せた。

「文維兄上たちの足音が聞こえない…」

 小敏もまた、文維と煜瑾とはぐれてしまったことに気付いた。

「このまま真っ直ぐに進んだら、馬場に戻るんですよね」

 暗闇の先に目を凝らし、自信無さげに玄紀は言った。

「そのはずだけど…。文維兄上と煜瑾が来ないのは変だよ」
「ま、まさか!幽霊に捕まったのでは?」

 玄紀は震えながら振り返って小敏の反応を窺った。

「分からない…。怪我とかされてなければいいんだけれど…」

 心配になった小敏は、今来た道を戻ろうとする。

「待って!待って下さい、小敏兄様!戻る気ですか?」
「だって、文維兄上と煜瑾が…」

 小敏は駆けてきた暗闇を見詰め、玄紀はこの先に続く暗闇を見詰め、2人とも途方に暮れてしまった。

「少し休もう。待っていたら、文維兄上と煜瑾が追い付くかも」

 小敏は仕方なくそう言って、2人はそれぞれ前方と後方を見張るようにして背中を合わせ、互いに支えるようにしてその場に座り込んでしまった。

「ねえ、小敏兄様…」
「なあに?」

 さすがの小敏も疲れたのか、不安なのか、声に元気がない。

「あの白い腕…女の人の腕のようじゃなかったですか?」
「そうだねえ。でも、聞こえたのは男の人の声だった…。父上みたいに大柄の大人の男の人の声だった」

 声でその人間を判別するのは武人なら必要な技量だ。科挙試験を目指す小敏だが、こういう点は武家の基本の能力として自然に身に付いている。
 低く太い声は大きな体を連想させ、毅然として良く響く大きな声は決して身分卑しい者とは思えなかった。

「ですよねえ…。じゃあ幽霊って…何人もいるってことでしょうか…」
「……」

 急に小敏は黙り込んでしまう。

「文維公子や煜瑾侯弟は大丈夫でしょうか」
「どうしよう…2人が捕まって『紅蘭亭』に連れて行かれてたら…。ボクのせいだ。ボクが幽霊を見たいなんて言ったから…」

 そう言うと思い詰めた小敏は、膝を抱えて、シクシクと泣き出してしまった。

「イヤだなあ、泣かないで…。泣かないで下さい、小敏兄様…」

 そう言って慰めようとする申玄紀の目もまた、涙で一杯になっていた。

「文維兄上や煜瑾に何かあったら、ボクのせいだ…」

 素直な小敏は、自分を責めて涙が止まらない。

 そんな風に責任感が強い小敏が可哀想で、一緒に涙ぐんでいた玄紀だったが、少しでも慰めたいと思い、気付くと小敏をギュッと抱き締めていた。

 2人は抱き合ったまま、泣いていたのだが、しばらくすると疲れが出たのかウトウトとし始めた。

「そこに誰かいるのか」

 急に大きな声が聞こえて、小敏と玄紀はハッと目を覚ました。

 男の声だが、先ほど「紅蘭亭」から聞こえた声とは違う。また知らない「幽霊」が増えたのかと震えあがる。
 恐怖にドキリとして、2人は互いを庇うように、ギュッと体に回した腕に力を込めた。

「公子は、おいでではありませんか」

 今度は聞き覚えのある声に、小敏と玄紀は顔を見合わせホッとしたように笑顔になった。

「李豊さん!」

 小敏が叫ぶと、木立の向こうに明かりが見えた。

「羽家の公子でございますか?申家の公子もご一緒ですか」

 声を掛けながら、李豊が近付いて来る。目の前に明かりが見えると、玄紀は立ち上がり、大きな声を出した。

「李豊!ここだよ!羽小敏と申玄紀はここにいるよ」
「ああ!いらっしゃいましたか。羽家の公子、申家の公子、ご無事でしたか」

 李豊の姿を見ると、玄紀は小敏の手を取り、立ち上がらせようとした。

「あ…っ!」
「小敏兄様!」

 ふらついた小敏に手を貸した玄紀が見ると、先ほど転んだのが悪かったのか、小敏の足首は腫れあがっていた。

「おや、脚を挫いてしまったのですね」

 傍に来た李豊は、小敏の足首を見て困ったように言った。

「これでは、歩いてお屋敷まで戻るのは無理ですね。すぐに誰かを呼んで参りましょう」

 そう言って李豊が立ち上がると、急いで玄紀が申し出た。

「小敏兄様が怪我をしたのは私のせいなんだ。兄様は私がぶって帰るよ」

 そう言うと、そのまま小敏の前にかがんで背中を見せた。

「ボク、自分で歩けるよ…」

 恥ずかしそうに小敏は言うが、李豊は、そんなことは許しませんよ、と言った態度で首を横に振った。
 仕方なく小敏は玄紀の背中に手を伸ばし、大人しく背負われた。

「大丈夫でございますか?」

 心配そうに李豊が言う。それを気丈に頷いて、小敏は自分より少し背の高い小敏を背負って歩き始めた。
 身長は小敏の方が高かったが、体重は玄紀と同じか軽いくらいで、思ったよりも軽いと、玄紀は自信を持った。一歩ずつ小敏の負担にならないよう、慎重に玄紀は歩を進める。

「心配かけて、ごめんなさい」

 情けなくて小敏は小さな声で言った。

「あれほど西の庭園には言ってはならないと申し上げたのに…」

 困ったように李豊が口を開くと、それ以上言わないで、とでもいうように、玄紀が李豊の袖を引っ張った。

「ねえ、文維兄上と煜瑾侯弟はご無事?」

 不安そうに小敏が訊ねると、李豊は穏やかに微笑んだ。

「ご心配には及びませんよ。先ほどお2人揃ってお屋敷に戻られました」
「良かった…」

 ようやくホッとして、小敏は頬を緩めた。

「何がおありになったのです?」

 李豊が訊ねると、玄紀も小敏も深刻な顔つきになり、黙り込んでしまった。

「とにかく、詳しくは明日の朝、廷振王子の前でお話くださいませね」

 憮然としている李豊を横目に、小敏と玄紀は自分たちの見たモノについて考えるばかりだった。

 宿舎へ戻ると文維と煜瑾が迎えてくれたが、すぐに使用人たちに引き離され、互いに話し合うことも出来ずに少年たちはそれぞれの個室へ押し込まれた。
 玄紀の背中から引き離され、屈強な使用人に抱きかかえられて自室に運ばれた小敏は、玄紀に運んでくれたお礼も言えなかったことが気になっていた。

 暫くすると、侍女がお湯を運びこみ、小敏の衣類を着替えさせ、顔や汚れた手足を洗ってくれた。

 その侍女によると、文維と煜瑾は半刻ほど早く戻り、煜瑾には侍従の阿暁が朝までつきっきりになるそうだ。
 玄紀にも、朱猫が見張りに付いているらしい。
 物わかりの良い文維がもう出歩く心配は無いだろうし、一番心配な小敏はこの怪我でどこにも行けまいと最後には嫌味まで言われた。

「イジワルなこと、言わないでよ」
「真夜中にこんな騒ぎを起こして、私たちを寝かせてくれない公子がたの方がよほど意地悪ですよ」

 年若い侍女は遠慮がない。
 だが、確かに彼女の言う通りなので、小敏は申し訳なく思った。

「ごめんなさい…」

 素直に謝る小敏に、言い過ぎたと思った侍女は、同情するように言った。

「怖い思いをなさったんでしょう?」

 ハッと顔を上げて小敏は侍女の顔を見直した。

「知ってるの?」

 仕方なさそうに侍女は肩をすくめて、腫れあがった小敏の足を水で冷やし始めた。

「そりゃあ、使用人の間では噂になっていますからねえ」
「どんな噂?」

 あんな目に遭ってもまだ凝りていないのか、小敏が無邪気に身を乗り出す。

「あの西の森には、死んだ人が住んでいるんですよ」

 あまりにも当たり前のことのように、侍女は言った。

「女の人?」

 恐る恐る小敏が訊ねると、呆れたように侍女は答える。

「女の人もいれば、男もいますよ」
「そ、そうなんだ…」

 そう言えば、「紅蘭亭」の窓から見えたのは女性の腕で、聞こえたのは男性の声だった、と小敏は思い出す。

「あのね、ボク…」

 小敏が、自分が見たものを告白しようとした、その時だった。

「羽家の公子、お医者様ですよ」

 部屋の外の廊下から、李豊が声を掛けた。

「はい!」

 返事をして、小敏は気付く。

「?」

 今、ここにいた侍女がいない。

「あれ?」

 キョトンとしている小敏に、御簾を上げて入って来た李豊が不思議そうに声を掛ける。

「どうなさいました、羽家の公子?」
「侍女がいなくなったんだけど?」
「は?」

 小敏の言葉に、李豊は驚く。

「侍女など、こちらに寄越してはいませんよ。まずはお医者様が先かと思いましてね」

 言われて小敏は自分の手足を見る。すると侍女がキレイに拭いてくれたはずの手足は汚れたままだった。



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