紅蘭夫人エンディング

 あれは、まだ七つか八つの頃だった。

 生れてくるはずだった弟と一緒に母が死んでしまい、途方に暮れた父は、私と双子の弟を人買いに売ったのだ。

 両親と暮らした故郷が、どこだったのかさえ、今はもう分からない。

 ただ弟と抱き合うようにして、人買いに連れられた先が、大きな街の、とても立派な建物だったのは覚えている。その建物が妓楼という場所で、私と弟がここに買われたのだということだけは分かった。
 今日から、この広くて、華やかで、賑やかな妓楼で暮らすのだと言われ、何も知らない私と弟は嬉しくて、有難くて、心から喜んだ。だが、それは一夜限りのこと。
 翌朝からは、朝は下働きとしてこき使われ、昼間は歌舞音曲の芸事を叩きこまれ、夜は店の小間使いとして妓女や男娼の笑顔と涙を見せつけられた。

 そして私と弟は12歳になると、「紅蘭」「竹蘭」と名前を与えられ、「芸妓」として店に出された。
 ようやく、厳しい下働きから解放されただけでも「竹蘭」は喜んでいた。けれど私は、下働きよりも、ずっと辛く苦しい「仕事」が待っていることをすでに知っていた。

 男女の双子であっても、よく似た私たちは、酔狂な客に喜ばれ、「竹蘭」の天才的と言われた琵琶の演奏に合わせた私の歌声は評判になり、美男美女が多いと言われる亮国の妓楼でも一番と言われたものだ。

 そして、忘れもしない13歳と半年。私たちは、2人同時に水揚げされることになった。要するに、見ず知らずの大人の男に、性交という暴力を振るわれる日が来たのだ。
 もちろん、私も竹蘭もそれを受け入れたくは無かった。しかし、長い妓楼での生活で、それが私たちに拒否できるものではないと、すでに教え込まれていた。

 けれど、ここで思いがけない問題が起きた。
 水揚げを希望する御大尽おだいじんが何人も声を上げたのだ。
 亮国の王族、隣国の将軍、遠い仙子江を渡った先の大商人など、金と身分に物を言わせた男たちが、私たち姉弟を欲しがった。
 店にしてみれば、相手は誰だろうと構わないのだ。条件はただ一つ、一番高い花代を払える御大尽ということだった。

 私たち姉弟の「初めて」が、どれほどの価値があったのか知らない。
 ただ、一番最初に名乗りを上げた亮国の王族の、倍の銀貨を支払うと言った広斉島から来た大商人が最高額だった。
 私たちは当然、この恐ろしいほどに裕福な商人の物になるのだと思った。

 だが、そうは成らなかった…。

 水揚げの花代で揉めに揉め、ようやく商人が競り落としたと聞かされたのは、年が明ければ2人が14歳になるという年の暮れだった。

 商人は縁起が良いようにと、正月の祝いを済ませ、その宴会の後に私たちを寝所に呼ぶということになった。
 私たちは正月用の豪華な衣装を買い与えられ、宴会で披露する曲の練習と同時に、年上の姐さんや兄さんたちから寝所でのあらゆる作法を習わされた。

 そして、過年(大晦日)の夜、それは起きた。

 商人は明るい内から妓楼にやってきて、私たちはもちろん、女将や姐さん、兄さん、果ては膳房(調理場)の者から下働きの子供たちにまで紅包(祝儀袋)を配った。
 最上の料理や酒を注文し、気前が良く、親切で、私たちもこの商人にすっかり懐いてしまっていた。妓楼に居る以上、いつかは越えなければならない試練であれば、相手がこの商人で良かったのだとさえ思っていた。

 そんな賑やかで楽しい年越しの宴会のさなかの事だった。

 私と竹蘭は舞台の上にいて、少し離れた上席に商人が見守っていた。商人の周囲には売れっ子の姐さん、兄さんたちが侍っている。
 竹蘭が演奏を始め、私が最初の節を歌い始めた時だった。

「きゃあ~っ」

 なんの憂いも無い、華やかな宴席で、絹を裂く悲鳴が上がった。

 舞台上で、私と竹蘭は呆然と立ち尽くしていた。

 目の前の上席でにこやかにこちらを見ていた商人の首が無かった。

「紅蘭!」

 驚いた竹蘭が琵琶を置いて私に駆け寄る。私たちは抱き合ったまま、動けずにいた。

 舞台に向かって転がって来たのは、バッサリ切られた商人の首だった。よほど一瞬の事だったのだろう、その首は笑っていた。

 首の無い商人の体が、ドンと音を立てて前に倒れると、その後ろにいたのは、血まみれの長剣を手にした隣国・晨の将軍だった。

 一瞬、時が止まったようにシンと静まり返った妓楼の宴会場だったが、次の瞬間、大混乱に陥る。
 悲鳴を上げ逃げ回る者、将軍を取り押さえようと駆け込む者、恐怖のあまり腰を抜かしたのか動けずに悲鳴だけを上げ続ける者…。
 それらを舞台上から見ていた私と竹蘭だったが、まるで私たちが観客で、舞台の外こそが何かの見世物のような気がした。

 その時、ギラギラとした将軍の目が、私たちを捉えた。その眼の異常さに、私たちは恐怖のあまり動けなくなり、ただギュッと互いに抱き締め合うだけだった。

 将軍が商人の死体を踏みつけ一歩前に出たと同時に、店の誰かが叫んだ。

「紅蘭、竹蘭、逃げろ!」

 私たちは、その声にハッとして、周囲を見渡し、舞台の袖で手招きをする遣り手(世話係)の小母さんに気付き、そちらへと駆けだした。

 逃げる私たちに怒ったのか、将軍が足を踏み出した。
 すぐそこに、それぞれ武器を構えた店の男衆たちが見えた。そこまで行けば、助かる。そう思ったと同時に、私たちは背後から生温い水を浴びせられたと思った。

「紅蘭!竹蘭!」

 それが何なのか確かめる間もなく、私たちは男衆に手を引かれ、安全な場所へと逃がされた。

 背後では、魔物のように恐ろしい声で、将軍が叫んでいた。

「紅蘭は儂の物だ!竹蘭は儂の物だ!」

 それが繰り返し、繰り返し聞こえ、それはいつまでも耳に残った。




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